第15話
――追憶。
◆
……少年がどれほど思い出そうとしても、擦り切れた今の記憶では、両親の顔を取り戻すことはできはしなかった。
無理もない。ふたりが少年の前から姿を消したのは、彼がまた5歳ほどの頃だった。
写真も残らなかったし、それよりも焼け付く光景があった。
……崩壊する鉄の塔。
当時、リウ・グウが誇る最新技術を以て建造されたと幾度も湛えられたエネルギー施設の冷却塔。
理論上の耐用年数は50年。今すぐに倒壊することなどあり得ない。
そのように謳い上げられていたモノが――まるで天から梯子を外されたかのように、砕けた。
次に少年のいた小さな世界を襲ったのは、莫大な衝撃と熱波。
見学に来ていた無辜の人々が逃げ惑い、悲鳴をあげて、そして殆どが既に手遅れ。
制御不能となったエネルギーが行き場を失ったのか、時間が経つにつれて特殊アスファルトで舗装された大地が割れ砕け、口を開けた奈落がと何十人もの人々を貪欲な胃袋に呑み込んだ。
――次に我を取り戻した時、少年はひとりの男の脇に抱えられていた。
明るい茶色の髪をした、どこか頼りなさげな印象の、やたらと使い古された白衣を着た壮年。
体格はお世辞にも立派とは言えず、少し食が細すぎるのではと思わせる程だったが、どこにその贅力があるのか、彼は少年を担いだまま、当面もの間走り続けていた。
男は、少年の父親などではない。顔も知らない誰かだった。
脇に抱えられた少年の瞳が、男の胸元で揺れ動く個人識別用カードを捉える。
「Poseidronius P████」。
文字の後半、家名にあたる部分までは読めなかった。
しかし何故かその名を、少年は刹那にひとめ見ただけで記憶した。
「――すべて僕のせいだ」
少年に語りかけているのか、それとも独り言か。
誰に向けたものかを判別できない声音のまま、彼は走りながら続けた。
「僕が臆病だったから。僕がもっと、トーマの言うことをちゃんと聞いていれば、こんな、事には……」
……言葉の意味を推測するには、少年はあまりにも幼すぎた。
だが、まるで罪を悔いるように何かを呟き続ける男の顔を見上げた時、少年の瞳に飛び込んでくるものがあった。
男の頭上から迫る、影。
エネルギー施設の一部分だったと思しき巨大な構造が、音もなく、男めがけて倒壊し始めていた。
「おじさん、うえ――」
事態を把握しないまま、それでも少年が見たままを呟く。
……男はすぐに頭上を見、そして――抱えていた少年を、前方めがけて放り投げた。
少年が無造作に地面に投げ出されるのと、辺りに世界の終わりのような轟音が響いたのは、全く同時だった。
……少年が起き上がる。
そして振り向き、そこにあった光景を見た。
確かに見た。見てしまった。
幼い網膜に、その光景を焼き付けた。
――そして、二度と記憶の片隅から引き剥がすことも出来なくなった。
自身が先程までいた場所に立つ、瓦礫の山。
その最下層で下敷きになっている――白衣の男。
「おじ、さ──」
少年が、幼い足取りでぺたぺたと男に走り寄る。
だが、どうする事もできない。
少年の幼い情緒は、目の前の絶望的すぎる状況に正しい感情を返す事すら叶わない。
男の上半身は、辛うじて瓦礫の隙間から外に出ていたが、既にそこからは夥しい量の赤い水が漏れ出ている。
……何も言えず、何もできない少年の前で。
男の頭が僅かに持ち上がり、震える声で言った。
「――よかった。本当に、よかった。
君だけでも、救うことができて。
僕は……僕はもう……ほら。こんな歳まで生きたから。
だから、気にしないで。
君は――君はまだまだ、これから――」
――目に見えるものすべてが砕けた、在りし日の旧第6居住区の片隅。
炎と瓦礫の中で、男が最期に発したその言葉を、少年は確かに聞いた。
そして二度と動かなくなった男の前で、どうにか、ただ泣いた。
救助が駆け付けるまでの間、喉が枯れ果てるほどに、ただひたすら泣き続けた。
……同時に。
少年へと向けられた祈りの言葉は、幼い心に焼き付けられた恐怖と絶望が浸食され。
その果てにひとつの "呪い" へと変成させるには、10年はあまりにも過分な時間であった。
◆
「……オレは――オレは、その日から。
誰かの為に、生きなくちゃいけなくなった。
ひどいと思った。
でも、そんなもんだ、とも思った。
なぜなら、それはきっと。
あの日、死んでいった全ての人達の為にもなるし。
……何より。オレが、納得した」
……白衣の男の一人娘、アンフィトリーテ・パンドラボックスの前で。
少年……ミクモ・コーラルスターは、最後にそう呟き。
直後、糸の切れた人形のように、手足から力を捨て去った。
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