エピソード27
トンカツ屋さんを出た私と蓮さん。
マンションに帰り一緒にお風呂に入った。
お風呂を出た後、リビングのソファに座った私に蓮さんは、缶ビールを差し出してきた。
「……明日、学校なんだけど……」
私はそう呟いた。
「たまには付き合えよ」
「……?」
……一人で飲むのが寂しいのかな?
そう思った私は少しだけ蓮さんに付き合うことにした。
「修学旅行の班、決まったのか?」
缶ビールを口に運びながら蓮さんが聞いた。
「うん、麗奈と海斗とアユム」
「……いつもそのメンバーだな」
蓮さんは鼻で笑った。
「そうなの」
「麗奈はアユムと沖縄の雑誌見て張り切ってたし、海斗は私の警護するって張り切ってた」
「相変わらず海斗はケンに従順だな」
「海斗がケンさん命なのは分かるけど……」
「ん?」
「海斗の銀髪にあの格好だったら、他校の生徒にカラまれまくると思うんだけど……」
「あんな格好?」
「見たでしょ?海斗の制服姿」
「あぁ、あれな」
私の言いたい事を理解してくれたらしい蓮さんは苦笑気味。
「だから、今日『髪の色変えたりしないの?』って聞いたの」
「海斗は変えないって言っただろ?」
「なんで分かるの?」
「海斗は“ケン命”だからな」
「……?どういう意味?」
「あの銀髪も制服の着崩し方も昔のケンと同じだ」
「そうなの?ケンさんも銀髪だったの?」
「中等部の頃から俺がチームを引退するまで銀髪だった」
……銀髪のケンさん……。
なんか、ケンさんっていったら金髪って感じだから想像できない。
「海斗は絶対にあの髪の色もあの格好も止めないと思うぞ」
「……そうだね」
「海斗ならカラまれても大丈夫だ」
「うん?」
「空手の黒帯持ってんだ。その辺にいる奴には負けねぇよ」
「黒帯!?」
「あぁ、ケンが言っていた」
「……」
そう言えば葵さんも格闘技を習ってるみたいなことを言っていたような……。
「そんなに不安なら組の奴を警護に付けとくか?」
「い……いや……大丈夫!!」
私は首を大きく横に振って断った。
……シャレになんない……。
知らない土地に旅行に行ってまで黒いスーツの人達と歩くなんて……。
そんな事になったら修学旅行なんかじゃなくなるじゃん!!
確かに他校の生徒にカラまれることは無くなるけど、もっと恐い人にカラまれる気がするんだけど!?
……絶対無理!!
怖すぎるし!!
私は、取り敢えず頭の中の怖い妄想を忘れるために缶ビールを口に運び勢い良く喉に流し込んだ。
隣では、怖い妄想の原因を提供した人が鼻で笑っている。
私、ちゃんと断ったよね!?
拒否したよね!?
……まさか、私に内緒でマサトさん達を沖縄に送り込んだりしないでしょうね?
沖縄の空港で、黒いスーツの人達に取り囲まれて『姐さん、お疲れ様です』とか言われたりしないよね!?
