エピソード30

「……暑い……」

空港を出た私はそう呟いた。

もう夏は終わったはずなのに……。

今、ここは夏真っ盛りだ。

「やばっ!!汗で眉毛消えそう!!」

私の隣では、麗奈が手鏡を覗き込みながら大騒ぎしている。

そんな麗奈を見て私は気付いた。

「麗奈」

「うん?なに?」

「花、変わってない?」

「気付いた!?」

……確か飛行機に乗った時まではコスモスだったはず……。

それが、ハイビスカスに変わっている……。

「これ、沖縄バージョンなの!!」

頭に咲いているハイビスカスを指差して楽しそうに笑う麗奈。

全く期待を裏切らない麗奈に私まで楽しい気分になってしまう。

「美桜もつける?」

麗奈が制服のポケットを探り始めた。

……え?

私も頭にハイビスカスを咲かせるの!?

そ……それはちょっと……。

……でも……。

麗奈がポケットから取り出したのはハイビスカスじゃなかった。

淡いピンクの小さな花。

「美桜は“桜の花”って感じなんだよね」

麗奈は私の手首に桜の花のゴムをつけた。

「……これ……私のために?」

「うん!!約束してたから!!」

「麗奈」

「うん?」

「……ありがとう」

「うん!!」

飛行機の席も私の隣に麗奈、前のシートに海斗とアユムが座った。

教室の席順と同じ……。

飛行機が離陸してすぐ海斗が言った。

『タバコ吸いてぇ』

『吸える訳ないじゃん!!』

私も麗奈もアユムも海斗の言葉を笑って流していた。

……その数分後……。

『……なんか……』

麗奈が溜息を吐いた。

『どうしたの?』

『……私もタバコが吸いたいかも……』

『……はい?』

『だろ?』

海斗がわざわざ振り返ってシートの背もたれから身を乗り出してきた。

『うん!!かなり!!』

『どっかで吸えねぇかな?』

『……吸える訳ないじゃん』

『大人しく座ってろよ』

アユムが海斗を強制的に座らせた。

その後も麗奈と海斗は黙る事はなかった……。

『……タバコが吸いたい……』

『タバコ吸いてぇ……』

溜息と共に繰り返される言葉に、私とアユムもすぐに洗脳されてしまった……。

海斗に洗脳された麗奈。

海斗と麗奈に洗脳された私とアユム。

吸えないと思うと余計に吸いたくなる。

私達は瞳を閉じて一生懸命我慢した。

我慢しすぎてそのまま寝てしまった。

起きた時には、すでに飛行機は那覇空港に到着していた。

『おい!起きろ!!着いたぞ!!』

西田先生に起こされるとクラスメート達の殆どが飛行機から降りた後だった。

『やばっ!!私トイレ行ってくる』

麗奈が慌ててトイレに向かった。

この時、麗奈の頭には、まだコスモスが咲いていたはず……。

それがいつの間にかハイビスカスに代わっていた。

麗奈が私の為に選んでくれた桜の花。

私の手首に小さなピンクの花が3輪。

その桜の花は私が動く度に小さく揺れていた。

今まで修学旅行っていうイベントに参加したことはないけど……。

聖鈴の修学旅行には驚きの連続だった。

空港に着いてすぐにクラスごとに集められた私達。

そこで西田先生が言った。

『夕食は19時からだから18時30分までにホテルに戻ってくるように。解散』

……。

……はい?

