わたしはあの日、

市村みさ希

詩/わたしはあの日、

女1  兄妹、妹

男1  兄妹、兄

女2  絵描き

男2  酒呑み

女3  ベビーカーを押す女


寂れた駅舎の待合室。

中央に石油ストーブがひとつ。


以下の順にゆっくりと人々が集まってくる。


ベビーカーを押す女。

酒瓶を持ち、少しふらついている中年男。

スケッチブックと画材道具を抱えた女。

旅支度のされたトランクを抱え、手を繋ぐ兄と妹。



女1(妹)

わたしはあの日、

青空に向けて一匹の子羊を放ちました



男1(兄)

わたしはあの日、

放たれた子羊がかつて駆けていた麦畑に立ち

地平線に向けて歩き出しました



女2(絵描き)

わたしはあの日、

地平線を跨いで地に降り立った

虹の根源を探しはじめました



男2(酒飲み)

わたしはあの日、

辿り着いた虹の地点が

暗闇に飲まれていくさまを見届けました



女1(妹)

わたしはあの日、

暗闇に映されたオリオン座の点と点を結び

愛という無機質な幽霊に触れました



男1(兄)

わたしはあの日、

幽霊のように漂い続ける風と対話をし

わたしは一体誰なのかと問答をしました



女2(絵描き)

わたしはあの日、

ぼやけていく問答が蘇る街を見下ろし

曖昧な孤独に取り憑かれました



男2(酒呑み)

わたしはあの日、

己は無力であるがまま

息を潜めて孤独な犠牲者を傍観しておりました



女1(妹)

わたしはあの日、

潔白と称した無知を学ばされ

正しい誤解を身に付けました



男1(兄)

わたしはあの日、

身に付けた誤解を解くべく

凡ゆる表情の輪郭を嗅ぎ追いました




女2(絵描き)

わたしはあの日、

凡ゆる表情の輪郭と対面した代償に

人間に追われました




男2(酒呑み)

わたしはあの日、

人間が生み出す病によって

有限の枠組みを観察しました 




女1(妹)

わたしはあの日、

有限の枠組みの中で

人生を数え始めました




男1(兄)

わたしはあの日、

数え始めた人生において

千の忠をを見出し 光を灯しました



女2(絵描き)

わたしはあの日、

灯した光に普遍的な安寧を願いました



男2(酒呑み)

わたしはあの日、

安寧と安楽を求め神と争いました



女1(妹)

わたしはあの日、

争いに疲れ 肉体の安息を選びました



男1(兄)

わたしはあの日、

肉体の安息を選び

膨大な歴史を魂に宿らせました



女2(絵描き)

わたしはあの日、

膨大な歴史の足跡を廻り

地を這い進むことにしました



男2(酒飲み)

わたしはあの日、

振り返った地に残された

不自然な足跡を確認し 不在を誓いました



女1(妹)

わたしはあの日、

かぷかぷと笑う不在者の声が心地よく

還ることを祈りました


男1(兄)

わたしはあの日、

円環の祈りを紡ぎ

その輪の影を失いました


女2(絵描き)

わたしはあの日、

失った影を引き連れて

人工物の間を彷徨いました


男2(酒呑み)

わたしはあの日、

彷徨い続ける空虚の祭囃子に

憂えておりました


女1(妹)

わたしはあの日、

彷徨い憂う視線の先で

青い硝子を見つけました



女3(ベビーカーの女)

わたしはあの日、


男1(兄)

手にした青い硝子から

一艘の小舟を作りました


女3(ベビーカーの女)

わたしはあの日、


女2(絵描き)

小舟の先頭に立ち

お月さまに向かって漕ぎ進めました


女3(ベビーカーの女)

わたしはあの日、


男2(酒呑み)

くたびれた肌着で仕立てた白旗を

お月さまに掲げました


女3(ベビーカーの女)

わたしはあの日、


女1(妹)

掲げた白旗を再びやさしく身に纏い

共に眠りにつきました


女3(ベビーカーの女)

わたしはあの日、


男1(兄)

あざやかな眠りの中で

かつて放った子羊を見つけました


女3(ベビーカーの女)

わたしはあの日、


女2(絵描き)

かつて放った子羊と共に

月夜の海を漂いました



男2 わたしはあの日、


女1  わたしはあの日、


男1  わたしはあの日、


女2  わたしはあの日、




女3  わたしはあの日、


男1  かつて駆け抜けた麦畑に


女1  かつてくぐり抜けた虹の根源に


女2  不在者の声と

 

男2  歴史の残像を背負い




女3  わたしはその日、


男1  子羊を連れて


女1  地平線に向けて


女2  手放した無に向けて


男2  再び歩き出しました



人々の背後には大きな満月。

そこに向かって手を伸ばす人々。

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わたしはあの日、 市村みさ希 @kikakunigayomogi

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