エピソード26
チャイムと同時に教室に入ってきた西田先生。
席を立っていたクラスメート達が一斉に自分の席に戻る。
外は青空で雲一つないいい天気。
もう9月も最後の週。
まだ日差しが強い外と違って教室の中は心地いい気温に設定されている。
……さすが私立。
この教室だけじゃなく校舎全体がそうだって知った時は驚きのあまり絶句した。
お昼ごはんを食べてお腹いっぱいな私は襲ってくる睡魔と闘っていた。
「今日は修学旅行の班決めするぞ~!!」
西田先生の声が教室に響いた。
「……修学旅行……?」
睡魔を一瞬で吹っ飛ばしてくれた西田先生に感謝しつつ私は呆然と呟いた。
私の呟きが聞こえたらしい海斗が勢い良く振り返ってきた。
「もしかして……また知らなかったのか?」
呆れた表情の海斗。
「え? マジ? 美桜?」
ケイタイでメールをしていた麗奈が視線を向けてくる。
……どうせまたアユムとメールしていたんでしょ?
アユムは前の席にいるんだから話した方が早いのに……。
なぜか麗奈とアユムは授業中よくメールをしている。
なぜそんな事をするのかも、授業中メールばかりしているのになんで成績がいいのかも私には分からない。
「4人で一班だぞ~!!ホテルは2人で一部屋だからな~!!」
「……なんで……?」
「あ?」
怪訝そうに私を見つめる海斗。
「……何でこの時期に修学旅行?普通3年のこの時期って言ったら受験控えているから修学旅行なんて行ってる暇ないでしょ?」
「俺達には受験とか関係ねぇよ」
「……は?」
「俺達は中等部に入る時に受験してるんだ。ここにいる奴はほぼ全員そのまま高等部にいくから受験なんてねぇよ」
「そ……そうか」
「ねぇ、美桜」
自分の席から身を乗り出す麗奈。
「なに?」
「修学旅行、行くでしょ?」
……できれば行きたくない。
修学旅行とか行ったら蓮さんと一緒に寝られないし……。
蓮さんと一緒だからぐっすり眠れるのに……。
「修学旅行って何日?」
「ん?二泊三日だよ」
「どこに行くの?」
「沖縄!!」
……やっぱり止めておこう……。
沖縄には行ってみたいけど2日間も蓮さんと離れたくないし……。
「私は……」
「紺野さん、行かないとヤバイでしょ?」
今まで黙っていたアユムが爽やかな笑顔を浮かべた。
「ヤバイ?」
「うん、単位」
「修学旅行も単位付くの?」
「もちろん」
……そうだった。
苦手な数学の授業中よくタバコを吸いに屋上に行っていたから単位がギリギリだったんだ……。
「……行ったらどのくらい単位が付くのかな」
「テストで合格点取れば間違いなく進級できるくらい」
いつもは爽やかなアユムの笑顔が悪魔の笑顔に見えた。
「……行く」
それから私が口を開く暇なんてないくらいの勢いで麗奈が私の班と部屋割りを決めてくれた。
部屋は麗奈と同じ部屋。
班は、私と麗奈とアユムと海斗。
いつもと変わらないメンバーだった。
どこから持ってきたのか麗奈は沖縄特集が載っている雑誌を机の上に広げ行きたい場所に印をつけていた。
そんな麗奈を爽やかに見つめるアユム。
『ケンさんに頼まれてるから』と私の警護に闘志を燃やす海斗。
海斗の気持ちは嬉しいんだけど……。
海斗のその格好の所為で他校の生徒に絡まれる確率の方が高い気がする。
「ねぇ、海斗」
「なんだよ?」
「その髪って修学旅行の時だけでも色変えたりしないの?」
「あ?しねぇよ」
「……そうだよね……」
「マナちゃんのお気に入りだもんな」
楽しそうに麗奈と沖縄特集の雑誌を見ていたアユムが爽やかな笑顔を向けた。
「……マナ?」
「海斗の彼女だよ!!」
麗奈が笑顔で教えてくれた。
「彼女の趣味なんだ」
「そんなんじゃねぇよ」
……。
『そんなんじゃねぇよ』とか言いながら顔が赤いんですけど。
海斗ってケンさん命ってイメージなのに……。
やっぱり彼女とか大事なんだ。
……でも、海斗の彼女ってどんな子なんだろう?