ちょっと待って……。

「……解散ってなに?」

私は隣にいた海斗の腕を掴んだ。

腕を掴まれた海斗は驚いた表情で私を見た。

「解散は解散だろーが」

「……修学旅行ってみんなでいろんな所を見てまわるんじゃないの?」

「普通はそうかもな」

「普通?聖鈴は普通じゃないの?」

「お前、編入する時に聞いてねぇのか?」

「なにを?」

「聖鈴は成績さえ良ければいいって」

「聞いた」

「だろ?本当は学校行事なんてなくてもいいんだ。でも、学校行事が一切無かったらうるさいんだよ」

「なにがうるさいの?」

「教育委員会。中等部は一応、義務教育だからな。だからってみんなで歴史的な場所を巡っていたら参加者がいなくなるだろ?」

「……確かに」

私だって単位がギリギリじゃなかったら参加しなかった。

私の他に単位がギリギリで仕方なく参加した人なんていないはず。

「だから聖鈴の修学旅行は現地に着いたら殆どが自由行動なんだよ」

「……そうなんだ。……っていうか、移動はどうするの?バスとかないんでしょ?」

「なんの為に班が4人だと思ってんだ?」

海斗が心底呆れたように言った。

「……?」

班と移動手段とどういう関係があるの?

「タクシーに乗るために決まってんだろーが」

……さすが私立……。

修学旅行の移動がタクシーなんて聞いたことがない。

私の感覚じゃ付いていけない……。

……もしかしたら、蓮さんやケンさん、ヒカルや海斗の感覚がズレてるのは聖鈴の所為かも……。

「お腹空いた!!ご飯行こうよ~」

海斗の話を聞いて唖然としている私の腕を麗奈が引っ張った。

「飯、行くか」

海斗が辺りを見回して当たり前のようにタクシーを呼び止めた。

タクシーの助手席に海斗が乗り込み、呆然としていた私は麗奈に後部座席に押し込まれた。

運転席と助手席のシートの間から身を乗り出した麗奈が「国際通りへ!!」と行き先を告げタクシーは動き始めた。

車内で「お腹空いた!!」と連発する麗奈と「タバコ吸いてぇ」と連発する海斗。

制服姿のクセにタクシーの運転手さんに「タバコ吸っていい?」と聞こうとした海斗の口をアユムがすかさず塞いだ。

不思議そうな表情をした運転手さんに「気にしないでください」と爽やかな笑顔を浮かべたアユム。

……さすがアユム……。

しっかり者のアユム。

私達と同じ歳なのに保護者的な存在。

そんなアユムに口を塞がれた海斗は、諦めたように大人しくなった。

目的地に着いたらしいタクシーは静かに停まり、運転手さんがメーターを止めた。

助手席に座っていた海斗が財布からお札を出して運転手さんに手渡した。

「おつりはいいです」

そう言って海斗はタクシーを降りた。

タクシーを降りた私は財布を取り出した。

「いらねぇよ」

私の行動に気付いたらしい海斗はぶっきら棒な口調でダルそうに言った。

「え?」

「お前の分は蓮さんから預かってる」

「は?」

「この前の日曜に繁華街で会っただろ?あの帰りに預かった」

いつの間に!?

あの時、私も一緒にいたのに……。

全然知らなかった。

……ん?

そう言えば……。

カフェを出る前に私はトイレに行ったんだ……。

もしかしたら、その時かな?

「海斗、帰りは俺が出すから」

「あぁ」

アユムがそう言って歩き出した。

アユムの左手は麗奈の右手をしっかりと包んでいた。

「一人でフラフラと離れて行くなよ?」

「分かってるってば!!」

アユムと麗奈の会話。

なんかアユムと麗奈って親子みたい……。

私は思わず笑ってしまった。

「おい、ボーっとしてんじゃねぇぞ」

海斗の声に我に返るとアユムと麗奈は先の方を歩いていて、海斗が少し離れたところで立ち止まり私を不機嫌な顔で見ていた。

慌てて海斗に駆け寄る。

「ご……ごめん」

「ったく……お前になんかあったら俺の責任になるんだからな」

「……うん」

……危なかった……。

迷子になるところだった。

こんな所で迷子になったらたまったもんじゃない。

“国際通り”

