エピソード25

翌日、目が覚めると私の体調は完全に復活していた。

「身体が軽い!!」

ぐっすりと眠った私は朝から絶好調だった。

「よかったな」

一晩中、私の寝顔を見ていたらしく、眠そうな瞳の蓮さん。

「うん!!」

「薬、飲んで良かっただろ?」

「……はっ?」

思い出したくない記憶が蘇ってしまった。

だから、私は隣に座る蓮さんを横目で睨んでみた。

「薬を飲んだから熱が下がったんだろーが」

私の睨みなんて全く気にならないらしい蓮さんは表情を変えることもなくそう言い放った。

「そ……そうだけど……でも!!」

「うん?」

「熱は下がったんだから、薬はもう飲まなくていいよね?」

「あ?」

蓮さんの形の良い眉の間に皺が寄る。

……最近気付いた事がある……。

蓮さんの「あ?」は閻魔大王への変身の呪文らしい。

「大丈夫、心配するな。作戦は考えてある」

自信たっぷりに言い放った蓮さん。

……。

そんな事を言われても、

何が『大丈夫』なのか全然分かんないし……。

何を『心配するな』なのか意味が分かんないし……。

どんな『作戦は考えてある』のか逆に怖いし……。

薬を飲むのは食後でしょ?

……ってことは、その“作戦”ってのは毎食後に実行されるってことだよね?

しかも、一日三回も!?

「……無理」

「頑張れ」

「……頑張れない……」

「あ?」

ひぃぃぃっ!!

こ……怖い!!

「頑張れるよな?」

至近距離にある再び眉間に皺の寄った閻魔大王の顔。

「……」

「美桜」

「……はい」

「頑張れるよな?」

「……」

「頑張れるのか、頑張れねぇのかどっちなんだ?」

「……もし、頑張れないって言ったら……」

「あぁ?」

「……頑張ります」

「だよな」

満足そうに笑った蓮さんは、やっと人間に戻ってくれた。

今日から三日間地獄の日々が始まるんだ。

しかも、運が悪いことに今日は土曜日だから今日と明日は、私も蓮さんもお休み。

24時間一緒にいるから私は蓮さんの作戦にまんまと嵌ってしまうんだ。

……でも、月曜日は?

私は祝日でお休みだけど……。

蓮さんは?

もし、お仕事なら別行動だから……。

月曜日は薬を飲まなくてもいいんじゃない!?

「ねぇ、蓮さん」

私は、人間に戻って優雅にコーヒーを飲む蓮さんの顔を見た。

「うん?」

「月曜日ってお仕事?」

「本当は休む予定だったけど急ぎの仕事が入ったから……」

「事務所に行かないといけないの!?」

蓮さんの言葉を遮った私を怪訝そうな顔で見る蓮さん。

「あぁ」

……よかった……。

月曜日は薬を飲まなくていいんだ!!

「一緒に来るだろ?」

「は?どこに?」

「事務所」

事務所って……。

「無理!!」

「なんで?」

今『なんで?』って言った?

……っていうかこっちが『なんで?』って聞きたいし!!

「なんで私が事務所に行くの?」

「あ?俺が事務所に行くからだ」

「別に、私はここで留守番してれば良くない?」

「危ねぇだろが」

「……はい?」

なにが危ないの?

誰か乗り込んで来たりするの?

窓から銃撃されたりするの?

あぁ!!分かった!!

私が一人でここにいる時、誰か乗り込んで来て、私を攫って行くんじゃ……。

……でも……。

……私を攫ってどうするんだろう?

「私、攫われるの?」

「は?」

「攫われたらどうなるの?」

「……」

「殺されるとか?あぁ!!外国に売られるとか?」

「……」

「でも、私なんか売ってもそんなにお金にならないと思うけど……。大丈夫なのかな?」

「……ぶっ!!」

なんでこの人は吹き出してんの?

