第二部【FRAGMENTS OF RADIANT WAY】

第10話

……黒い魚影団首魁、キャプテン・クレアボーヤンスの死が、リウ・グウ正規軍から発表されてから数ヶ月後。


「──フィねーちゃん!アンフィねーちゃん!」


張りのある大声が鼓膜に突き刺さり、脳髄まで駆け巡った電気信号が、名前を呼ばれた少女の意識を引っ張りあげた。

うつらうつらとした浅い睡魔から浮上したアンフィトリーテは、はっとして周囲を見渡す。会議中ではない。安堵し、手元を見た。


……眠りに落ちる前に自分で入れた特製紅茶のドドメ色が、机の上の書類を鮮やかに染め上げている。

アンフィトリーテは硬直した後、ギギギ、と音を立てて首を横にやり、そこに立っていた声の叫び主、ミクモを見た。


「……ひとつ聞きたい。なぜお茶を取り上げてくれなかった?」

「オレが来た時にはもう遅かった。それにアンフィねーちゃん、許可ナシで机の上の物に触るなって」


しれっとした表情でそう言うと、専用の白衣を腕まくりしたスタイルですっかり着こなしたミクモが、アンフィトリーテのメインデスクの横にある予備机に書類の山を置いた。


「……なるほど。よく解った。すまないが代わりのお茶を入れてくれ。ドリンク配合のレシピはいつも通りで、少し眠気覚まし剤を多めに」

「……あんなの飲むよりも素直に寝たほうが良い気がするけど、わかった。お菓子も持ってくるよ」

「ああ、頼んだよ。我が優秀な助手」


……じっとりとした眼差しのミクモが、それでも無駄のない足取りで給湯室へと消えていったのを確認してから。

アンフィトリーテは大きく肺いっぱいに息を吸い込み、そして──


「クソおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!」


叫んだ。全力で。

ミクモにも聞こえる程に。



──指導者たるキャプテン・クレアボーヤンスを失ってから、黒い魚影団の勢力は急速に衰退していた。


反政府勢力の首魁を撃滅した成果として、直接クレアボーヤンスと相対したアンフィトリーテとミクモには勲章が授与され、特にミクモには手厚い待遇の生活保障と多方面からの勧誘が用意された。


しかし彼は生活保障は受け取ったものの、様々な勧誘については断り、代わりにアンフィトリーテの元で働くことを希望。

μT-WONDERRAVEを動かせる才覚が生体兵器研究所の人材としてあることの纏まりやすさからこれは承諾され、ミクモは晴れて同所に所属することとなった。


……研究成果もなしに所長の秘書となったことについては、ミクモの意思ではなく所長自身の一存であり、多少の「先輩」達からのやっかみもあったが、そんな日々にミクモもアンフィトリーテも慣れつつあった。


リウ・グウは、暫くぶりの平穏を取り戻しつつあった。



「……なんだこれ」

最近になってようやく一通り扱えるようになったコンピューター端末を操作する手を止めたミクモが、ふとそう呟いた。

「仕事が止まっているぞ、解らないことがあれば遠慮なく聞いてみたまえ」

向こう側の大型デスクに居座るアンフィトリーテが、からかうような声でそう聞いた。


「いや、このメールボックスに……なんというか、よくわからないものが……」

ミクモの要領を得ない返答に「やれやれ」といった様子で苦笑したエンフィトリーテが立ち上がり、どれ、とミクモの横に立ち、モニターを覗き込んだ。


メールボックスの最上段。

まだ開かれていない最新の1件。


件名──【10年前の真実を知っている】。


何の話だ、とアンフィトリーテが顔をしかめた。

また詐欺勧誘の類のメールかとも疑ったが、この手のメールはなるべく処分するようにミクモに言いつけてある。そのミクモが「いつもと違う」と判断した件名であるなら、確認したほうが吉だろうか。


アンフィトリーテが、念の為セキュリティシステムをいくつか起動した上でメールを展開した。

もし詐欺である場合は高確率で外部ネットへと繋がるリンクが張られている。それを確認したらすぐにゴミ箱行きである。

文面だけでも見てやるか、と溜息をついたアンフィトリーテの瞳は、そこで凍結した。


【Title: 10年前の真実を知っている

ㅤFrom: *****


旧・第6居住区崩壊事件の生き残りである君達へ

私は10年前の真実を知っている

あれは単なる事故などではない

風化させてなどならない


私と共に来るか、それとも刃を向けるかは君達に任せる

以下に示す場所で待つ】


……スクロールと共に、不審なリンクやファイルなど一切ない、ある地点の周辺とその中の1点に「★」が付けられた、巧妙な文字列アートで表現された地図がその姿を現した。

「……ひとまず、これを削除せずに私に見せたのは極めて良い判断だ。流石はミクモ、私の助手だ」

「にひひ!」

「……さて、これだが。単なる悪ふざけだと思いたいが、第6区の話を持ち出したうえで『君達』呼ばわりとは手が込みすぎている。地図をわざわざこう書いてくる時点で、向こう側もこちらに無駄かつ煩雑な警戒をさせる気はないのだろう」

「第6区、か」

ミクモがくしゃっとした笑顔を少し薄れさせ、静かにそう呟いた。アンフィトリーテはそこで自身の短慮さを恥じ、少しばつが悪そうにミクモの顔を見た。

「……そういえば、経歴を見た限り君も元々は6区出身だったな。辛いことでも思い出させてしまったか」

「いや、全然大丈夫」

ミクモの夕焼け色の瞳が、まっすぐにアンフィトリーテのアメジストの瞳を見た。

「泣いたってどうにもならない。だから大丈夫。それで……行くのか?これもまたなんかの罠じゃないのか?」

「罠だとしても行くさ。悪戯だとしたら縄でふん縛ってやらなきゃ私の気が済まない。当然警備は連れていくがね」


「それって……」

ミクモが言い終えるよりも先に、アンフィトリーテは白衣を脱ぎ捨てていた。

そしてデスクのすぐ横のロッカーからパイロットスーツ一式を引っ張り出し、振り向いてミクモの眼を見据えた。


「一緒に来てくれるかい、私の信頼すべき助手。ミクモ・コーラルスター」

「もちろん!」







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