たくさんの店が立ち並び、たくさんの人で賑わっていた。

その中には制服姿の修学旅行生らしい子達もたくさんいる。

私達と同じくらいの子や高校生くらいの子もいる。

「ねぇ、海斗」

「あ?」

「すっごい注目されてない?」

「誰が?」

「……多分、海斗」

「俺、結構モテるからな」

海斗が不敵な笑みを零した。

……あんたの自慢話はいいから……。

……確かにウチとは違う制服の女の子達が騒いでいるのは分かる。

「男の子にもモテるの?」

「はぁ?俺は男には興味ねぇよ」

……ですよね……。

……だって男の子達が海斗の事すごく見ているんだもん……。

しかも、海斗ほどじゃないけど……。

制服を着崩して派手な髪の色のお兄さん達が……。

まぁ、見ているって言うより睨んでいるって言った方が正しいんだけど……。

「気にすんな」

そんな男の子達が気にならない様子の海斗。

眠そうに欠伸をしながら、ダルそうに歩いている。

『気にするな』って言われても。

気になるし!!

やっぱり、その銀髪と制服がダメなんだよ!!

かなり目立ってんじゃん!!

目立ち過ぎて、早速、敵だらけじゃん!!

……なんかイヤな予感がする……。

「海斗!急ごう!!麗奈達が待ってる」

私は足を速めた。

このイヤな予感が外れて欲しい。

……でも、残念な事に私のイヤな予感は外れた事がない……。

ダルそうな海斗を引っ張ってなんとか麗奈達に追いついた。

追いついてすぐに私たちは食堂に入った。

麗奈が雑誌で調べてくれていた食堂。

美味しいと評判らしい。

「美桜、何食べる?」

隣に座った麗奈がメニュー表を見つめながら言った。

「しょうが焼き定食」

「「「はっ?」」」

3人の声が重なってみんなの視線が私に向けられた。

「な……なに?」

私また変な事言った?

「なんで沖縄に来てしょうが焼きなんだよ?そんなのいつでも食えるだろ」

海斗が呆れたように言った。

「そうだよ。せっかく沖縄に来たんだから沖縄料理を食べなよ!!」

そ……そうか……。

……そうだよね……。

「じゃあ、ゴーヤチャンプル定食」

「あっ!!私も!!」

「俺、沖縄そば」

「俺はラフテー定食」

……ラフテーって何?

私の疑問を他所にアユムが店員さんに注文した。

「ここでタバコ吸ったらバレると思う?」

海斗がアユムの顔を見た。

「当たり前だろ……」

「だよな」

海斗が肩を落として目の前のグラスを口に運んだ……瞬間、お茶を吹き出した。

海斗の正面に座っていた私はまともにその飛沫を受けてしまった……。

「ちょっと!?」

「だ……大丈夫?紺野さん……」

「きゃはは!!なにやってんの?海斗!マジウケる!!」

焦る私と心配してくれたアユムとお腹を抱えて大爆笑する麗奈。

海斗は驚いた様子でグラスを見つめていた。

「どうした?海斗?」

アユムがテキパキと私にハンカチを渡しテーブルを拭きながら海斗を見た。

「……甘い……」

「甘い?お茶がか?」

「あぁ」

はぁ?

お茶が甘い?

これ、麦茶でしょ?

甘い訳ないじゃん!!