私がすごく心配してんのに……。

「蓮さん?」

「お前本当に面白いな」

漆黒の瞳を細めて大笑いする蓮さん。

「面白い?」

「誰の心配してんだよ?」

「へ?」

「普通、自分の心配すんだろ。なんで自分を攫った奴の心配をしてんだよ?」

「……」

そう言われてみれば……。

「それに、お前がここにいて攫われる事なんかねぇだろ」

「……?」

「このマンションの最上階には限られた人間しか入れねぇんだ。なんの為にここの階を全部買い取っていると思ってんだ?」

「へ?買い取ってる?」

「言ってなかったか?」

「……聞いてない……」

このマンションの最上階には蓮さんの部屋と別にもう一部屋ある。

……そう言えば最上階のフロアーで人とすれ違ったことなんて無い気がする……。

「もう一部屋も蓮さんの部屋なの?」

「いや、もう一部屋は組が管理している」

「組の人が住んでるの?」

「住んでるんじゃねぇよ。たまにマサトが仮眠してるけどな」

「それって勿体無くない?」

「そうだな。でも、あの部屋は緊急用だからな。無いと困るんだ」

「緊急用?」

「こんな仕事やってるから、たまにガサが入る」

「……?」

“ガサ”ってなに?

首を傾げる私に蓮さんは少し困ったような笑みを浮かべた。

蓮さんは、「そのうち分かる」と言って言葉を濁した……。

でも、蓮さんが「そのうち分かる」と言う言葉は信用できる。

今までもそうだった。

蓮さんが「そのうち、分かる」って言ったら、本当にその後に分かるような出来事があった。

だから今回もきっとそのうちに分かるんだろう。

そう思った私はそれ以上聞かなかった。

「でも、なんで私は攫われないの?」

「お前が俺の女だって分かっていて攫おうと思うのは一部の人間だけだ」

「一部?」

「敵対している組の奴だ」

そう言った蓮さんの眼は鋭く冷たかった。

「……そっか」

「でも、心配すんな。そいつらはこのマンションには入って来れねぇし、学校の行き帰りも俺やマサトが一緒だ。繁華街にも組の奴やケンのチームの奴もいる。お前の生活圏内は安全だ」

「うん」

蓮さんの言葉に私は胸を撫で下ろした。

同時に浮かんできた疑問。

「じゃあ、何が危ないの?」

「うん?」

「さっき言ったじゃん。月曜日、私がここにいたら危ないって……」

「あぁ。火とか」

「火?」

「ガスコンロとか使って火傷とかしたらどーすんだ?」

……。

そっちなの?

そっちの“危ない”なの?

それって小さな子供が一人でお留守番をするときに親が心配する事なんじゃないの?

私は蓮さんにとって子供なの?

