第11話

「──あれから10年、か」


第5居住区の片隅、外海と「壁」で隔たれた産業区域。

企業城下町として栄えていたのも昔の話、今では様々な理由で土地から離れられない人々が住み慣れた世界の中に、その古ぼけた大型倉庫は建っていた。

声の主は、その倉庫の更に片隅で、背を柱に預けるようにして立っている。

上等な生地で整えられたストライプスーツを着用しており、整えられているにも関わらず妙にくたびれた黒髪はところどころが跳ねていて、更に色付きレンズの眼鏡をかけた青年だった。

外見は20代前半から半ば、といった印象。


「アンフィトリーテもミクモも、随分と出世したようだな……なんか忙しそうだし、来てくれるかな」

手にした通信用端末をしきりに確認しながら、その瀟洒な姿からは到底似つかわしくない不安げな表情を浮かべて青年は呟いた。

……日を改めたほうが良かったか、という考えが青年の中に浮かんだ時。


……倉庫の外側から、巨大な何かが駆動する物音が響き、そして唐突に止まった。


青年の表情に明るさが灯り、音の方向を見つめる。

警戒しているらしき招待客を招き入れるため、青年はあえて自ら倉庫の扉を開き、生身で外へと出ていった。



「……このあたりだな」

アンフィトリーテの声にミクモが反応し、操縦桿のブレーキ機構を作動させた。

モーメントのついた機体は少し前につんのめった後、比較的静かに停止し、OSを長距離移動モードから戦闘モードへと移行させる。


……二人はそれぞれ専用のコズミーに搭乗し、件の場所へ来ていた。

ただしここは居住区内。つまりは水中ではない。

二人が搭乗しているのは、陸上行動用に最適化された脚部へと換装した「ランドコズミー」であり、

μTのようなあまりにも特化した設計思想を持つ機体を持ち出す程ではない時に運用するものだった。


「警戒を怠らないように。相手が暗殺型機体を持ってきていたら中々に面倒な話だ」

紅色に塗装された専用のランドコズミーから、アンフィトリーテの通信が届く。ミクモは「ラジャー」とだけ返し、索敵を開始した。

……正規軍から派遣された護衛のランドコズミーもいるが、あまり頼りにできない。


アンフィトリーテはあまり表立ってそうは言わなかったが、ミクモは生体研究所で過ごす間に、アンフィトリーテが極めて微妙な立場の人間である事を薄々把握した。

……自身らの所属する生体研究所は、所属こそ正規軍だが、その浮いた立ち位置のせいで本軍とは距離のある関係らしい、という理解で正しいようであった。


正規軍関係者は生体研究所の開発した成果を採用こそしてはいるものの、その立ち位置を「技術屋」と半ば軽蔑めいた形容で評してきた。

……表彰を受けた際に自身を軍部へとヘッドハントしようとした勢力が目立っていた事に、ミクモは最近ようやく納得が行った頃合いだった。


……そんな中、不審者が研究所の所長と助手を呼び出すなど穏やかな話ではない。

勿論二人には身に覚えがなかったが、正規軍は「貴重な人材の護衛」という名目で『お目付役』をこのように派遣してきたのである。

……背後で敵戦力を警戒している「護衛」をちらと見た後、ミクモはモニターを見直した。


「ヘンだ、アンフィねーちゃん」

ミクモが通信で言うと、アンフィトリーテから呆れたような声が返ってきた。

「ヘン、じゃあないだろう。報告は簡潔にするようにと言った筈だ。あとこういう時は何か喋る前に名前を言うこと。……念の為に」

「あー……ええと、こちらミクモ。索敵したけど反応がない」

「反応なし、という事は機体は近くにないか、もしくは持ってきてないのか。……護衛のお二方はどうかな?」

アンフィトリーテが正規軍所属のモスグリーンコズミーに問うと、まるでミクモに経験を見せつけるかのような無駄のない返答が返ってきた。つまるところ「おそらく敵性機体なし」だった。

これはいよいよ怪しい、反応を念入りに隠蔽してからの奇襲も有り得ると訝しんだアンフィトリーテが目を細めたその時、事態は動いた。


……4機が今いる目と鼻の先、古ぼけた大型倉庫の扉が音を立てて開いたかと思うと、そこから一人の青年が姿を現した。


「……コイツ、か」

ミクモの声が僅かに低くなったのを聞き逃さなかったアンフィトリーテが、ほぼ反射的に制止の言葉を言おうとした瞬間、「護衛」のひとりが静かにミクモに言った。


「ミクモ君、攻撃するには早い。相手は見たところ生身だ。まずは話を聞くべきだ」


嘲るでもなく、さりとて咎めるでもない冷静な言葉にミクモが「了解」と返し素直に従うと、アンフィトリーテは再び青年に目を向けた。

……中で何をしていたのか、着ているジャケットの背中は赤錆にまみれて上等な生地が台無しになっていた。

オマケに扉が思ったよりも重かったのか、既に息が上がっている。


「……はあ、はあ……おかしいな、閉める時は軽やかだったのに……」

青年が独り言を呟きながら顔を上げると、その目がコズミーの透明な風防の奥にあるアンフィトリーテの目と合った。


「……会いたかったよ。アンフィトリーテ・パンドラボックス」


「……私達は生体研究所の者だ。メールでここに呼び出したのは……」

「あー、そうだよ、僕だよ!急に呼び出しちゃってゴメンね!でも来てくれて嬉しい」

アンフィトリーテの呼び掛けに間髪入れずに返すと、青年は自身を囲むコズミーの威圧を物ともせずに両手を広げた。


「話の前に、まずは自己紹介だね!

とりあえず……はじめまして、にしておくか。

僕はトーマ・アルベリオ・サンダル!気軽にトーマって呼んでほしいな」


……青年、いやトーマが軽妙な挨拶をしている最中。

細められたその瞳の奥に、まるで深淵とも呼ぶべき "虚無" が宿っていたのを、ミクモの夕焼け色の瞳は見逃してはいなかった。





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