グラスを持ったアユムが口に運んだ。

「本当だ、甘い」

私と麗奈は顔を見合わせてグラスに手を伸ばした。

「本当だ」

「なに?これ、美味しい!!」

そのお茶は紅茶みたいな味がした。

「美味しい!!」と騒ぐ私と麗奈。

「俺、パス」

どうやら海斗は甘いものが苦手らしい……。

こんなに美味しいのに……。

『お待たせしました』

注文していた料理が次々にテーブルに運ばれてくる。

美味しそうな香りが漂ってくる。

初めて食べる沖縄料理。

ゴーヤって苦そうなイメージだけど……。

「美味しい!!」

同じ料理を注文していた麗奈が隣で感動している。

「いただきます」

私も手を合わせて、箸を伸ばした。

恐る恐る口に運んだ“ゴーヤチャンプル”。

「……美味しい……」

思っていたほどの苦味は無くどちらかと言えば好きかもしれない。

余りにも美味しくて、黙々と箸を口に運んだ。

ふと気が付くと麗奈や海斗やアユムも黙々と食べていた。

……しょうが焼き定食を頼まなくて良かった。

私は3人に心底感謝した。

美味しい料理でお腹もいっぱいになった私達。

幸せな気分に浸っていた私はすっかり忘れていた。

さっきまで感じていた嫌な予感を……。

その予感は食堂を出てしばらくして的中した。

「次はどこに行くんだ?」

「とりあえずここで買い物しよーよ!!お土産買わないと!!」

「土産なんて後でいいんじゃねぇか?」

「えー!!」

食堂を出た私達は4人で次の行動の相談をしていた。

海斗とアユムの後ろを麗奈と私が歩いていた。

だから気付く事が出来なかった。

……その異変に……。

「美桜もお土産買いたいよね?」

麗奈が私の顔を覗き込んだ。

「そうだね」

明日からは、蓮さんと一緒に観光するから明日でもいいんだけど……。

今日のうちに蓮さんへのお土産を買っておきたい。

人に何かをあげた事なんてないから、蓮さんに何を買えばいいのか分かんないし……。

麗奈だったらいいアドバイスをしてくれそうな気がする。

「麗奈、お願いが……痛っ!!……」

麗奈に一緒にお土産を選んでとお願いしようとしていた私は突然立ち止まった海斗の背中に顔面を強打してしまった。

「美桜!!……だ……大丈夫?」

驚いた様子の麗奈の声。

「……うん」

そう答えた時、私はやっと気が付いた。

その場の空気が緊迫していることに……。

「美桜、こっち!!」

顔を押さえた私は麗奈に肩を抱かれて海斗とアユムから少し離れた所に連れて行かれた。

顔の痛みが無くなった私はようやくその場の状況が飲み込めた。

海斗とアユムの正面に5人の男が道を塞ぐ様に立っている。

他校の制服を着た男達。

初めて見る制服だけど……多分、私達よりも年上だと思う。

……高校生……。

『おい、お前ら目立ち過ぎじゃねぇか?』

一人の男が口を開いた。

「あ?お前はウチの学校の風紀委員か?」

もっともな質問をした海斗。

海斗とアユムに焦った様子は無い。

ダルそうな海斗と爽やかな笑みを浮かべているアユム。

そんな二人に男達の視線は鋭さを増していく。

「……ねぇ、麗奈」

「うん?」

「なんかヤバくない?」

「そう?」

……はい?

そこは、『……そうだね……』って深刻そうに返すとこなんじゃないの?

私は海斗達から隣にいる麗奈に視線を向けた。

「うん?」

私の視線に気付いた麗奈がおどけた表情を見せた。

蓮さんと出逢ってから何度かこんな空気を感じたことがある。

張り詰めたような緊迫したような空気。

こんな空気の時には必ず血が流れる……。

「心配しなくて大丈夫だよ。いつもの事だから」

「え?」

こんな言葉を前にも聞いた事がある。

誰が言ってたんだっけ?

「海斗がカラまれるのはいつもの事だから」

「……?」

「目立ち過ぎだよね」

笑いながら海斗とアユム達に視線を向けた麗奈。

その瞳はキラキラと輝いている。

「……もしかして、麗奈楽しんでる?」

……まさか……。

……そんなはずないよね!?

恐る恐る尋ねた私。

「当たり前じゃん!!」

「……はぁ?」

「海斗とアユムが負けるはずのないケンカなんだから楽しいに決まってるでしょ?」

「ア……アユムもケンカとかするの?」

「うん!!海斗とツルむならケンカなんて日常茶飯事だし」

……ウソでしょ!?

アユムは私達の保護者なのに!?

あんなに爽やかなのに!?

……信じられない……。

『場所変えようぜ。ついて来いよ』

男達が細い路地に向かって歩き出した。

顔を見合わせた海斗とアユム。

二人は楽しそうに瞳を輝かせている。

指の関節をボキボキと鳴らす海斗と肩を押さえて腕をグルグルとまわすアユム。

じゅ……準備運動!?

