第9話 謎の男






 次の日―


 道場で稽古を終えた俺は本屋に来ていた。

 目的は<<幼馴染モノ以外の紳士本>>を手に入れることだ!


 俺は18禁コーナーの前に立つ。


(よし、ネットで買おう!)


 紳士コーナーに入る勇気が… ましては、購入する勇気が出ずにヘタれた俺は、その場を離れようとする。


 ―その時、俺の背後を一人の男性が通り過ぎた。

 すると、俺は全身の毛穴が開く感覚に襲われる!


(なっ…!? 何だ、この感覚…!? この背筋が凍るような感じ……! まるで、心臓を鷲掴みされたような気分だ……!)


 俺は思わず振り返り、男性の後姿を見る。そこには、黒い髪に黒いコートを着た男性が歩いていた。


 後ろから確認できる青年の服装は、黒のズボンに黒のブーツを着用していて、そのコートの背には逆さ十字の刺繍がされ、かなり特徴的だ。


(逆さ十字… 聖ペトロの十字とかいうやつか…?)


 俺は謎の人物に対して警戒感を抱きながらも、暫くその行動を監視することにする。

 何故なら、その立ち姿には一切の隙が無く、佇む姿は俺が通う道場の師範のような達人の雰囲気を纏っている。


 いや、その腕前は師範よりも上かもしれない。そうでなければ、全身の毛穴が開くような感覚に襲われる筈はない。


 黒い青年は、俺が先程10分悩んで入ることが出来なかった18禁コーナーの前に立つと、キョロキョロと辺りを見渡してから足早に侵入する。

 そして、周囲を気にしながらも、真剣な表情で本を選んでいく。


 俺は確信した。あの人物は「やはり、只者ではない!!!」と……

 そして、青年は厳選した紳士本を予め一般コーナーで手に取っていた本の下に、隠すように忍ばせるとレジに向かう。


 その本のタイトルを見て俺は驚愕する。


(日常系百合百合漫画… だと…?)


 何故ならば、表紙に描かれているのは、可愛らしい女の子同士がイチャイチャしている絵で、偏見かもしれないがこの達只者ではない青年が購入するには不自然な漫画なのだ。


 俺はレジに向かう青年の後を、こっそりとついていく事にした。


「すみません。この本をお願いします」

「はい、ありがとうございます」


 店員さんは笑顔で答えると、バーコードをスキャンしていく。


「合計金額は2980円になります」

「はい……」


 青年は財布から3000円を取り出すと、それを店員さんに手渡す。


「レシートは必要ですか?」

「いえ、大丈夫です」


「では、こちら商品とお釣りになります」

「どうも……」

「またのご利用をお待ちしております」


 青年はその言葉を聞くと、紳士本が入った袋を手に取り、颯爽と出口に向かって歩き出す。


(あの格好は… コスプレ? それとも厨二?)


 俺はその普通の購入風景を見て、自分の勘違いだったのではいかと思い始める。

 よせばいいのに、俺は青年の後を追うために店を出た。


(しかし、俺は一体何をしているんだ…… )


 青年の尾行を行いながら、俺は自問自答する。例え怪しい人物を見つけても、いつもならこんな事は絶対にしない。


 俺の直感が「あいつはヤバイ!」と訴えかけているのに、今回は何故か好奇心が抑えられないのだ。


 そんなことを考えながら、俺は青年の様子を窺う。すると、突然青年が立ち止まる。


(おっ…… バレたか……!?)


 俺は咄嵯に身を隠し、青年の様子を確認する。

 しかし、その視線は俺ではなく、別の方向に向けられていた。


(なんだ、あいつらか…… って、えっ……! 何でここに居るんだ……?)


