第6話
……脳髄の奥深くまで麻痺したような眠りから、ミクモの意識はようやく現実に這い出した。
まず目に入ったのは、透き通るようなガラス球。
見る者の魂を誘い込み、そのまま内部へと吸い込んでしまうかのように怪しく透き通った輝きが、横にふたつ並んでいた。
「お目覚めのようだね、少年」
至近距離から鼓膜に届いた女性の声で、ミクモは眼前に迫っていたそのガラス球が、人間の眼球であることにようやく気付いた。
「うおおおあ!?だ、誰だ!」
素っ頓狂な叫びと共にミクモが跳ね起きると、ガラス球……声の主である人物が少し驚いて飛び退き、ミクモからの意図しない頭突きを回避した。
「そんなに驚かないでくれたまえ……というか……」
ベッドの上に寝かされていた事に気付いたミクモが、尻餅状態で後ずさる。
その様子を見た人物……白衣と軍服を混ぜ込んだような奇妙な白色のコートを羽織った、ミクモより少し年上に見える程度の少女は、呆れたように溜息をついた。
「……正直、心外だねえ」
「な、何が……」青紫の瞳の少女の、不満そうな表情を警戒しながらも、ミクモはなんとか聞き返した。
「こんな見目麗しいレディに寝起きを見守ってもらって、あまつさえ視線までバッチリ合ったというのに、随分と色気のない反応だ」
「……ふん。ここが何処かも、アンタが誰なのかもわかんねえし、それに……」
「それに……なんだい?遠慮は無用だ、言ってみてくれたまえ」
「……それに、オレはもっと年上で、おっぱいのでかい姉ちゃんのほうが好きだ」
「──……」
ミクモがばつの悪そうな声音で言い放った瞬間、白衣の少女はきょとんとした表情で数秒硬直した。
「……」
「……あはっ。アッハッハ!ハハハハハ!!」
時が凍結したような空気をミクモが後悔し出した頃、少女は凍結がいきなり溶けたかのように、声を挙げて笑った。
「なんだよ……」
「いや申し訳ない。あまりに直球だったものでつい笑ってしまった。そういう頭の悪い返答、嫌いじゃないさ」
……「小馬鹿にされた」ことを察知しながらも、ミクモはひとまず眼前の少女が敵ではないらしいことに静かに安堵し、息を吐いた。
「それで……ここは?オレはどうなった?」
「ああ、そうだな。目覚めのモーニングトークもこの辺にしよう。単刀直入に言えば、君は保護された。リウ・グウ正規軍によって」
少女がくっくと漏れ笑いを押さえながらもベッドから少し離れ、そこにあった椅子に腰掛けた。
すぐ側の机には、上品なティーポットとカップが置かれている。
「保護……?」
「そうだ。随分と怖い思いをしただろう、もう安心だ……ちなみに、私はアンフィトリーテ・パンドラボックス。名前も姓も長いからアンフィ博士と呼んでくれ」
少女……アンフィトリーテはそう言うと、ポットを傾け、カップにその中身を注いだ。
その瞬間、ミクモの顔がひきつった。
……見るからに高級そうなポットから排出されたのは、透き通る赤褐色の美味しそうな紅茶ではなく、まるで危険な化学物質を乱雑に調合したかのような緑褐色の液体であった。
何が入っているのか、その表面にはまるで廃油のような虹色の煌めくナニカが浮いて揺らめいている。
「……」
カップに謎の液体が注がれていくのを、ミクモは絶句したまま見守るしかなかった。
すると、間もなくアンフィトリーテが注ぐ手を止めると、カップをさも紅茶を嗜む時のように口元へ持ち上げ、その香りを楽しみ始めた。
……ミクモの脳裏に、強烈に嫌な予感が走った。
まさか。そんなまさか。
……次の刹那、アンフィトリーテはさも当然の如く、カップの中で暗黒海流が如く渦巻いている謎の液体を、極めて上品な仕草で音もなく啜った。
ミクモが魂の底から硬直しているのを尻目に、アンフィトリーテの頬が赤らみ、その目元が恍惚に揺らいだ。
「……っく、ああ……これだ、これだよ……」
「……こええよ!何だよそれ!」
「あー……これはだねー……色々元気になれるお薬を混ぜた、私特製ブレンドのお茶でねー……んひひ……」
ミクモがベッドの上で枕にしがみつきながら震えている間、アンフィトリーテは更に謎の液体を摂取し続け、更にその恍惚を深めていくのみだった。
「………あー……君も、飲むかい?」
「飲むか!!!!!!!!!!」
◆
「くそう……あのヘンな機体さえ出て来なけりゃ、今頃は分捕った物資でウハウハだったってヤンスのに……」
……暗い水中、自身専用の巨影……否、『機体』のランプを点灯させたまま、件の襲撃犯は謎の海底洞窟を掘削していた。
機体左腕の大型ドリルで、ひたすらに岩壁を掘り進めていく。
「オヤビン、本当にこんな所にあるんですか!?何世代も前の、本当かも解らない……」
同じ洞窟を別方面へと掘削する別機体からの通信に、実行犯こと海賊の長はすぐに声を張り上げた。
「ええい、下っ端は黙ってるでヤンス!こういうのは信じるマインドと運が大事でヤンスよ!」
「オヤビン……」
「あっし達は、こんなんじゃ終われないでヤンス!必ずあのお化け蟹と、お化けシャチ小僧にリベンジして、もっとガッポリ頂いてやるでヤンスよ!
そう。あっし達は、まだ、こんなところで……!」
……その瞬間。
海賊長の機体のドリルが、最後に立ちはだかる壁であった岩壁の層を突き崩し、
その『向こう』にあったモノへと、確かに道を開いた。
「あった……!あったでヤンス!下っ端ァ!」
……海底洞窟の更に奥、秘匿された領域。
周囲を器用にくり抜いた、岩壁に囲まれた空間の中。
気の遠くなるほどの永い時を眠り続けていた『それ』の瞳に、はしゃぐ二機の姿が静かに反射した。
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