……だめだ……。
頭の中の怖い妄想は消えるどころか、どんどん膨らんでいってしまう。
……私、もしかして妄想癖があるんじゃ……。
そんな悩みまで生まれ始めた時、蓮さんが口を開いた。
「美桜」
さっきまでとは違い低く真剣な声。
「え?なに?」
蓮さんの声は大きく膨らんだ妄想を一瞬で頭の中から追い出してくれた。
「まだ、あるんだろ?」
「……?」
「不安な事があるんじゃねぇのか?」
「……」
「言えよ、美桜」
「……」
「分かってんだろ?俺にお前が隠し事できないって」
「……うん」
蓮さんの言葉に私は素直に頷いた。
私は、蓮さんには隠し事ができない。
どんなに、いつもと同じように振舞っているつもりでも蓮さんにはすぐにバレてしまう。
だから、蓮さんは気付いていたはず……。
私の中に芽生えた小さな想いと同時に浮かんだ疑問。
その疑問の答えがどうしても分からず不安になっていた私に……。
「……分からないの」
私を見守るように見つめる漆黒の瞳。
「うん?」
私が言葉を紡ぐ事が出来るように優しく発せられる声。
「……私、強くなりたいの……」
「うん」
「でも、どうしたら強くなれるのかが分からない」
熱を出して夢を見た日、蓮さんが言った言葉。
『強くなれ、美桜』
あの日から、頭の片隅にいつもある言葉。
その言葉は、ふとしたときに頭の中に響いてくる。
ぼんやりと考え事をしている時。
ぼんやりとTVを見ている時。
眠りに落ちる瞬間。
浅い眠りの時。
『強くなれ、美桜』
幾度となく頭の中で響いた言葉。
蓮さんみたいに力強く自信に満ち溢れた瞳に私もなりたい……。
そう想った時、私の頭の中で響く言葉が変わった。
『強くなれ、美桜』から『強くなりたい』に……。
「乗り越えろ」
「……乗り越える?」
「お前が強くなるには、壁を乗り越えないといけない」
「……壁……」
「美桜の壁は、過去の傷と母親だ」
……過去の傷と……お母さん……?
その言葉に私の身体は異常なくらい反応した。
全身が強張り、手足が小刻みに震えだした。
上手く呼吸する事が出来ずに胸が苦しくなる。
……蘇る記憶……。
全身に走る痛み。
背中に何度も感じた言葉に出来ないくらいの熱さと痛み。
そして、お母さんに言われた言葉。
『あんたなんて生まれてこなければよかったのに!あんたのせいで、あたしの人生が滅茶苦茶になったのよ!二度と私の前に顔を見せないで!!』
絶対に忘れることが出来ない言葉。
私は、生まれてきてはいけなかった人間。
私の所為でお母さんの人生は滅茶苦茶になってしまったんだ……。
涙の所為で視界が白くボヤけてきた。
……苦しい……。
息が出来ない……。
この前と同じ感覚。
蓮さんに初めて話したときに呼吸が出来なくなったときと同じ……。
……苦しい……。
私はこのまま死んじゃうのかな。
「美桜!!」
私を呼ぶ声と同時に感じた力強く肩を掴む感触。
「……蓮……さん……」
「美桜、ゆっくり息を吐け」
頭では分かっているのに息を吐く事が出来ない。
苦しさに耐え切れなくなった私は俯いた。
「顔を上げろ」
蓮さんの大きな手が私の頬に添えられ顔を上げさせた。
頭の中に靄がかかったように、意識が朦朧となった時に唇に感じた温もり。
その感覚だけが鮮明に分かる。
いつもは、少しの息苦しさを感じるのに、今日は苦しさが取り除かれていく感じがする。
まるで、蓮さんの唇が私の苦しさを吸い取ってくれるように……。
口の中で優しく動く蓮さんの舌。
その動きだけに意識を集中する。
身体の強張りが解けて、震えが止まった。
ゆっくりと離れていく温もり。
閉じている瞼に感じる視線。
私は瞳を開けた。
心配そうに覗き込む蓮さんの黒い漆黒の瞳。
「大丈夫か?美桜」
「……うん」
「……私……」
「別に焦らなくてもいい。でも、いつか乗り越えて欲しい」
「……どうやって?」
「うん?」
「どうやって乗り越えればいいの?私が悪いのに……。望まれてないのに生まれてきたから……お母さんの人生だって滅茶苦茶にしちゃったのに……忘れちゃいけないんだよ?死んで償うまで……」
「死んで償う?」
そう言った蓮さんの声はものすごく低かった。
今まで私に向けられた声の中で一番低く悲しそうな声だった……。
その声を聞いて胸が痛くなった……。
私は、膝の上で手を握り締めた。
爪が掌に食い込むくらいに……。
蓮さんの顔を見ることが出来なくて握り締めた自分の手を見つめていた。
私の視界に入った大きな手。
その手が私の手を包み込んだ。
「美桜、今から俺が話す事はお前にとって受け入れがたいことだと思う。もっと先で話そうと思っていた。でも、お前の気持ちを聞いた以上そのままにしとけねぇんだ。聞けるか?」
……怖い……。
本当は聞くのが怖い。
多分、話の流れからいって蓮さんが話そうとしている事は私のお母さんの話だと思う。
出来れば聞きたくない。
聞くのが怖い。
でも、蓮さんの声があまりにも真剣だったから。
蓮さんの顔が悲しそうだったから。
……私は頷いた。
「……うん」
私の手を包み込む蓮さんの手に力が入った。
「お前の母親は再婚していて子供もいる」
「……え?」
……再婚?