銀髪が好きって事は、ギャル系?
お揃いの髪色とか言わないでしょうね!?
「彼女の髪って何色?」
「あ?黒だけど」
「はぁ?黒?黒ってあの黒?」
「他にどの黒があるんだよ?」
「い……いや、他にはないけど……」
呆れたように溜息を吐く海斗。
……こいつ……。
私の事をバカにしてる気がする。
……でも、これだけは聞いておきたい!!
「ギャルなのに黒髪なの?」
「はぁ?」
海斗のグリーンの瞳がまん丸になった。
「……なによ?」
私、また変な事言った?
「マナはギャルじゃねぇよ」
「……は?」
違うの?
だって……。
「美桜、この人が海斗の彼女だよ!!」
麗奈が見せてくれた一枚のプリクラ。
銀髪の海斗と黒髪のマナちゃん。
いつもは、やる気のない表情の海斗がものすごく優しい顔をしている。
その隣にいるのは大人しそうな感じの女の子。
……確かにギャルじゃない。
……っていうかギャル系の友達もいないっぽい。
……なんでマナちゃんは銀髪が好きなんだろう?っていうくらい大人しそうな女の子。
海斗の隣でニッコリと微笑んでいる。
「なんでマナちゃんは海斗なんかと付き合っているんだろ?」
「あ?」
「へ?」
「……お前の事、今から殴るけど、ケンさんには黙っててくれるか?」
「……無理」
「一発でいいんだけど」
「……やだ!!」
私は慌てて麗奈の陰に隠れた。
「海斗、そんな事したら神宮先輩に殺されるぞ」
「そうだよ!!海斗が死んだらマナちゃん泣いちゃうよ!!」
二人の言葉にピタリと動きを止めた海斗。
舌打ちはしたけど、私を殴る事は諦めてくれたらしい。
アユム、麗奈、ありがとう!!
『よし!!みんな席に着け~!!』
西田先生の声が響いた。
助かった……。
私は海斗が前を向いた事を確認してから自分の席に着いた。
「楽しみだな~」
頭の中はすでに沖縄一色に染まっているらしい麗奈。
沖縄に行く時は頭の花はなんだろう?
……ハイビスカスとか?
なんかちょっと楽しみかも……。
6時限目の授業終了のチャイムと同時にポケットの中のケイタイが震えた。
教室の窓から下を覗くと昇降口の真ん前に停まっている蓮さんの白いベンツ。
「あっ!!蓮さんだ!!」
私は自分のカバンを掴んだ。
「バイバイ!!美桜!!」
「急ぎ過ぎてコケんなよ」
「うん!バイバイ!!」
麗奈と海斗の声とアユムの爽やかな笑顔に見送られて私は教室を出た。
三階から一気に駆け下り昇降口を目指す。
心臓が猛スピードで動いている
この瞬間が好き。
今から蓮さんに会えるから。
朝、この階段を登る時とは正反対の気持ち。
靴に履き替える時間さえももったいない気がする。
焦る気持ちを抑え靴を履いて、昇降口に視線を向けると視界に飛び込んでくる白いベンツとその車に寄り掛かる人影。
その姿を目指して再び駆け出す。
「蓮さん!!」
私の姿を捉えた蓮さんの表情が変わる。
鋭く威圧的な表情から優しく穏やかな表情に……。
「おかえり、美桜」
その言葉で私の全てが安心感で包まれる。
「ただいま」
「楽しかったか?」
私の顔を覗き込む蓮さん。
「うん」
「そうか」
漆黒の瞳が嬉しそうに細められる。
蓮さんが嬉しそうだとなんだか私も嬉しい。
「うん!!」
◆◆◆◆◆
「来月、修学旅行があるの」
蓮さんと夕食を食べに来たトンカツ屋さん。
蓮さんが、注文を終えたのを見計らって私は口を開いた。
タバコを銜えようとしていた蓮さんの手が止まった。
「そうか」
そう言ってタバコを銜えて火を点けた。
「うん」
「どこに行くんだ?」
「沖縄」
「どのくらい?」
「2泊3日」
「いつから?」
「……」
「……?」
「いつからだっけ?」
「……いや、俺が聞いてるんだけど」
……忘れてた。
……聞くのをすっかり忘れちゃった……。
行き先と日数が気になっててすっかり忘れていた。
これは正直に言うべきだろうか?
