第8話
……μT-OMEGABASTIONのレーダーに敵対アームコア反応が表示されたのと、アンフィトリーテの高精度特殊モノクルが独自に敵性反応を捕捉したのはほぼ同時だった。
暗く、碧い海底の闇。
その片隅に、異形の機影が佇んでいた。
OMEGABASTIONの下部のローターエンジンが緩やかに停止し、全身に装甲を纏った深紅の機体が海底に緩やかに着地する。
水中に土煙が混じり、霧散するように無限の海水に溶けていく最中、アンフィトリーテは敵影の姿を凝視した。
……緑色の重厚な装甲。黄金色の外套めいたユニット。
まるでゴーグルのようなふたつの真円のカメラアイが、真っ直ぐにOMEGABASTIONを見つめ続けていた。
「……都市に攻撃もしかけず、ただ海底の郊外で待つだけとはね。随分と馬鹿にしてくれたねえ」
アンフィトリーテの言葉に対し、緑色の機体……μT-THOUSANDACTORのパイロットたるキャプテン・クレアボーヤンスが、愉快そうに声をあげた。
「ハハ!そう青筋を立てないで欲しいでヤンス!今回はコイツの性能テスト、ついでにあんさんにこないだのリベンジをしたかっただけでヤンス!」
「……それで?この私が、そんな決闘じみたものに真正面から応じるとでも?既に部下達が……」
OMEGABASTIONが合図をするかのように片手の鋏を振り上げ、リウグウ正規軍所属のコズミー部隊を呼んだ。
……だが、誰も来ない。OMEGABASTIONの後からついて来ているはずの機体群が、誰もその場に来ない。
「……誰を待っているのか知らないでヤンスが、リウグウ正規軍の連中なら、今頃あっしのオトモダチ達と一緒に遊んでいるでヤンスよ!具体的には、ここから40kmくらい離れた地点でヤンスね」
クレアボーヤンスの不敵な言葉が、解放回線でアンフィトリーテで届いた。
「……」
「黒い魚影団をナメすぎでヤンスよ?あんさん達リウグウがどれだけ表面の良さの裏で、色んな奴らを捨てていったことを覚えていないとでも言うつもりでヤンスか?」
THOUSANDACTORが、その左腕の槍を重々しく持ち上げた。
「"
さて、ここでパーレイでヤンス。もしここであんさんが勝ったら、あっしは大人しく首を差し出すでヤンスよ。あとはもう、さらし首にするなり、見せしめにするなり好きにすると良いでヤンス。でも、あんさんが負けた時には……」
……THOUSANDACTORの槍が、静かにOMEGABASTIONに差し向けられた。
「その時は、その首をもらうでヤンス。リウグウ郊外の海に晒して、頭蓋骨に引っ付いている肉片の最後の一欠片まで魚に食べられる様を楽しませてもらうでヤンスよ」
海賊船長の宣戦布告を確かに聞いたアンフィトリーテが、その口の端を静かに歪めて微笑んだ。
「……ほう、面白いじゃないか。中々どうして大人気とは言いがたいこの
……OMWGABATIONの両肩の6連装ロケットランチャーが安全装置を解除され、静かに鎌首をもたげ始めた。
「……悪いのだがね、生憎私は自分の勝手な都合で無辜の人々が暮らす街を攻撃して、海底に沈めるような連中とデートする趣味はないんだ。その息ごとお引き取り貰おうか」
──刹那。
THOUSANDACTORとOMEGABASTIONが同時に海底の砂を蹴り飛ばし、互いの懐へと飛び込んでいった。
「あれま、これはフラれてしまったでヤンスね。哀しいでヤンス」
THOUSANDACTORが槍を構える!
まるで神殿の柱めいた、鋭利な先端を備えた突撃槍が、OMEGABASTIONの頭部に狙いを定めた!
「小娘如きにフラれる覚えはないでヤンスよォッ!」
そのままTHOUSANDACTORは槍を刺突!
惑星の重力に対して働く反作用のベクトルをその場に移し替える反重力コアの機能により、その切っ先は深海の恐るべき水圧を物ともせずに突き進んでくる!