……子供?
その言葉に私は頭を殴られたような衝撃を受けた。
「今、幸せに暮らしている」
「……だってお母さんは私の所為で人生が滅茶苦茶になったって……。私なんか生まれてこなければ良かったって……そう……言ったんだよ……」
「美桜が生まれてきた事は罪なんかじゃねぇんだ」
「……どういう意味?」
「産むか産まねぇかは自分で決められるんだ。妊娠したから絶対に産まないといけねぇ訳じゃない。いくつかの選択肢は必ずある。その選択肢の中から美桜を産む事を決めたのは母親だ」
「な……なんでそんなことが分かるの?蓮さんはお母さんじゃないのに……」
「この前、会ってきた」
「え?」
「施設の退所手続きの時に母親の居場所も調べた。美桜の心と身体に深い傷を残した人間だ。憎しみや怒りがないと言えば嘘になる。でも、大切なお前の母親だ。一緒に住む挨拶くらいしておきたかった」
「……」
「美桜、お前、良い名前を貰ったな」
「……?」
「誕生日、何月だ?」
「……4月」
「お前を産んだ病院の病室の窓の外に大きな桜の木があったそうだ。その満開の桜が余りにも綺麗だったから“美桜”って名前を付けたそうだ」
「……え?」
「生まれてすぐのお前を見て、その桜の花みたいに誰からも愛される凛とした美しさを持った人になって欲しいと願って付けられた名前だ」
「……お母さんがそう願ってくれたの?」
「そうだ。産まれたばかりの美桜の寝顔を見て産んで良かったと思ったって言っていた」
その言葉に涙が溢れた。
「……私は……生まれて……きても……良かったのかな?……」
蓮さんの大きな手が肩を抱き寄せ私は心地良い温もりに包まれた。
「当たり前だ」
「……私は……生きていても……いいの?……」
「何言ってんだ?俺はお前がいねぇと生きていけねぇよ」
「……蓮……さん……」
瞳から次々に溢れ出す涙。
でもこの涙は悲しい涙なんかじゃない。
蓮さんの言葉がとても優しいから……。
嬉しい涙なんだ。
「母親が美桜にしたことは簡単に許されることじゃない。俺だって一生かかっても許す事なんか出来ない。
でも、お前の母親も罪を背負って生きている。『一生かかっても償いきれない事をしてしまった』って言ってた」
「……そう。ねぇ、蓮さん」
「うん?」
「お母さん幸せそうだった?」
「どうだろうな。分かんねぇけど……」
「ん?」
「過去の自分の過ちを認めることが出来るって事は心が安定してるって事だからそれなりに幸せなんじゃねぇのか」
「……そっか。……それなら、いいや」
「美桜?」
「本当は再婚して子供もいるって聞いてショックだけど……。お母さんが今幸せならいいや」
「……美桜」
蓮さんが私の身体を少しだけ離した。
私の顔を心配そうに見つめる蓮さん。
「私の傍には蓮さんがいてくれるし……」
もし、蓮さんと出逢う前にこの話を知ったら私は自ら命を絶っていたかもしれない。
この事実はそのくらいのショックを私に与えた。
……でも、今は私を抱きしめてくれる人がいる。
『愛してる』って言ってくれる人がいる。
心地良い温もりで包んでくれる人がいる。
優しく見守ってくれる人がいる。
友達だって出来た。
今の私は昔みたいに一人なんかじゃない。
……私はお母さんの事が好き。
お母さんが今幸せならそれで良い。
どんなお母さんでも私を産んでくれたお母さんに変わりはない。
ちょっとだけでも私を『産んで良かった』と思ってくれた事がとても嬉しい。
それだけで十分だ。
「……蓮さん、ありがとう……」
「礼なんか言うな」
蓮さんが照れたように頭を掻いた。
「私、頑張ってみる」
「ん?」
「今なら壁を乗り越えれそうな気がするから」
「あぁ、でも……」
「なに?」
「一人で頑張らなくていい。俺と一緒に乗り超えればいいんだ」
「……蓮さん」
優しく穏やかな表情で蓮さんがそんな事を言うから、せっかく、止まっていた私の涙はまた溢れ出した。
「……お前」
「な……なに?」
「すげぇ泣き虫だな」
蓮さんの長い指が私の頬を伝う涙を拭ってくれる。
「……だね」
こればかりは反論が出来ない……。
蓮さんの前で何度泣いたか分からない。
その度に優しく涙を拭ってくれる蓮さん。
その優しさに甘えて私の涙腺は緩くなってしまった。
「俺以外の奴の前で絶対に泣くなよ」
「……はぁ」
「なんだ?そのやる気のない返事は」
「……え!?」
それはどういう意味なんだろう?