それとも、ごまかすべき?
どっち!?
どうしよう……。
蓮さん、すっごい私の事を見ているし……
ごまかしたいけど、また噛んだら恥ずかしいし……。
噛まなければ良いだけの話だけどそんな自信もない。
ここは正直に話した方が……。
「……あ……あの……」
……やってしまった……。
口を開いて速攻噛んでしまった……。
「分かんねぇんだな?」
「……はい」
蓮さんが笑いを堪えている姿を見てごまかす事は完全に諦めた。
最高に格好悪い自分に私は溜め息を吐くしかなかった。
「お前、本当に分かりやすいな」
口の端を片方だけ上げて鼻で笑う蓮さん。
今まで『何を考えているのか分からない』って言われ続けて来た私が蓮さんから見れば『ものすごく分かりやすい』らしい。
それは蓮さんが私の事をいつも見てくれている証拠。
「……本当は行きたくないの」
小さな声で呟いた。
「なんで?」
灰皿に灰を落とそうとしていた蓮さんの動きが止まった。
「一人で眠る自信がないの」
私を見つめる漆黒の瞳から視線を逸らして答えた。
……これは私のワガママ。
組長と交わした約束。
『友達とたくさんの思い出を作りなさい』
そう言われて私は『はい』と答えた。
私が修学旅行に行かなかったら、その約束を破ってしまう事になる。
それを蓮さんが許してくれるはずがない。
……言った後に私は後悔した。
……数秒前の自分の言葉を取り消したい……。
「行かなくていい」
優しく穏やかな蓮さんの声。
「……え?」
想像していたのは蓮さんの低い声。
叱られる事を覚悟していた私は思わず視線を上げて蓮さんに向けた。
「行きたくねぇなら無理して行かなくていい」
蓮さんは優しい笑みを浮かべて私を見つめていた。
「行かなくてもいいの?」
「あぁ」
聞き間違いかと恐る恐る確認する私に蓮さんは頷いた。
……そっか。
行かなくてもいいんだ……。
そう思うと不思議と今まで重かった気持ちが軽くなった。
『お待たせしました』
店員さんが運んで来てくれたトンカツ。
お店に入ってすぐは気分的にも全然お腹が空いてなかったのに、気持ちが軽くなった途端、空腹感を感じてきた。
「いただきます」
両手を合わせて、箸に手を伸ばした。
揚げたてのトンカツに箸を付けようとした時に重大な事を思い出した。
「……単位……」
すっかり忘れていたけど……。
私は修学旅行に行きたくない以前に絶対に行かないといけない理由があったんだ。
「なんだ?」
「なんでもない」
……言えない……。
『苦手な数学の授業をサボって屋上でタバコを吸っていました』
……なんて言えるはずがない……。
「美桜」
「……はい?」
「今『単位』って言ったよな?」
「い……言ってません」
「ふーん、そうか」
「は……はい」
「……なら、なんで噛んでる上に敬語なんだ?」
「……?」
蓮さんの言葉を理解できない私は首を傾げた。
そんな私に蓮さんは大きな溜め息を吐いた。
あれ?
私、また呆れられてる?
「お前、気付いてねぇの?」
「何に?」
「嘘を吐いたり動揺した時にだけ俺に対して敬語を使ったり噛んだりする癖」
はぁ?
そうなの?
いや……これは罠かもしれない。
私そんな癖なんて……あるかも……。
思い当たる事があり過ぎる!!