……まぁ、確かに“ガキ”扱いされるけど……。

……それに……。

「……私、お料理なんて出来ないからガスコンロなんて使わないし……」

「それもそうだな」

「……」

最高にテンションの下がった私を他所に蓮さんは楽しそうに笑っていた。

そんな蓮さんを見て私は盛大に溜息を吐いた。

「でも、月曜日は一緒に来いよ」

「だから、火傷の心配はいらないってば!!」

「綾さんがお前に会いたがっている」

「綾さんが?」

「あぁ、連れて来いってうるせぇんだよ。俺が事務所にいる間、綾さんと遊んでろ」

「うん!!」

綾さんに会えることが嬉しくて、大きく頷いた私を見て蓮さんは優しい笑みを浮べていた。

◆◆◆◆◆

月曜日は、学校に行く日と同じ位の時間に起きた。

二日間のんびりと過ごしたから、風邪はすっかり治った。

あんまり認めたくはないんだけど、もしかしたらお薬の効果もあるのかもしれない。

蓮さんが考えてくれていた“作戦”に毎回見事に嵌った私。

嵌った後に満足そうに笑みを浮かべる蓮さんを見てやっと気付くぐらい見事な作戦の連続。

そのお陰で残りの薬はあと少しになった。

朝食を食べた後、自分でも面白いくらいに蓮さんの作戦に嵌り薬を飲んで出かける準備をした。

いつもはスーツで事務所に行く蓮さんが今日はラフな普段着だった。

「スーツ着なくていいの?」

「今日は事務所から出ねぇからいいんだ」

「ふーん」

いつもと同じ時間に黒い高級車で迎えに来てくれたマサトさん。

その車に蓮さんと乗り込んで組長と綾さんが住む豪邸に向かった。

蓮さんの話によると組長達が住む豪邸がある広大な敷地内に組の事務所もあるらしい。

この前、滅茶苦茶緊張して通った道。

今日は窓から見える景色を眺める余裕がある。

しばらくすると車は大きな門の前で止まった。

門の外にはマサトさんと同じ黒いスーツ姿の男の人が2人立っていた。

厳つい雰囲気を纏ったその人達が蓮さんの組の人だということは一目瞭然だった。

『ご苦労様です』

その人達が私達の乗る車に向かって深々と頭を下げた。

門を抜けると至る所に立って話していた人達が一斉に車の方に注目した。

黒いスーツを着るのもこの世界の決まりなのかな?

「……怖っ……」

思わず心の声が出てしまった私。

「そうか?」

不思議そうに私を見る蓮さん。

どう見ても怖いでしょ……?

……多分、誰が見てもそう思うはずなんだけど……。

……あぁ!蓮さんは小さい時からこの光景を見てきてるから慣れているんだ。

私は一人で納得した。

車を確認した人たちが慌しく動き出した。

奥の門の前に集まってくる。

車が奥の門の前に止まった時、その人たちは整然と一列に並んでいた。

なんでこんなに綺麗に並べるんだろう?

練習とかするんだろうか?

……。

想像したら後悔した。

……怖すぎる。

私のそんな想像に気付く人がいるはずもなく、停車した車のドアが開けられる。

蓮さんが車を降りると声が響いた。

『ご苦労様です!!』

学校で響く歓声とは全く違い、低くて野太いドスの効いた声が幾重にも重なっていた。

「美桜、降りろ」

蓮さんが手を差し出してくれる。

私はその手に掴まり車を降りた。

◆◆◆◆◆

いつまでも頭を上げる気配のない人達の前を通り過ぎ私は蓮さんに手を引かれて豪邸の中に入った。

慣れた足取りでどこかに向かう蓮さん。

私達の後ろを付いてくるマサトさん。

蓮さんが一つのドアの前で足を止めた。

迷うこと無く開けられたドア。

「美桜ちゃん!!」

優しい女の人の声。

「おはようございます!!」

「おはよう」

綾さんは優しい笑顔を向けてくれた。

「親父は?」

蓮さんが私の手を引いて綾さんが座るテーブルに近付いた。

「さっき連絡が入って出掛けた。一時間で戻るって言っていたわ」

「そうか」

綾さんの真向いの椅子を引いて「座れ」と言ってくれる蓮さん。

私がそこに腰を下ろすと蓮さんも隣に座った。

「どこに行ったんだ?」

「高田さんの所よ」

「……どう考えても一時間じゃ戻って来れねぇだろ?」

「美桜ちゃんが来るって分かってるから早く帰りたいのよ」

綾さんが私の顔を見て楽しそうに笑った。

「……運転手、誰だ?」

「青山」

蓮さんは大きな溜息を吐いて「……事故んなよ……」と呟いた。

私の目の前に、マサトさんがティーカップを置いてくれた。

「どうぞ、美桜姐さん」

「ありがとうございます」

お礼を言いながらもマサトさんの言葉に違和感を感じた。

いつもは“姐さん”なのに今日は“美桜姐さん”……。

なんでだろう?