大質量の刺突をOMEGABASTIONが頭を動かすことで紙一重で回避し、その隙を最小限に抑えつつ左腕の大型鋏を展開!THOUSANDACTORの首茎を掴むと、無慈悲な切断処刑を開始!
「ロリコン風情の戯れ言はあの世で言うことだねェ!」
刹那、THOUSANDACATORが上体ごと首をかがめ、その鋏が頭頂をかすめる!
「怖い怖い!」
からからとした笑いを零したクレアボーヤンスが、バックステップと反重力コアによってOMEGABASTIONから離れようとする!
逃がすまいと追いすがるOMEGABASTIONだが、突如その動きが停止!アンフィトリーテが無理矢理にサイドレバーを引き絞り、その突撃を止めたのである。
……海中に舞う、人工血液の朱色。
首元を浅く切り裂かれたOMEGABASTIONが引き下がり、アンフィトリーテが同機のダメージを確認する。
傷は浅いわけではないが、致命傷というほどでもない。だが長く戦闘を続行もできない。無理をすれば、そこから膨大な水圧が傷を無理矢理に開く可能性がある。
「おや、切り込みが浅かったでヤンスね。今のでワンチャン首を貰うつもりだったヤンスが、流石はただの小娘ではないでヤンス」
クレアボーヤンスの嗤うような声音を振り払いながら、アンフィトリーテは静かに相手の状況を見た。
……外套のように見えたユニットが、ゆらゆらと不敵にゆらめいている。
当初、黄金色の外套に見えたそれらは、よくよく見てみると1枚1枚が鋭利な刃をもった実体剣であり、
それらをひとつの巨大なアームが翼のようにまとめて保持している状態が、結果として外套のように見えていたのだ。
「……は。随分と舐められたものだ」
アンフィトリーテが内心の焦燥を抑えながら、コクピットの中で不敵な笑みをこぼした。
誰が見ている訳でもない。それはただ、自身を奮い立たせるための行為だった。
「μTを手に入れたからといって、OMEGABASTIONの真正面に立つ度胸があるとは恐れ入る」
「偉いでヤンスねぇ、一生懸命に強がっちゃって……!」
THOUSANDACTORが再び突撃!
対してOMEGABASTIONは大きく仁王立ちするようにして真正面に対峙すると、その全身の射撃兵装の安全装置を解除する!
「ああ、何しろ──強いからね。私も、OMEGABASTIONも」
……次の刹那、深紅の要塞から、無数の弾丸がTHOUSANDACTORに向けて射出された。
肩口からの赤い小型魚雷は、まるで抵抗など存在しないかのごとく水中を突き進み、碧色の装甲を焼いた。
「く……!」
クレアボーヤンスが歯を食いしばり、リニアライフルの弾幕を掻い潜りながらダメージを確認!
「……なるほど、オーパーツ……古代の火力兵器でヤンスか。これは何発もまともに喰らうとまずいでヤンスね」
THOUSANDACTORのサブカメラで弾丸が命中した自機の右太腿部の様子を見たクレアボーヤンスが一瞬思考し、次の刹那に操縦桿を引き絞った。
「なら!」
THOUSANDACTORの反重力コアが唸りをあげ、更に機体が超加速!
黄金色の実体剣をいよいよ外套のように纏い、迫るリニアライフルの雨を真正面から突っ切る!
「無駄だ!」
アンフィトリーテが精密ロックオンを行い、THOUSANDACTORにコルダックブラスターを発射!
「海賊を──」
THOUSANDACTORが槍を大きく振りかぶったかと思うと、反重力コアの出力をさらに上げて抵抗を限界まで中和、雷撃めいた早さの横薙ぎを繰り出した!
アンフィトリーテの目が見開かれる。
……槍に着弾したはずの赤い魚雷が槍によって弾かれ、一拍遅れてようやく衝撃を感知し爆発した。
「海賊を、舐めるなでヤンスゥ──ッ!」
THOUSANDACTORが槍を腰だめに深く構えながら機体の全体重をかけて突撃!
