第13話
……アンフィトリーテとミクモの載るコズミーから武器を向けられながら、尚もそこに立ち尽くすトーマの表情は、まるで陽光のように穏やかだった。
滑らかに釣り上がる口元はさらに深まり、薄く閉じられた瞼の奥からは、漆黒の闇のような瞳孔が顔を見せる。
今度は、アンフィトリーテにもそれがはっきりと見えた。
「……人畜無害そうなフリをしといて牙を剥くのが早い。そう思っていたが」
アンフィトリーテがミクモに回線越しに語りかける。その声音には、多少以上の呆れが混じっていた。
「それはそれとして、そのカンの鋭さは馬鹿にできないな、ミクモ」
「……」ミクモは返答をしない。
「僕はただ話がしたかっただけなのだけど……」
トーマが微笑みを崩さないまま、どうどう、といった風に両手を挙げて二機のコズミーを落ち着かせるような所作を取る。
対してミクモ機が左腕に搭載したパイルバンカーを青年の眼前に突きつけ、その動きを牽制した。
「動くな。
……たった今、お前が何をしたのかは解らないけど……お前、今、殺しただろ。あの人達を、お前がやったんだろ」
ミクモがちら、と大地の上で砕けた残骸を見る。
……突如として高高度に跳ね上がり、そのまま墜落してきた二機分の残骸。
完全に潰れており、中のパイロットの生存反応は既にない。
「まあ、うん。僕がやった」
トーマが困ったように微笑んだ瞬間、ミクモは操縦桿のトリガーを引き絞った。
パイルバンカーが操作に従い、内部機構で粒子反発による斥力が生成され、それを以て極太の「杭」が射出──されるよりも早く、ミクモ機が "沈んだ"。
「ミクモ!」
アンフィトリーテの叫びが回線に響く。
……ミクモ機は、まるで上から何かに無理矢理押さえ付けられているか、または下側に引っ張られているかのような挙動で、自ら大地に向かって這いつくばろうとしているのに抗うような様子だった。
「……なんだこれ……!」歯を食い縛るミクモの声!
「君達を殺す気はないよ。でもせっかく呼び出したのに、話も聞かずに殴り合いというのも気分が良くない。落ち着くまで、少しばかりそうしてて欲しい」
ミクモに語りかけるトーマめがけ、アンフィトリーテ機が大型鋏でその身柄を拘束にかかる!
……しかしその刹那、アンフィトリーテもまたコクピット内で異様な重圧を感じた。
体内、指先、髪の毛一本、操縦桿、パイロットスーツ。触れている全ての質量が何倍にもなったかのような感覚。すべてが重苦しく、空気が殺意を以て自身を潰そうとして来ているかのようだった。
「……アルベリオ……!」
「君は驚かないんだね、僕のこの力に」
トーマが静かに問いかけ、アンフィトリーテは無言の抵抗を以て返答とした。
……そう、彼女は知っている。
機体そのものを圧倒する重圧の中で、思考の片隅から、彼女は "その可能性" をすぐに辞書のように引き出していた。
……遙かな過去の時代から存在する、生体兵器アームヘッド。
否、その動力源にして意思の宿り木となる物体・アームホーンは、搭乗者を自ら選ぶ性質を持つ。
フレームが同じでもホーンを交換すればそれまでのパイロットでは起動できなくなるのもそこに所以があり、だからこそ今のミクモと彼女は自身に応答するホーンを、それぞれのμTからコズミーに移植している。
だがその中で、特に強い共鳴反応を示したホーンと搭乗者のみに発現する特殊拡張感覚がある、という話を、彼女は研究資料や論文の中で幾度も目にしてきた。
実際目にしたことはなく、故に眉唾物だと認識していたが、事ここに至りアンフィトリーテは、ついに認めざるを得なくなった。
「"調和" か……!」
アンフィトリーテの言葉に、トーマは静かに頷くと、二機へ影響を及ぼしている謎の力場を解除する事のないまま、静かに語り始めた。
「……かつての時代においては、今ほど珍しいものではなかったらしいけどね。
それに、多くの場合は機体に載っていないと発現できなかったらしい。当然だろう、アームホーンとの共鳴減少なのだから。……でも僕の場合は、ちょっとおかしいんだ。こうして生身でも、ある程度は使える」
トーマが突如として両手を上に向け、それぞれの指を軽く鳴らした。
……その途端、ミクモとアンフィトリーテの載る二機のコズミーは、ついに地面に押し付けられる程の重圧を受けて沈み込んだ。
「この辺にしよう、ミクモ。アンフィトリーテ。はっきり言ってしまうけど、君達は僕には勝てない。コズミーまで持ち出しておいて、生身の僕に制圧されるようじゃ、ね」
「……舐めるな。舐めてくれるな」
……ミクモ機ではなく、アンフィトリーテ機の紅色の機体がぎちぎちと音を立てながら膝立ちの姿勢まで立ち上がった。
「……お前が何を考えているかは知らない。お前の会社が、コズミーをあの『黒い魚影団』に卸していたことも含めて、だ」
「……だが、現時刻を以て、私はお前をリウ・グウに対する敵対勢力と認定する。そして私の義務は、リウ・グウに仇なすモノすべての殲滅だ……!」
アンフィトリーテ機が前進する。
……恐るべき重圧の全てを撥ねのけるようにして、じわじわとトーマに向かっていくその姿に、ミクモはただ唖然とした。
……研究所所属となってから、アンフィトリーテと過ごした時間は、まだ短かった。
だが、それでもミクモは彼女の人となりについて理解した気でいた。
今までこうも共に動く「相棒」を持ったことがない、という彼女への周囲の評から、どこかでそう思い上がった自分がいた。
……止まらない紅の機体の前進。
その背中から、ミクモは自身が彼女の自負と信念を何も理解していなかったことを、初めて理解した。
「自分は天才である」
「天才である自分には、リウ・グウの『壁』として、そうでない者達の前に立つ義務がある」……日々聞かされた、尊大とも取れる言葉。
……ミクモがアンフィトリーテの言葉の真意をようやく理解したのと、トーマの瞳の表情が変わったのは、全く同時のタイミングだった。
「……わかった。わかったよ。どうしても一度はやり合いをしないと気が収まらないんだね?それじゃあ」
──トーマ・アルベリオが、静かに左手を掲げた。
刹那、彼の後方から凄まじい速度で『何か』が飛来する。
全体的に、細身とはお世辞にも形容できない重厚なシルエット。
片手には、剣とも棍棒とも付かない奇妙な形状の武器。
その姿を見たアンフィトリーテの瞳が、驚愕に揺らいだ。
「……何故……その機体は、リウ・グウ防衛用の……」
トーマは問いに答えない。
答えないまま、その身体はひとりでに宙に浮くと、機体の後頭部に展開されたハッチからその内部に乗り込んだ。
……赤いラインのような複眼の集合体に光が灯り、その視線を以て、二機のコズミーを確かに捕捉した。
「博識な君でも、実際に目にするのは初めてだろう、アンフィトリーテ?
……『μT-DEEPONE(ミュート・ディープワン)』、トーマ・アルベリオ・サンダル。
どうか、くれぐれもお手柔らかに頼むよ」
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