第3話 予想外
「はぁ。今日も白雪さんは美しい。女神様のようだ」
翌日の月曜日。朝から大真面目な顔で大翔は馬鹿なことを言い出した。
大翔の視線の先には白雪ともう一人、仲の良い七海華がいる。
栗色の明るい髪色のボブカットでゆるふわな雰囲気を纏う彼女のファンは多い。白雪と七海、対照的な二人は仲がよくいつも一緒にいる。
遠目から眺める男子は多く、大翔以外にも何人か二人を盗み見るような視線があった。
「相変わらず大翔は白雪さんのファンだねー」
「当たり前だ。あんな綺麗な髪。傷一つない美しい肌。天然でこれほど美しい人は他にいない」
「いや、天然って。女子はみんな努力してるぞ」
もちろん生まれ持ったものはあるだろうが、女子は見た目を良く保つために苦労していることは耳にタコが出来るほど聞かされている。
「努力?」
「化粧したり、保湿したり、オイル塗ったり。毛も剃ったり、死ぬほど大変らしいぞ」
「な、なんだと……」
呆然と固まる大翔。少しは現実を突きつけないとな。「女子が何にも努力せず可愛くなってると思ってる男子は死ね」と姉貴は舌打ち共に愚痴っていた。
「女子はみんな大変っていうよねー」
「むっ、蒼は知っていたのか」
「まあね、伊達に女の子と親しい訳じゃないよ」
普段から周りに女子がいる蒼なら、知っているのも当然だろう。
「大翔はそんなに白雪さんに憧れてるなら、デートとかしてみたいとか思ってたり?」
「ま、まあ。ありえない話なのは分かっているがな」
頰をほんのりと赤らめて眼鏡をくいっと持ち上げる。……男の照れ顔とか誰に需要あるんだ。
「まあ可愛い子とお出かけするのは楽しいよね。最後はキスして別れるのもありだし」
「キ、キスだと!? は、破廉恥な」
顔を真っ赤にする大翔。おいおい、前々から思ってたが、ピュアすぎるだろ。
「破廉恥って。今時、高校生なら経験あるよねー?」
「まあ、付き合ったことがある奴なら経験あるんじゃないか?」
俺の周りでそういう話は何度も聞こえてきたし、経験ある奴は多いと思う。蒼は俺の返事を聞いて一度頷く。
「キスはいいよ。一気に良い雰囲気に持っていけるし」
「む、それは詳しく」
身を乗り出して大翔が食いつく。この、むっつり野郎め。隠してるつもりかもしれないが、大翔のむっつりは完全にバレている。
そんな大翔に蒼は苦笑を零すと、指を振った。
「流石に教室で話すことじゃないよ。それに、大翔はまず彼女を作らないとね?」
「くっ。そうは言うが、蒼だって今は彼女いないではないか。さっさと七海さんにアピールしてきたらどうなんだ」
「へ? そ、それは別だよ。ほ、ほら、やっぱり好きな人に話しかけるのは勇気がいるというかさ」
ツンツンと両手の人差しを揃えて、少し照れくさそうする蒼。まったく、どうしてそこだけは奥手なのか。思わず本音が口に出る。
「女の子慣れしてるんだから、そこは積極的にいけよ」
「自分から好きになった人は初めてだからどうアプローチしたらいいか分からないんだよ。それに……」
「それに?」
「ほら、番犬といいますか、護衛がいるからね」
「あー」
常に七海の周りには白雪がいる。そのせいで気がある男子が近づけなくなっているのは有名な話だった。
「その顔があれば上手くいくと思うけどな」
「そういうなら、蓮はとりあえず白雪さんを隔離するの協力してよー」
「それは無理」
あんな白雪をどうにか出来る手段があるなら、俺が知りたい。結局話は何も進むことなく終わった。
♦︎♦︎♦︎
放課後、蒼達は用事があるようで、一人で下駄箱に向かう。
放課後になって幾分か時間が経っているので、人気は少ない。校庭で運動部が活動しているのが廊下の窓から見えた。
玄関に辿り着き、自分の靴箱から運動靴を取り出し、地面に置く。不意に声が届いた。
「黒瀬さん、少し良いですか?」
顔を上げて声のした方を見ると、そこには白雪が立っていた。予想外の出来事に思わず言葉を失う。
「あの、聞こえてます?」
「あ、ああ」
訝しむように目を細める白雪に、慌てて意識を取り戻す。
一体何のためにわざわざ待っていたのか。思い当たることは一つしかない。昨日の面倒ごとを押し付けたことだろう。文句でも言いにきたに違いない。
