第5話 噂

 プシュー。


 空気の抜ける機械音と共に電車の扉が開く。同じ方面に向かう高校生らしき人たちの流れに従って、自分も電車に乗り込んだ。


 ガタガタの揺れ動く車内で、流れゆく窓の景色をぼんやり眺める。


 あれから何日か経ったが、予想通りいつもの日常に戻った。


 白雪とは無縁の生活。向こうは七海と相変わらず仲良さそうに話しているし、こっちもいつメン3人組で固まっている。


 たまたま交わったあの時間は、幻のようにもうない。そしてこれからも生まれることはないだろう。


 一つだけ以前と変わったことがあるとすれば、朝の時間、地元の駅で白雪と顔を合わせた時に会釈をするようになったこと。


 互いに地元から電車を乗り継いでこの学校に来ているので、田舎の電車だと鉢合わせすることが時々ある。


 以前は見かけても無視していたが、あの日以降向こうから会釈が来るようになったので、なんとなくこちらも返すことだけは続いている。もちろん会話はないが。


 向こうとしては大切なネックレスを拾ってくれた人として認識しているから、最低限の礼儀的な意味で会釈してくるのだろう。


 俺の存在を認識させるなら、こんなことではなく、勉強で負かして認識させたかった……。


 12月には期末試験がある。今のところは万全の準備で進んでいるので、順調だ。……まあ、この10年間全部準備万端で望んで負けているのだが。


(……次は絶対勝つ)


 今日返された夏季休暇の課題試験も案の定、二位だった。一位は相変わらずの白雪。華が嬉しそうに話していたのがちらっと聞こえたので間違いない。

 

 負けるのは毎度のことではあるが、悔しいものは悔しい。別に諦めるつもりはないが、流石に結果が出た日だけは、気分も落ちてしまう。


 こういう日はシュガー先生のイラストに囲まれるに限る。スマホの小さい画面でちまちま見てても癒されん。


 幸い今日は姉も帰りが遅い。家で一人きり。堪能する大チャンスだ。本当は新作も味わいたいところだが、発表は明日の予定だし、既存のもので我慢しよう。


 そこまで考えたところで地元の駅に着いた。


 シュガー先生のイラストのことを考えるだけで気分が弾む。ノリノリで定期券で駅の改札を出る。


(さてと、あとちょっと)


 あとは家まで歩いて帰るのみ。長年鍛え上げた帰宅部の足なら余裕ですね。


 駅に備わる唯一のカフェの横を通り抜ける。


「……白雪?」


 それは本当にただの偶然だった。ガラス越しに見える店内の中に白雪の姿を見つけた。


 テーブル席でカップに口をつけている白雪。その向かい側にはスーツを着た男の人が座っている。

 

 一瞬、父親かと思ったがそれにしては随分若い。高めに見積もって30代前半。


 白雪が一人っ子なのは有名な話だ。あれだけ美人の兄弟姉妹がいたら、さぞかし容姿の優れた人に違いない。そう思った周りの人が探ったようだが、兄弟はいないという話だった。


 それなら兄、ということもないだろう。一体誰なのか。男と無縁なはずの白雪がお茶をする相手など聞いたこともない。


(まあ、いいか)


 気にならないといえば嘘になるが、俺には関係のないことだ。白雪が何をしていようと俺の知ったことではない。


 そんなことよりシュガー先生のイラストの方が大事だ。もう俺にはなくてはならない存在。摂取しないと手が震えてしまう。


 早く家に帰って癒されようっと。さっき見たことなどいつのまにか忘れて、スキップして帰った。


♦︎♦︎♦︎


「はぁ、疲れた」


 翌日、4限目の体育が終わり、更衣室でロッカーを開けた。汗を吸い肌に吸い付くようになった下着が気持ち悪い。脱いだら一気に快適だ。


 上半身裸のまま、ずっと我慢していたスマホを取り出す。もう更新されているだろう。待ちに待ったシュガー先生の新しいイラストだ。


 画像を目にした途端、思わず吐息が漏れ出る。最高すぎる。もう、マジ、神。


 神すぎてもう語彙力消失するレベル。いや、天才過ぎないか?


 綺麗な絵だが、エロくもあり、無性の男心を擽られる。うへへへへ。これは蒼と大翔にも見せてやらねば。


 そう思い、二人の方を向いたとき、蒼が口を開いた。


「そういえばさ、今朝、麗奈から聞いたんだけど、昨日白雪さんが男の人とデートしてたらしいよ」

「な、なんだと。それは詳しく」

 

 目を丸くして食いつく大翔。どうやら昨日のが噂になっているらしい。


「白雪さんと地元が一緒の子が地元の駅でサラリーマンの男の人と一緒に歩いているの見たんだって」

「う、嘘だろ……」

「若い男の人だったみたいだし、付き合ってるか、もしかしたら援交? みたいな」

「だ、誰だ。そんな馬鹿なことを言っている奴は。俺の白雪さんがそんな下品なことをするはずがない」


 大翔は憤慨しているが、一つ言わせてほしい。白雪はお前のものではないと思うぞ?


 白雪が聞いたら軽蔑の視線が飛んでくるに違いない。

 

 こういった噂は入学した頃はよくあった。やれ、裏で男と遊んでるなど、いじめをしているなど。

 最近はあまりに白雪の男嫌いがはっきりし過ぎていて無くなっていたが。

 

 久しぶりに聞いた。


「僕も違うと思うとは言ったんだけどねー。蓮なら何か知ってるんじゃないの?」

「なんで俺が……」

「ほら、白雪さんと仲良いから」

「だからなんにもないって言ってるだろ」


 俺と白雪の間になにを見ているのか知らないが、節穴過ぎる。


「……昨日、確かに男の人と白雪が話してるのは見た」

「あ、そうなんだ」

「けど、デートでも援交でもない」

「へー? よく断言できるね」

「……まあな。考えてみろ。あの男嫌いがそんなことすると思うか?」

「確かにね」

「だろ? 噂なんて当てにならないんだから下らない話なんか辞めようぜ」


 あいつにどんな事情があるかなんて知ったことではないが、こういう噂は嫌いだ。人を貶めて一体何になるのか。

 そんなことよりいくらでも大事なことはある。例えば大好きな絵師の布教とか。


 大翔も蒼も噂を特には信じていなかったようで、しっかり頷いた。


「ふふふ、やっぱり蓮は白雪さんのことよく分かってるんだね」

「別に。そんなことより話したいことがあっただけだし」

「話したいこと?」

「見てくれ、これを。可愛すぎてないか?」


 白雪の噂なんかよりシュガー先生の話の方が100倍大事だ。ファンたる者、布教に努めなければ。


「ふむ、これはいいイラストだ」

「いつもの絵師さんの? 綺麗だねー」

「だろ? 今日出た新作なんだけどな。もう神すぎて誰かに自慢したくて仕方なかったんだよ」

 

 蒼にも大翔にも好感触なようで何より。こうして先生の知名度を上げることこそ、俺の務め。


 何回見ても神過ぎるイラストににやけていると、「相変わらず大好きだねー」と苦笑するような蒼の声が聞こえた。


 しばらく雑談していたが、着替えも終わったのでロッカーをしめる。


「……じゃあ先に教室戻ってるわ」


 蒼も大翔も着替えはいつも遅い。最初の頃は待っていたが、最近は先に一人で帰っている。


 今日も一人で戻り、教室の扉を開けた時だった。


「ねぇ、白雪さん。社会人と付き合ってるってほんとなの?」


 着席する白雪の正面に立ち、問いかける亜麻色の髪の女子の姿が飛び込んできた。

 


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