蓮さんの前にもティーカップを置くマサトさんを見つめていた。

でも、その疑問の答えはすぐに分かった。

「綾姐さん、コーヒー注ぎましょうか?」

「ありがとう」

ニッコリと微笑んでコーヒーカップを差し出す綾さん。

そうだった。

綾さんも“姐さん”だったんだ。

「美桜ちゃん、今日は私と出掛けましょうね」

優しい笑顔を浮かべた綾さんが私に視線を向けて言った。

「え?」

「あ?」

その提案に驚いた私と不機嫌そうな蓮さん。

蓮さんのこの反応からしても、どうやら綾さんの独断の提案らしい……。

「美桜を勝手に連れ出すんじゃねぇよ」

「あら?勝手じゃないわよ。ちゃんと今、言ったでしょ?」

「……は?今のはすでに決定した言い方だったよな?」

「だから?」

閻魔大王に変身中の蓮さん。

そんな閻魔大王なんてちっとも怖くなさそうな恐怖の女王。

……あの……。

二人とも眼がものすごく怖いんですけど……。

隣に閻魔大王、正面に恐怖の女王という最悪な席に座った私は肩を竦めて二人の顔をオロオロと交互に見ることしか出来ない。

この前、蓮さんが綾さんは“元ヤン”って言っていた

蓮さんが、私に嘘を吐く事はないって信じているけど、それだけはどうしても信じることが出来なかった。

……でも、今は心の底から蓮さんの言葉を信じる事が出来る……。

ニッコリと笑みを浮かべているけど眼が全然笑ってない……。

たまに、蓮さんやケンさん達もこんな眼をするけどそんなレベルじゃないし……。

綺麗過ぎる綾さんの顔。

いつもは優しい笑みを絶やすことが無いから気付かなかったけど……。

そんな眼をすると……。

綺麗な顔が一層怖さを引き立てているんですけど!?

言葉を発する事もなく無言で見つめ合う閻魔大王と恐怖の女王。

でも、絶対二人は眼で会話をしているんだと思う。

その証拠に二人の表情がだんだん険しくなっていっているし!!

……もう、無理……。

静かで、重圧を感じる雰囲気に耐えられなくなった私は綾さんの後ろの壁際に立っているマサトさんに視線を送った。

私の視線にすぐに気付いてくれたマサトさん。

『この雰囲気をどうにかして!!』

必死に瞳で訴えてみる。

マサトさんは、私に厳つい顔を崩して笑顔を見せてくれた。

伝わった!?

でも、マサトさんは動こうとしないし口を開こうともしない。

……だめだ……。

……全然、伝わってない……。

マサトさんはこの状況をなんとも思わないんだろうか?

今にも殴り合いでも始まりそうな雰囲気なのに!!

……殴り合い……?

それってヤバくない?

……もし、そうなったら私はどっちの味方をすればいいの?

……いや……違う……味方よりも止めないと!!

……っていうか、私にこの二人を止められるのかな?

……無理だ。

私なんかが閻魔大王と恐怖の女王を仲裁出来るはずがない……。

完全に平常心を失った私の視界の端でマサトさんが微かに動いた事に気付いた。

止めてくれるの!?

私は再び期待を込めてマサトさんに視線を向けた。

マサトさんは背筋を伸ばして後ろで手を組んだ。

笑顔を浮かべていた表情も真剣なものに変わっている。

そして、鋭い視線は私達が座っているテーブルに……じゃない。

テーブルを通り越しドアの方に向けられている。

……?