海斗が私達の方に近付いて来た。

「ちょっと行ってくるけど……お前達どうする?」

……『どうする?』って言われても……。

「行く!!」

麗奈が元気いっぱいに答えた。

よほど見たいらしい麗奈。

「離れたところから見ていろよ」

「うん」

海斗はそういい残すとアユムの方に歩き出した。

「海斗!!」

麗奈みたいにこの状況が楽しめない私。

「なんだ?」

立ち止まって顔だけ振り返った海斗。

呼び止めたけど何を言おう……。

「『ちょっと』ってどのくらい?」

何を言っていいのか分からない私は自分でも恥ずかしくなるようなすっ呆けた質問をしてしまった……。

「5分で終わらせる」

私のどうでもいい質問に答えてくれた海斗。

……5分……。

……本当に『ちょっと』だ……。


男達と海斗とアユムが細い路地に入ったのを確認してこっそりと動き出した麗奈。

その姿はまるでテレビのドラマに出てくる探偵か尾行中の刑事みたいだった……。

そんな麗奈の後ろにピッタリとくっ付いている私。

なんの事情も知らない人から見たら、私達はものすごく挙動不振な怪しい二人組に違いないと思う……。

……でも、今はそんな他人の目なんか気にしている場合じゃない……。

細い路地を進んで行くと奥の方から怒声が聞こえてきた。

海斗やアユムの声じゃないから多分、さっきの男達の声だろう……。

その時、私のポケットの中で電子音が響いた。

焦ってケイタイを取り出すと液晶には蓮さんの名前が映し出されていた。

その名前を見て一気に緊張感が解けて安心感に包まれた。

慌てて通話ボタンを押そうとしたけど……。

……この状況でケイタイを取ってもいいのだろうか……。

「美桜、ケイタイ取らないの?」

私の手の中にあるケイタイを覗き込んだ麗奈が言った。

「今、ケイタイに出たら蓮さんが心配するかも……」

蓮さんと今話したら間違いなく男達の怒声が聞こえてしまう。

そうなれば、蓮さんに海斗がケンカしているってバレて……。

心配した蓮さんが何か私が予想も出来ないような事をするような気がする……。

「でも、ケイタイを取らない方が神宮先輩は心配するんじゃない?」

「……そうだよね」

「とりあえず、あの声をどうにかすればいいんだよね?」

まぁ、あの怒声が無かったら蓮さんに今起きている出来事は隠せるかもしれない……。

「うん」

「分かった!!」

麗奈が私の腕を掴んで歩き出した。

「ちょっ!!れ……麗奈?」

そ……そっちは乱闘中じゃ……。

怒声が大きくなって乱闘現場がすぐ近くって事が分かる。

角を曲がるとそこには……。

呼吸さえ乱れず余裕の表情の海斗とアユム。

その足元に転がっている男が二人……。

「ねぇ!!海斗!!」

乱闘中の海斗に麗奈が声を掛けた。

「どうした?」

ちらっと麗奈に視線を向けた海斗。

「神宮先輩から電話なんだけどその男達の声が煩くて電話が取れないの。ちょっと静かにしてもらうように言ってくれる?」

……ちょっと待って!!

その人達はお願いしたら静かにしてくれるの!?

「あぁ、分かった。あと1分待っていてくれ」

「はーい!!」

手を上げて返事をした麗奈。

「1分後にかけ直して大丈夫かな?」

麗奈が私を振り返った。

「……え?う……うん」

1分ぐらいだったら『トイレに行っていた』とか言えるし……。

……でも、1分後にこの場が静かになっているとは思えない……。

海斗があの男達に『静かにしてください』ってお願いする姿なんて想像できないし……。

あの男達が1分で黙るなんて無理だと思うけど……。

「アユム、ちょっとこいつらに静かにして貰おうぜ」

少し離れた所にいるアユムに声を掛けた海斗。

「そうだな」

アユムが爽やかな笑みを浮かべた。

や……やっぱりお願いするつもりなの!?