自らをひとつの質量魚雷とした攻撃にアンフィトリーテが驚愕!すぐさま防御姿勢を取るが、時すでに遅し!
「しまっ……」
……くぐもった轟音。そして後に続いたのは、静寂だった。
OMEGABASTIONの全身が痙攣し、その大型鋏でTHOUSANDACTORの頭部を掴み取ろうとしたが、その腕は途中で力尽き、垂れ下がった。
……黄金色の槍が、深紅の要塞の胴部を深々と貫いていた。そして次に、ばがん、という大きな音がした。
OMEGABASTIONの機体に大穴が開いたことで耐水圧機構が崩壊し、その内部へと大量の水が流れ込み始めていた。
その様子を察知したクレアボヤンスが、嗤うでもなく、同情するでもなく、ただ静かに息をついた。
「……終わりでヤンスね小娘。窒息死は苦しいでヤンス。介錯が欲しいなら今のうちでヤンスよ」
「……ク……クク……」
浸透圧で段階的に機能停止していくOMEGABASTIONの内部から、不気味な笑みが響いた。
「……中々、やるじゃないか。てっきり宝の持ち腐れかと思ったけど……思いのほか、その機体の性能を使いこなしている。敵ながら天晴だよ」
「でも──キミはひとつ忘れている」
明かりの消えたコクピットの中。
震えるアンフィトリーテの手が伸ばされ、横の安全カバーを開いた。
……並ぶ4つのボタン。白、緑、青、銅。
力が抜けていく指先が、それでも確かに左から二番目、緑色のボタンに触れた。
「……この私が、ただの小娘などではなく。
リウグウ兵器開発所所長、アンフィトリーテ・パンドラボックスであることを、ね」
緑のボタンが押し込まれる。
次の刹那、THOUSANDACTORがガクガクと痙攣をはじめ、クレアボーヤンスの絶叫が響いた。
「おごごごごごごご……!こ、小娘……!一体、何を……!頭が、頭が割れそうでヤンスゥ!」
解放通信から届く敵の絶叫に、アンフィトリーテは静かに微笑んだ。
……コクピットに浸水が始まった。脱出機能は、故障している。
「……OMEGABASTIONは、本来指揮官機でね。
遠い過去にリウグウを護るために建造された、いくつかのアームヘッド達……それらを統率するために建造された"王の機体"……それがこのOMEGABASTIONだ」
THOUSANDACTORが更に痙攣を強めていく。クレアボーヤンスが必死に制御を取り戻そうともがく。
「……キミのような賊に後れを取ったのは我ながら未熟の極みだが、あいにく頭でっかちなのが私の取り柄でね。たった今、OMEGABASTIONにのみ搭載された、マスター・キルプロセス機能を使用させてもらった。これさえあれば、OMEGABASTIONはいつでも他のμTを強制停止させられる。一種のフェイルセーフさ」
「くそ……!何か手は……ん?」
クレアボーヤンスが脳をかき乱されるような激痛に耐えながら手当たり次第に無数のボタンやレバーを操作する。そして、ひとつの赤いボタンに目が留まった。
それは、彼の部下たるメカニックが、この機体にコズミーのコクピットを移植した際に取り付けたものだった。
『……あと、これはもしもの時の為のボタンッス。いわゆる再起動ボタンというやつで、もしOSに何らかの不具合が出たらこれを押してくださいッス。機械が調子悪い時は、とりあえず再起動。これは基本ッスからね』
……そう言った部下の言葉を反芻しながら、クレアボーヤンスは迷わず手を伸ばした。
「イチかバチか……頼むでヤンスよ下っ端ァ!」
叫びと共に赤いボタンが押し込まれた瞬間、THOUSANDACTORのカメラアイの光が消失し、全身からその力が抜けた。
そして次の瞬間、再びカメラアイに光が灯ったかと思うと、その体躯は痙攣を完全に振り払い、再び海底に力強く立ち上がった!
「な……」
「……ッハ」
驚愕するアンフィトリーテと、一拍置いて笑いを零したクレアボーヤンス。
THOUSANDACTORは、未だ圧壊を続けるOMEGABASTIONを嘲笑するかのように、サイドステップを踏んでその周囲を旋回し始めた!