 そこに居たのは亜美さんと悠の姿があった。どうやら、買い物帰りのようだ。

 二人は楽しそうに会話をしながら歩いていて、青年の視線には気付いていない。


 青年の二人を見る目は鋭く、なにより気配を完全に消しており、とても手に持っている紙袋中に、紳士本(エロ漫画)と日常系百合漫画が数冊入っている人物とは思えない。


 すると、青年は体の向きを変えると、細い路地に入っていく。


「なっ……!?」


 俺は反射的にその後を追ってしまう。

 頭の中には、「何故追いかけたのか?」という疑問は無かった。ただ本能が「追わなければいけない」と叫んでいる。


 青年は裏通りに入ると、更に奥へ進んでいく。そして、ある場所で足を止めた。そこは薄暗い空き地であった。俺は少し離れた物陰に隠れて様子を窺う。


 すると、逆方向の薄暗い狭い路地から、女性が歩いてくる。

 女性は青年と同じくらいの年齡で、彼に近づくと親しげに話しかけた。


「お待たせしました。例の件について進展がありましたので報告に参りました」

「あぁ、ご苦労だったな」


「はい。まずは、次のターゲットですが… 」


 女性はそこで報告を止めると、青年にだけ聞こえる声で話しかける。


「尾行されましたね?」


「ああ… 本屋からな。気配を消していないから素人だろう…。奴らの仲間かと思ったが、どうやら違うようだな…」


「始末しましょうか?」

「いや、放っておけ。今騒ぎを起こす訳にはいかないからな……。それに……」


「かしこまりました」

「だが、これ以上、話を聞かれるわけにもいかない…… な!」


 二人は突然俺の方向を向く。明らかに俺の存在を認知していた。俺は一瞬で危険を感じ取ると、一目散に逃げ出す。


(やっぱり、柄にもないことをするんじゃなかった! ……でも、仕方ないだろう! あんなヤバそうな雰囲気を出していたら、誰だって気になるだろう!!)


 俺は頭の中で迂闊な行動をとった自分を責めながら、全力で狭い路地を走り続ける。

 肺が痛くなり心臓が悲鳴を上げているが、それでも俺は足を止めず大通りまで走った。


「はあっ…… はあっ……」


 大通りに出た俺は息を整えてから、周囲を見渡す。

 青年と女性の姿は無い。どうやら、逃げることに成功したようだ。


(逃げ切れのか……。いや、見逃されたというべきか……)


 とにかく命を危機から逃れた俺は、安堵のため息を漏らす。

 その時、後ろから声をかけられる。


「おい、お前!」

「はいっ!!」


 俺は慌てて振り返ると、そこには悠と亜美さんが立っていた。

 姉のほうがニヤニヤしているので、声を掛けたのはこっちだろう。


「その慌て方からして、裏路地でいちゃつくカップルを覗いて、バレて逃げて来たんだろう? 軽犯罪だぞ!」


 亜美さんは何故か警察口調で言ってくる。


「違いますよ!」

(いや、覗きという点では、違わないか……)


「じゃあ、何をしていたんだ? 言ってみろ」

「それは……」


 俺は返答に困り言い淀む。まさか本当の事を言えるはずがない。

 しかし、亜美さんのこの警察口調… 腹立つな! 俺はそう思いながら、どうすればいいのか考える。


 すると、亜美さんが急に真面目な表情になって、俺に注意喚起をしてきた。


「智也君。最近失踪事件とか起きて危険だから、あまり人通りが少ない所に行くのはダメよ?」


「えっ……、はい」

(もしかして、心配してくれてた?)


 亜美さんの言葉を聞いて、俺は少し嬉しくなる。


「お姉ちゃんの言うとおりだよ、智也。男の人も失踪しているみたいだから、気をつけないと…… 智也が思っているより、私達の世界には危険がいっぱいなんだよ」


 悠も亜美さんの意見に賛同して、俺に注意を促してきた。


「そうだな… 今度からは気をつけるよ…」


 俺は二人の気遣いに、素直に返事をする。


「でっ? 本当は路地裏にエロ本探しに行っていたんでしょう?」


 亜美さんは俺の肩に手を置くと、優しい笑顔で質問してくる。


(この人酒を飲んでなくても、下ネタ&セクハラ発言するんだな…)


 俺は心の中で亜美さんに【残念美人】の称号を与えることにした。

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