正面で無表情の冷めた視線が、そうだと告げている。
わざわざ嫌がらせをしたのはこっちだ。文句ぐらいは来るのは覚悟してるし、平気だ。……うそ、やっぱりちょっと怖い。
じっとこっちを見つめる白雪のこの視線にいい思い出なんか一つもないし、正直逃げたいくらいです。
乾いた口で唾を飲み込み、言葉を待つ。白雪は一度迷うように、視線を左右に揺らして、もう一度双眸でこちらを捉えた。く、くる……。
「……昨日はありがとうございました」
「へ?」
急に頭を下げた白雪に思わず力が抜けた。
文句が来るのを覚悟していたのに、これはどういうことだ。
なんで感謝されてる? まったく理解できない。まあ、白雪が俺に頭を下げてるのはちょっと気分が良い。
「……ありがとうってのはどういうことだ?」
「? 昨日、私のネックレス拾ってくれたじゃないですか」
あー! 思わず心の中で頭を抱える。
そういうことか。あれは白雪のだったらしい。どんな偶然だ。そんなの予想がつく訳ない。
「あれか」
「はい。実はあのネックレスは私のお母さんの形見なので、本当に見つけてくれてありがとうございました」
「そうだったのか。まあ、別に感謝はしなくていいぞ」
ほんと半分嫌がらせのためにしただけだから。感謝とかされても困る。
「そういうわけにはいきません。本当に大事なものだったんです。見つかってどれだけ嬉しかったか……」
「いや、ほんとに気にしなくていいから。別に感謝されたくて渡したわけじゃないし」
感謝なんてされたらこっちが申し訳なくなるので、必死に否定する。謙遜でもなんでもなくて本当に要らないから!
なんとか伝えてみたものの、きちんと白雪が理解したかは分からない。何か言いたそうな視線を残したまま頷いた。
「……分かりました。そこまで言うならもう言いません。ただ、一応用意したのでこれは受け取ってください」
そう言って左手に持っていた手提げを渡してくる。
「えっと、なにこれ?」
「お礼としてです。口に合うといいんですが……」
お礼の品らしい。受け取るのは申し訳ない気持ちしかないが、受け取ってしまった以上、返すのは失礼だろう。
(……どうしてこんなことになってるんだ)
思わず天を仰ぎたくなる。予想外に次ぐ予想外。もうお手上げです。
まさかあの白雪からお礼されるなんて信じられない。それに加えて贈り物まで貰うなんて。昨日の俺だったら絶対想像つかない。
あまりに信じられない出来事のせいで夢かとさえ思ってしまう。
未だに現実感が湧かず、つい受け取った手提げ袋を見つめる。
「あの、なにか?」
「いや、まさか白雪からこんな贈り物を貰うなんて思ってもみなかったから」
正直に告げると、何かに気付いたようにはっと目を大きくして、一歩後ずさる。
「言っておきますけど、あくまで感謝として渡しただけですから。妙な勘違いはしないでください」
「贈り物貰ったくらいでするわけないだろ」
お前のその態度で勘違いできる奴は余程の鈍感野郎だけだろう。大翔あたりなら勘違いしそうだが。
流石に現実は見えている。
「なら良いです。どこかの薄い本みたいにてっきりお礼と託けて私の身体を要求してくるかと思いました」
「するか!」
思わず出た声が廊下に響く。いきなり何を言い出すんだ、こいつは。そこだけは絶対否定させてもらわないと。
「俺をどんな奴だと思ってるんだ」
「男子なんて全員そんなものかと」
「流石にそんな奴はいないって」
何度か確かめるように視線をこちらに向けて、ようやく守るように自身の身体を抱いていた両腕を解いた。
「一応ありがとな。家に帰ったら頂くよ」
「はい。今回は本当にありがとうございました」
「ああ。今度は落とさないように気をつけてくれ。じゃあ、またな」
手提げを持って白雪と別れる。あまり長時間一緒にいて誰かに見られたら、噂になることは間違いないだろうし、さっさと離れるとしよう。
校舎を出て、漸く一人になったところで手に持つ手提げに視線を落とす。
あの白雪から貰い物なんて。半分嫌がらせのはずが、どうしてこうなった?
首を傾げながら、家路を辿った。
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