ここは体育会系の『はい!!分かりました!!』的な返事をした方が良かったのかな?
「お前の涙を拭くのは俺の役目だからな。他の奴に拭かせたりするなよ」
「……もしもの話なんだけど……」
「あ?」
「もし、他の人の前で泣いたらどうなるの?」
「我慢しろ」
「……我慢出来なかったらの話だから……」
「頑張って我慢しろ」
……ダメだ……。
どうやら蓮さんには例え話というモノのが理解できないらしい……。
「もし、他の奴の前で泣いて涙を拭いてもらったりしたら手加減なしで殴るから」
「……!!わ……私を!?」
「……」
な……なに?
その沈黙は……。
なんで黙り込むの?
や……やっぱり……私を殴る気なんじゃ……。
しかも、なんで私の事をそんなに見つめてんの?
……まさか、さっき私がちゃんと体育会系の返事をしなかったからすでに怒っているんじゃないでしょうね!?
「なんで、俺がお前を殴るんだ?」
「……へっ?」
「もちろん相手を殴るに決まってんだろーが」
「そ……そう」
……よかった……。
私が殴られる訳じゃないんだ!!
……。
違う!!
私が殴られなくても相手の人が殴られちゃうんだった。
しかも、手加減なしで……。
蓮さんが手加減なしで殴ったら、相手の人は……。
死んじゃうんじゃないの!?
……ってことは、蓮さんは殺人者!!
ダメ!!
……泣けない……。
絶対に泣けない!!
「我慢する!!」
「それでいい」
蓮さんは満足そうに笑った。
「俺の前ではいつでも泣いていいから」
「……うん」
「好きなだけ泣け」
優しく穏やかな笑顔の蓮さん。
その笑顔を見ただけで安心感に包まれて涙が出そうになる。
今日はいつもより涙腺が緩くなってしまってるみたい。
瞳に溜まった涙に気付いた蓮さんは私を胸に抱き寄せた。
「美桜」
「うん?」
「焦らなくていい。時間はたくさんある。いつか、お前は過去を乗り越える事が出来ると信じてる。自分の心の傷を癒す事が出来るのはお前自信だ」
「……うん」
「でも、一人で悩むな。俺はいつも隣にいる。お前が望む事ならなんだってしてやる」
「……うん」
「いつか一緒に心の底から笑おうな」
「……うん!!」
傷を癒せるのは私自信……。
過去の壁を乗り越える事が私にできるのかな?
過去の壁。
ううん、違う。
まだ“過去”じゃない。
私が本当に“過去”の出来事として捉える事が出来た時が私が壁を乗り越えた時なんだ……。
その時に私は心の底から笑う事ができる。
それがいつになるのかは分からない。
でも、蓮さんがお母さんの話をしてくれたから。
今、お母さんは幸せなんだって教えてくれたから。
私が生まれてきたことが罪じゃないって言ってくれたから。
私は生きていてもいいって言ってくれたから。
それは遠い未来じゃない気がする。
いつか心の底から笑えた時、私の隣には蓮さんにいて欲しい……。
私は心の底からそう願った。
いつも隣に蓮さんにいて欲しい。
いつまでも蓮さんの隣にいたい。
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