「ッハ、ハッハッハァ!流石はあっしの部下でヤンス!」
「貴様……!さてはシステム周りに手を加えて……!」
「ン、何のこと言ってるか知らないでヤンスが、確かにあっしが扱いやすいように、部下がコクピットを交換はしてくれたでヤンスねえ!……さて」
クレアボーヤンスの眼が光り、OMEGABASTIONを見た。
「──よくも最後っ屁してくれたでヤンスね?一度は楽に死なせてやろうかとも思ったでヤンスが、こうなったら話は別でヤンス」
THOUSANDACTORが突如サイドステップを停止したかと思うと、何もせずとも今にも崩壊寸前の赤い機体に向き直り、無慈悲に槍で突き崩した。
「ぐ──!」
アンフィトリーテのパイロットスーツが非常事態を感知し、内臓された耐圧機能が作動。海中に放り出されたアンフィトリーテの体は、それによって超水圧による即座の圧死からは免れた。
……が、それもつかの間。THOUSANDACTORの巨大な掌がその細い体を引っ掴み、完全に捕縛した。
「……!」
「……覚悟は良いでヤンスね?あんさんの手足をこれから丁寧にもいで、あとヘルメットにも穴を開けるでヤンス。ただし心臓、肺、脳は潰さないように注意しながら。この意味が解るでヤンスか?」
クレアボーヤンスの怖気が立つほど穏やかな声音に、アンフィトリーテの背筋に寒気が走った。
「あんさんは、最後の最後まで自分の体が潰れて粉々になる感覚を味わえるでヤンスよ。急性失血死が先か、それとも水圧浸透による圧死が先かはあっしにも解らないでヤンスけど、まあ首くらいはリウグウに帰してやるでヤンス。見せしめにね」
……THOUSANDACTORの指が捻られ、アンフィトリーテの体がいとも簡単にその掌の中で雑巾のように絞られた。
「……ぐ、ぎ、あ、ああ──!」
「年貢の納め時でヤンス。あんさん達がないがしろにしてきた全ての奴らに、あの世でじっくり詫びて来ると良いでヤンス。さあ、イッツ・ショウタイム!」
……体が無理矢理にねじ切られる直前。
アンフィトリーテの脳裏に浮かんだのは、白衣を着た、背の高いひとりの男の姿だった。
遠い背中。追いかけようとして、ついに追いつけなかった目標。
……筋繊維と肉が悲鳴をあげる中、アンフィトリーテはついに抵抗を諦め、静かに目を閉じた。
──轟音。
続いて、開放感。
浮遊。
……刹那に何が起こったのかを、アンフィトリーテはまるで理解できなかった。
ただ、自身の手足が無事であるらしいことと、目を開けた先に、どこかのコクピットに放り込まれたことだけは、どうにか理解した。
ただちにコクピット内の排水が開始され、内外の圧力差が再調整される。
アンフィトリーテのスーツが緊急モードを解除したのと同時に、ちょうど彼女の目の前に背中を見せるようにして操縦席に座っていた人物のスーツも、同じように通常モードに移行した。
天然の黒髪。アンフィトリーテが息を呑んだ。
「……嫌な予感がした。だから来た」
パイロットが振り返る。
その夕焼け色の瞳に、少しばつが悪そうな気配を漂わせながらも、くしゃっと微笑んだ。
「いつだって、嫌な予感はほっとくとあとでひどくなる。……ナギばーちゃんがよく言ってたし、オレもそう思う」
「あとで説教だぞ、ミクモ」
少し震えた声のまま、アンフィトリーテがさもいつも通りのような口調でそう言い、その名を呼んだ。
……わずかにその言の端に、安堵と信頼を滲ませて。
「でも……頼む。アイツを張り倒してくれ!」
「まかせろ!」
……ふたりを載せた白黒の機体。
μT-WONDERRAVEの胸部リアクターが雄叫びをあげ。
その体躯が、THOUSANDACTORめがけて突撃を開始した。
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