そんなマサトさんが頭を下げて『ご苦労様です』と言うのとドアが開く音がしたのは同時だった。

「おかえりなさい」

私の正面に座っている綾さんがドアに向かって色っぽい笑顔を向けた。

「ただいま」

優しく穏やかな声。

その声に慌てて振り返ると漆黒の瞳。

「おはよう、美桜さん」

「おはようございます!!」

隣から小さな舌打ちが聞こえた。

閻魔大王と恐怖の女王の仲裁をしたのは組長だった。

嬉しそうな笑みを零す綾さん。

さっきまでの恐怖の女王から一転して綺麗で優しい綾さんに戻っている。

隣の閻魔大王も人間に戻り何事も無かったかのように優雅にコーヒーを飲んでいた。

何も知らない組長は、いつもと同じ穏やかで優しい雰囲気を纏い綾さんの隣に腰を下ろした。

組長が気付かないほどいつも通りの二人。

その変貌ぶりに私は唖然とした。

組長にコーヒーを差し出したマサトさんさえもが何も無かったかのような表情。

「体調は良くなったかい?」

マサトさんが差し出したコーヒーを飲んで、組長が口を開いた。

「はい、もう大丈夫です」

「そうか、よかった」

私が答えると、組長が穏やかに頷いた。

それから組長は綾さんに視線を移した。

「今日一緒に出掛けるんだろ?あんまり無理をさせるなよ」

「えぇ、分かってるわ」

その時点で私が綾さんと出掛ける事が決定した。

勝ち誇ったような表情の綾さん。

それを見た蓮さんが再び舌打ちをした。

どうやら今日の勝負は綾さんの勝利らしい。

明らかに不機嫌な表情の蓮さん。

「綾さん」

そう呼び掛ける声がいつもより低い。

「なに?」

勝利が確定した綾さんはとても嬉しそう。

「運転手はマサトを連れて行けよ」

「嫌よ。今日は女同士で楽しむんだから」

「あぁ?」

「ねぇ、美桜ちゃん?」

「……」

……止めて欲しい……。

……

こんな状況で私に意見なんて求めないで欲しいんですけど……。

「マサトを連れて行かねぇなら俺がついていく」

……いやいや、蓮さんは仕事でしょ?

「だから女同士で行くって言ってんでしょ」

綾さんの声が低くなった。

「……おい」

蓮さんでも綾さんでもない低い声に私の身体はビクッと反応した。

「止めろ」

その声を私は初めて聞いた。

低い声。

静かでゆっくりとした口調だけど、その声を聞いて身体が動かなくなった。

「美桜さんが困ってるだろ」

またしても二人を仲裁したのは組長だった。

組長の低い声に睨み合っていた二人はお互いに視線を逸らした。

綾さんが小さな溜息を吐いて、蓮さんが小さな舌打ちをした。

「綾、今日の運転手はマサトを連れて行きなさい」

「え?」

「全然知らない人間が運転をしていると美桜さんも不安を感じる」

「運転なら私がするわ」

「それは危なすぎるな」

笑みを浮かべた組長が困ったように呟いた。

「美桜を殺す気かよ」

蓮さんが顔を引き攣らせた。

……危ない……?

……殺す気……?

なんかよく分かんないけど……。

綾さんの運転ってそんなに怖いの?

「……二人とも失礼ね」

綾さんは困ったように溜息を吐いた。

それから綾さんは、私に視線を向けた。

「運転は出来るのよ。ハンドルを持つとちょっと興奮しちゃうだけで……」

ニッコリと微笑んだ綾さんにまたしても見惚れてしまった。

「ちょっとじゃねぇだろ」

蓮さんが鼻で笑った。

「そんな事ないわよね?」

綾さんが一瞬、蓮さんを鋭い眼で見て組長を見た。

「親父、はっきり言えよ。それが綾さんの為だ」

綾さんと蓮さんに見つめられた組長は居心地の悪そうな困った表情を浮かべた。

そんな組長に焦れた様子の綾さんと蓮さん。

「響さん!!」

「親父!!」

組長は大きな溜息を吐いた後、咳払いをした。

「今日は、マサトを連れて行きなさい」

「……はい」

しょんぼりと肩を落とした綾さんを鼻で笑った蓮さん。

どうやら今回は蓮さんの勝利らしい。

私は、蓮さんと綾さんの戦いが怖すぎてどこに行くのかさえも聞くことを忘れていた。

その事を心の底から後悔したのはもう少し後のことだった……。

◆◆◆◆◆

『いってらっしゃいませ!!』

厳つすぎる顔の人達が頭を下げて見送ってくれる。

どう対応していいのか分からず固まる私と「行ってきまーす」と厳つすぎる人達に手を振る綾さん。

そうか!!

そう対応すればいいのか!!

……なんてできるはずないし……。

時計の針が10時を指す頃、蓮さんと組長は同じ敷地内にある事務所に向かった。

組長を見送るために綾さんも部屋を出て行き、マサトさんも私達に気を使ってくれたようで……。

部屋には私と蓮さんだけになった。

蓮さんは私の両手を大きな手で包み込んだ。

そして、私の瞳を見つめながら言った。

『美桜、もう無理だと思ったらマサトに言え。それから、俺からの電話は絶対に出ろ。もし、出なかったら……」

出なかったら……なに?