今までの会話を聞いていた男達も顔を見合わせて怪訝そうな表情をしている。

そんな男達を他所に海斗とアユムが動いた。

その動きが速すぎて何がどうなったのか分からなかった。

二人が動いたと思ったら次の瞬間には男達はみんなお腹を押さえて蹲っていた……。

「きゃー!!アユム、すごーい!!」

麗奈は手を叩いて感動している。

そんな麗奈にアユムは照れたように頭を掻いた。

このカップルは変わっている……。

ケンカしながら照れる彼氏と、彼氏のケンカを見て感動する彼女。

海斗が蹲った男達の中で一番権力を持ってそうな男の髪を掴んだ。

「悪ぃーんだけど。今から電話を掛けるからしばらく静かに出来るよな?」

力任せに男に上を向かせ無理矢理視線を合わせさせる海斗。

「……あ?」

男は苦しそうな表情を浮かべながらも反抗的に海斗を睨みつけた。

海斗がそんな男の顔に強烈な蹴りを入れた。

髪を掴まれていたから顔面を地面で擦ることは免れたけど男の口の端からは真っ赤な血が一筋流れ落ちた。

「静かにしてくれって俺が頼んでるんだけど。分かるよな?」

海斗が男の髪を掴んだままその場にしゃがみ込んで、男の顔を覗き込む。

……海斗……。

それって全然、人にお願いする態度じゃないんだけど……。

お願いしているって言うか、どう見ても脅迫しているようにしか見えないんですけど……。

必要以上に顔を近付けて鋭い眼つきで睨みを効かす海斗に男は顔を引き攣らせて頷くしかなかった。

「絶対に声出すんじゃねぇぞ。分かったな?」

「う……うん」

「あぁ?」

「……はい」

男が声を出さない事を約束しても海斗は、男の髪を放そうとしない。

髪を掴んだまま海斗が顔だけ私達の方を振り返った。

「静かにしてくれるそうだ」

「……ありがとう」

私のお礼の言葉に得意気な笑みを浮かべた海斗。

「美桜、早く電話しなよ!!」

麗奈に促されて私は握り締めていたケイタイで蓮さんに発信した。

『……美桜』

聞き慣れた蓮さんの声。

蓮さんと私の間にはこんなにも距離があるのに、耳元に蓮さんの声を感じる事が出来る。

今ほどケイタイというモノに感謝したことはない……。

……でも……。

今はそんな事に感動している暇は無いんだった。

さっき電話を取れなかった言い訳をしないと!!

「蓮さん……あの……さっきトイレ……」

『海斗は勝ったのか?』

「え?」

“トイレに行っていてケイタイを取れなかった”って言いたかったのに……。

その言葉を遮った蓮さん。

遮ったうえに、超能力者みたいな事を言わなかった?

『海斗がカラまれてんだろ?』

なんだか楽しそうな様子の蓮さん。

「……なんで蓮さんが知ってるの?」

まさか、ここに蓮さんがいるんじゃないでしょうね?

私は辺りを見渡した。

『ケンから連絡が来た』

「ケ……ケンさんから!?」

ケ……ケンさんが沖縄に来てるの?

