第7話

……ミクモの夕焼け色の瞳が、大きな一枚岩から削り出されて間もないその石肌を見つめていた。


リウグウ周辺の海底から採取される、急速に冷えて固まった結果として形成された火成岩。

それを切り出して建てられたのは、大量の犠牲者をひとまとめにして供養するための慰霊碑であった。

数メートルはあろうかという大きさの慰霊碑の表面には、ミクモがあの日まで過ごし、そして今は「壁」が破壊されたことで海底の一部と化した第3居住区の住民だった者達の名前が、びっしりと彫り込まれている。

その中のひとつに、「ナギ・コーラルスター」の名前が確かにあった。


「……君の祖母については残念だったよ」

慰霊碑を見つめるミクモの背後で、目を伏せたアンフィトリーテが静かに呟いた。

「言い訳をするつもりはないが、あれはあっと言う間だった。君が助かったのはひとえに幸運だった。あの白黒の機体が、何故か駆け付けて君を内部に保護してくれたおかげだ」

「……」

ミクモは何も答えない。背後を振り向きもしなかった。

アンフィトリーテの表情に更に影が差し、その唇は空気の重力に耐えきれず、更に言葉を繋いだ。

「……慰めになるかは解らないが、君のこの先の生活については心配無用だ。君は軍に正式に保護されている。面倒はこちらで受け持つさ」


「──しかたがない」


唐突に、ミクモの声音で、そのような言葉が飛んだ。

アンフィトリーテはそれがミクモの声だとすぐに理解した。理解はしたが、実感するまで2秒を要した。

その声音は、ミクモの肩を落とした様子には不釣り合いなまで、軽やかなものであった。


「な……」

「しかたがない、しかたがなかったんだ。確かに悲しいけど……泣いたって、ナギばーちゃんは帰って来ない。帰って来るなら、いくらでも泣く。でも、絶対に帰ってこない。だからオレは泣かない。泣くだけ無駄だし、もっと悲しくなるから」


アンフィトリーテが絶句した。言葉が出なかった。

ミクモの真意を汲みきれず、ただその背中を見つめるしかできなかった時、ミクモが唐突に振り向いた。


夕焼け色の瞳が、アンフィトリーテの紫の瞳と合う。

少年の瞳は、アンフィトリーテの背筋に寒いものが走るほど、透明で、透き通っていた。


「ありがと、アンフィねーちゃん。さ、行こうぜ」


ミクモの足が軽やかに運ばれ、無邪気にアンフィトリーテの手を取った。

ずかずかと進み続ける少年に引っ張られるようにしながら、アンフィトリーテは一度だけ、慰霊碑のほうを振り向いた。

……いまだ下部のほうは名前が彫り込まれておらず、これからも更に発見されるであろう犠牲者達の存在を噛みしめた後、アンフィトリーテは前を向いた。


胸の内に湧いた、ミクモへの心配と、僅かな恐怖を飲み込んだまま。



「……っと、これでよし!オヤビン、コクピットの換装が終わったッス!これでオヤビンでもコイツを乗りこなせるッスよ!」


……岩壁を切り出して作られた、海水のない巨大な空間の中。

全身を黒い機械油にまみれさせたひとりの青年が、スパナを片手にしたまま大きな声を出した。


ここは「黒い魚影団」の保有する海底ガレージのうちのひとつであり、同団の設備や武装はここで整備されている。

そして、青年の声が響き渡ったと同時に、すぐ側の空きスペースで昼寝をしていたひとりの男が跳ね起きた。

「終わったでヤンスか、下っ端!」男の軽快な声!

「へい、オヤビン!確かにそのまんまだと時代が違いすぎて使いにくかったんで、オヤビンの『コズミー』のコクピットと確かに交換完了ッス!あとは何度か試乗して、あちこちのバグを潰していけば……」

下っ端と呼ばれた青年が喜々として話している途中で、男は静かに口を塞ぐジェスチャーをした。

「すぐ出撃でヤンス」

男は、すっかりコクピットブロックを取り出されたかつての愛機たる「巨影」……否、コズミーと呼ばれた機体の抜け殻を見つめながら言った。

「は!?出撃はまだ早いッス!もし何かあったら……」


「下っ端、お前はもちろん、自分にできる全力で換装をしたッスよね?」

いかにも海賊といった風の豪華なコートを羽織りながら、男は静かに口元を歪めて言った。


「へ、へい!そりゃあ勿論、オヤビンの乗る機体ですから……」

「なら大丈夫でヤンス。お前は腕利きでヤンス。それに、もし何かあったら」

……男の腕が静かに腰へ伸ばされ、音もなく小型空気銃を引き抜き、青年の眉間へと向けられた。

青年の全身が硬直し、奥歯がかたかたと震え始める。

男はその様子をしっかりと確認すると、不気味なまでに穏やかな口調で言った。


「そん時は、お前を物理的にクビにするだけでヤンス」


震える青年を尻目に、男はまるで冗談だったかのように空気銃を翻すと、軽やかに梯子を登って機体のコクピットに乗り込んだ。

「心配無用でヤンス!お前がちゃんと仕事したんなら、そんなヤバイ事は起きないでヤンスよ!今までもそうだった。これからもそうでヤンス。ほら、行くでヤンスよ!」


「へ……へい!ただいま!」

青年が金縛りから抜け出したかのよう自分専用のコズミーへと向かっていくのを見ながら、男は静かにコートの襟元を正し、ハッチの閉鎖を司るボタンを叩いた。

プシュウ、という音は響き、世界が暗くなる。

同時にコクピット内が通電され、各種パネルとモニタが点灯した。


「さあて……小便臭いオママゴトは終わりでヤンス。

こないだの借りはしっかり返させてもらうでヤンスよ、小僧に小娘!


『キャプテン・クレアボーヤンス』、アーンド!

"μT-THOUSANDACTOR"(ミュート・サウザンドアクター)、ショウタイムでヤンス!!」

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