その後どんなに待ってもその続きを聞くことは出来なかった。

蓮さんは、何を言いたいんだろう?

私が首を傾げると蓮さんは優しい笑みを浮かべて頭を撫でてくれた。

単純な私はそれが嬉しくて疑問なんて吹っ飛んだ。

マサトさんがドアを開けて待ってくれている車に近付くと、いつもは蓮さんが座っている席に綾さんが座っていた。

そして、隣の空いている席を軽く叩きながら手招きしてくれた。

「美桜ちゃん、早く!!」

楽しそうな綾さんの笑顔に私まで笑顔になる。

「はい!!」

そう言って綾さんの隣に座るとマサトさんがドアを閉めてくれた。

行き先を知っているらしいマサトさんがサイドブレーキを下ろし車はゆっくりと動き出した。

この前の恐怖のドライブで小さなトラウマになっているマサトさんの運転。


私は、後ろのシートから車のスピードメーターを見つめていた。

そのメーターが示す数字は法定速度を超える事はなく、私はホッと胸を撫で下ろした。

そんな私の隣に座る綾さんが、綺麗な笑顔を崩すことなく言った。

「今日は、スペシャルコースよ」

「……スペシャルコースですか?」

「えぇ」

「……?」

なんだろう?

スペシャルコースって……。

私が首を傾げると綾さんは「お楽しみ」と妖艶な笑みを浮かべた。

最初に車が止まったのは、オシャレな感じの美容室だった。

止まった車から降りてオロオロとする私の手を引いて綾さんはその店内に入った。

『いらっしゃいませ~!!』と声を掛けた店員が綾さんの顔を見ると慌てて駆け寄ってきた。

その人が店の責任者だと言う事は綾さんとその人の会話でなんとなく分かった。

「私はいつもと同じ、この子はスペシャルコースでお願い」

綾さんがそう言うとその人の表情が輝いた。

その表情に嫌な予感を感じた。

私が案内された席に着くと5人のスタッフに囲まれた。

髪に何かを巻かれながら顔にクリームを塗られまくった。

呆然と固まる私を良いことに髪と顔を弄られまくった。

一時間程、私に掛かりっきりだったスタッフの人達がやっと手を止め満足そうな表情を浮かべて私から離れた。

鏡の中にいた私は明らかに別人だった。

艶々になった髪は毛先が綺麗に巻いてあった。

顔もいつもとは全く違うメイクが施してあった。

「可愛いじゃない」

そう言って近付いて来た綾さんの綺麗度もアップしていた。

私を囲んでいた人達が綾さんの言葉に恐縮したように頭を下げていた。

鏡を見つめる私の手を引いて綾さんが言った。

「さぁ、次行くわよ」

「え?」

綾さんは私の意見を聞く事も無く、楽しそうな表情を浮かべて足早に店を出て行く。

『ありがとうございました~!!』

その声に見送られて店を出ると黒い高級車はどこにも停まってなくて、マサトさんともう一人男の人が待っていた。

マサトさん達は、私達の姿を捉えると小さく頭を下げたものの声を掛ける事はなかった。

綾さんもチラっとマサトさん達の方に視線を向けたけど、話し掛ける事はなかった。

「あの……次はどこに……?」

私の手を引く綾さんに恐る恐る尋ねた。

「次は、あそこ」

そう言って綾さんが指を差したのは“ネイルショップ”だった。

「あの……私……」

「美桜ちゃん、早く!!」

……ダメだ……。

聞いてくれない……。

全く私の話を聞こうとしない綾さん。

私は小さな深呼吸をした。

……そして、決心した。

今日は綾さんに従おう。

ネイルショップに入る前、何気なく後ろを振り返ると人混みの中に一定の距離を保って付いてくるマサトさん達の姿があった。

ネイルショップに入った綾さんは、また「スペシャルコースで」と言った。

その言葉を聞いた店員のお姉さんは私の手と足を丹念にマッサージした後、爪に可愛らしいネイルを施してくれた。