『修学旅行中のケンのチームの奴らから報告があったらしい』

……あぁ、そういう事か……。

私と同じクラスじゃないけど、同じ学年にもケンさんのチームの男の子が何人かいるって聞いた事がある。

その男の子達は“B-BLAND”のメンバーじゃないから私は顔とか分からないけど……。

「……そう」

『……で?勝ったのか?』

「うん、ほぼ」

『だろうな』

どうやら、結果まで蓮さんには分かっていたらしい……。

蓮さんやケンさん達の情報網の凄さに唖然としてしまう。

『昼飯食ったか?』

「うん、食べたよ。沖縄料理かなり美味しいんだよ」

『そうか、良かったな。俺も明日が楽しみだな』

「そうだね!!」

『じゃあ、なんかあったらすぐに連絡して来いよ』

「うん。分かった」

ケイタイを閉じると私は一気に現実に引き戻された。

蓮さんとの会話に夢中になっている間に、海斗とアユムと男達の乱闘はすっかり終わっていた。

男達は全員、地面に倒れていてそのすぐ傍でタバコを吸っている麗奈と海斗とアユム。

私と同じ銘柄のタバコを吸っている麗奈がタバコの箱を笑顔で差し出している。

手に握っていたケイタイをポケットに入れた私は3人に近付いた。

制服姿で手に持っているタバコから煙を出している3人は一昔前の不良と呼ばれる人達と同じような座り方をしていた。

スカートの短い麗奈は足元にカバンを置いてしっかりとガードしていた。

そんな麗奈と同じようにその場に蹲った私もカバンでガードを固めてから、麗奈が差し出した箱からタバコを一本拝借した。

気が利くアユムがすかさずライターを貸してくれた。

「ありがとう」

麗奈とアユムにお礼を言ってから私はタバコを銜え火を点けて煙を大きく吸い込んだ。

口の中にメンソールが広がり冷たさを感じる。

麗奈と海斗に洗脳されながらも頑張って我慢した念願のタバコ。

真夏並みの日差しの中、視線を向けたくないような男達が倒れている所で吸ったタバコをいつものタバコよりも美味しく感じてしまった私。

蓮さんと出会っていろいろな人達と知り合い、私の感覚も少しずつズレ始めてきたのかもしれない……。

「神宮先輩なんか用事だったのか?」

複雑な心境の私に海斗が尋ねた。

「……用事って言うか……『海斗は勝ったのか?』って聞かれた」

「ふーん」

「はっ?」

「えっ?」

私の言葉に驚いた様子も無い海斗と驚いた表情で顔を見合わせた麗奈とアユム。

……多分、麗奈とアユムの反応の方が正しいと思う……。

「コイツと一緒にいる俺達の動きを神宮先輩が把握してない筈がねぇだろ?」

私を指差しながら海斗が言った。

「……それもそうだね……」

2人は海斗の言葉に納得したように頷いた。

……いやいや……。

納得する所じゃないから……。

そう言おうとした時、銜えタバコをしていた海斗の動きが止まった。

「……誰か来る……」

海斗が路地の先を見つめたまま物騒な事を呟いた。

「美桜!逃げるよ!!」

呆然と海斗の視線の先を見つめていた私は麗奈に腕を引っ張られた。

なんで逃げないといけないのか考える事も出来ないまま腕を引かれて走っている私。

細い路地を全速力で駆け抜ける私達にすれ違う人たちは怪訝そうな視線を投げかけてくる。

しばらくして、前を走っていた海斗が足を止めた。

「アユム、誰も付いてきてねぇか?」

私たちの後ろにいたアユムが少しだけ息を乱しながらも爽やかに頷いた。

安心したように額の汗を腕で拭った海斗が私の手を見て動きを止めた。

「おい……それ……」

海斗は私の手元を指差した。

……は?

……なに?

海斗が私の手元を指差したから、みんなの視線がそこに集まった。

「……あっ……」

自分の手元を見た私は思わず固まった。

私の手元にはしっかりと指に挟まれたタバコからゆらゆらと煙が上っていた。

「美桜!ダメじゃん!!タバコ持ったままだったら逃げても意味ないでしょ!?」

「そ……そうだね……」

私は辺りを見回して近くにあった灰皿に持っていたタバコを捨てた。

そんな私を見ていた海斗が呆れた様に呟いた。

「神宮先輩がお前の事を心配でたまらない気持ちがよく分かる……」

「……え?」

海斗の言っている意味が分からず私は首を傾げて麗奈を見た。

麗奈だったら海斗の言葉を通訳してくれるかもしれない……。

そんな淡い期待を抱いて。

「私も分かる気がする……」

……だけど麗奈は通訳をするどころか、海斗に同調してしまった……。

どういう意味なんだろう?

でも海斗も麗奈も私の疑問の答えを教えてくれる気配はない。

海斗と麗奈が楽しそうに笑い、私達のやり取りを見ていたアユムまでもが笑みを浮かべている。

状況が飲み込めない私はみんなの顔を見て首を傾げるしかなかった。


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