「……やっぱり『単位』って言いました」
「だよな」
「はい」
「その続きはなんだ?」
「ねぇ、蓮さん」
「ん?」
「今から私が言う事を聞いても絶対に怒らないって約束してくれる?」
「その内容次第だな」
「じゃあ、無理」
「あ?」
……話す前から眉間に皺が寄ってるじゃん。
これは、間違いなく閻魔大王コースだ。
「……」
「言わねぇなら間違いなく怒るけどな。話せば理由次第では怒らねぇんだ。どっちがいい?」
出た!!
究極の選択。
……出来れば怒られたくなんかない。
……っていうか、どっちを選んでも怒られるんじゃ……。
それだったら、話した方がいいような気がする。
「……修学旅行に行かないと単位がギリギリで……」
「ギリギリ?お前、毎日学校に行ってるじゃねぇか」
「行ってるのは行ってるんだけど……」
「だけど?」
蓮さんの眉間の皺が一層深くなった。
「……時々、サボったり……とか?」
「本当に時々か?」
「え!?えっと……数学の授業はほとんど……」
「数学?」
低い声に私は慌てて蓮さんから視線を逸らした。
今、絶対、蓮さんは閻魔大王に変身したはず。
自分の膝に視線を落とした私の耳にいつもより大きな溜め息が届いた。
どうしよう。
かなりのお怒りモードだ。
こんな事になるなら真面目に数学の授業を受けておけばよかった。
「美桜」
「は……はい!!」
「1日だけ頑張って行ってこい」
「え?」
「一泊だけして2日目の朝、体調が悪くなったと言って西田から俺に連絡させろ。単位の事は俺が西田に話をつけてやる」
「う……うん。でも……」
「なんだ?」
「修学旅行の行き先は沖縄なんだけど」
「あぁ、さっき聞いた」
「私の体調が悪くなるって事は……」
「迎えに行くに決まってんだろーが」
……やっぱり……。
「『迎えに行く』って沖縄だよ!?ちょっとそこまでって距離じゃないんだよ!!」
「そうか?空港まで行って飛行機に乗ればすぐじゃねぇか」
「……」
……違う……。
私と蓮さんは感覚が違う気がする。
私がガキ過ぎるの?
蓮さんみたいに大人になればそう考えるのが普通なの?
「俺も無理だ」
「……?」
「一泊でも無理かもしれねぇ。」
「……蓮さん」
「でも、親父との約束を破る訳にはいかねぇしな。だから、我慢する。2日目の朝には沖縄のホテルに迎えに行く」
「……うん」
「その後、一緒に沖縄観光でもするか?」
「え?いいの?」
「あぁ」
蓮さんと一緒に沖縄……。
嬉しい蓮さんからの提案に私の顔が緩んだのが分かった。
私を見つめる漆黒の瞳が細められる。
優しく穏やかな笑顔。
さっきまで憂鬱だった修学旅行が一瞬で楽しみになった。
「それだけか?」
「……?」
「お前が不安な顔している原因」
「不安?私が?」
「今日迎えに行った時から不安そうな表情をしてた」
蓮さんが目の前のビールのグラスを口に運んだ。
……私、そんな顔してた?
確かに修学旅行に行く事には気が進まなかった。
麗奈や海斗やアユムと沖縄に行くのはすごく楽しいと思う。
……でも、蓮さんがいない夜にあの夢を見たら……。
そう考えるとベッドに入る事さえ出来なくなってしまいそうな気がする。
……数ヶ月前の私のように。
罪を許され、罰から逃れられたと思っていた私。
それは、私の甘い考えだった。
この前、風邪をひいて熱を出した日に思い知らされた。
許されるはずがないのに……。
……私が死んで償うまで……。
でも、蓮さんの前では普通にしていたつもりだった。
いつもと変わらないように振舞って、いつもと同じように笑えていると思っていた。
「俺が気付かないとでも思ってたのか?」
悪戯っ子みたいな笑みを浮かべる蓮さん。
私を優しく見つめる漆黒の瞳。
「……」
「俺に、隠し事なんか出来ると思うなよ」
力強く、自信に満ち溢れた瞳。
私もこんな瞳を持ちたい。
力強く、自信に満ち溢れた瞳を……。
そう思った時、私の中に小さな想いが芽生えた。
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