綾さんより先に終わった私はしばらく隣の席の綾さんの爪に施されるネイルを見た後、何気なくバックから取り出したケイタイを見て固まった。

ケイタイの液晶に表示される“不在着信12件”の文字……。

嫌な予感を感じながら着信履歴を見て全身の血の気が引いていくのが分かった。

ケイタイの液晶画面を埋め尽くす蓮さんの名前と番号。

着信時間を見ると美容室に入ったくらいの時間から数分おきに掛かってきている。

私は焦りで震える指で発信ボタンを押した。

コールが鳴る前に聞こえて来た声。

『……なんで、出ねぇんだよ?』

不機嫌そうな低い声の蓮さん。

「……ごめんなさい。音を消していたから気付かなくて……」

『音ぐらい出るようにしとけよ』

蓮さんは呆れたように言った。

「……はい」

これ以上蓮さんを不機嫌にしてはいけないと思った私は、素直に返事をした。

『もう終わったのか?』

「え?」

『ネイルショップにいるんだろ?』

「なんで知ってるの?」

耳元で大きな溜息が聞こえた後、呆れたような蓮さんの声が聞こえてきた。

『何の為にマサトを付けたと思ってんだ?』

……。

あぁ、そうか。

マサトさん経由で私達の行動は蓮さんに報告されていたらしい……。

……ん?

じゃあ、なんで私達の行動が分かっているのに蓮さんは何度も私に電話をしてきたんだろう?

「蓮さん、私になにか用事だったの?」

あんなに何度も掛けてくるくらいだから緊急の用事だったのかもしれない。

『あぁ、薬の時間だからそれが終わったら帰って来い』

「はい?」

『今日の昼の分が残ってる。早く帰って来いよ』

……薬……。

確かに今日のお昼で終わりだからあと一回分残っている。

「……それだけ?」

『あ?』

「用事ってそれだけなの?」

『あぁ』

蓮さん。

生真面目過ぎなんじゃ……。

「蓮なの?」

私達のやりとりを見ていたらしい綾さんが笑いを堪えている。

「はい」

「ちょっと代わって」

そう言われた私はケイタイを綾さんに渡した。

「なにか用事?」

綾さんは私からケイタイを受け取ると開口一番そう言い放った。

なぜか私は嫌な予感を感じながら、ケイタイから漏れてくる声に意識を集中させた。

『もうすぐ美桜の薬の時間だからそれが終わったら帰って来い』

「それは無理ね」

『あ?なんで?』

「だって私達これが終わったらランチするんだもん」

『は?昼飯なら家で喰えばいいだろうが』

「イヤよ。今日は外で食べたい気分なの」

『誰もてめぇの気分なんて聞いてねぇよ。薬を飲む時間だって言ってんだろうが』

「だからランチを食べないと帰らないって言ってるでしょ!!」

……ヤバイ!!

また、始まった。

これは一刻も早く止めないと!!

そう思った私は

「綾さん、ちょっとすみません!!」

そう言って綾さんからケイタイを奪い取ると

「蓮さん、ごめんなさい!!お昼ごはんを食べたらすぐに帰るから!!」

それだけ言って終話ボタンを押した。

帰ったら怒られるかもしれない。

イヤ……絶対に怒られる!!

でも、ここで綾さんが恐怖の女王に変身した方が困るし……。

そうなるくらいなら蓮さんに怒られる方がまだマシな気がする。

そう思った私は大きな溜息を吐いて蓮さんに叱られる覚悟をした。

自分でもびっくりするくらいに素早い動きに綾さんは一瞬唖然としていたけどすぐに楽しそうに声を出して笑っていた。

よかった。

なんとか私の作戦は成功したらしい。

私はホッと胸を撫で下ろした。

爪に鮮やかな赤を基調としたネイルを施した綾さんに連れられて行ったのは駅の近くにある豪華なホテルだった。

私が一人だったら絶対に入る機会がないようなホテル。

そんなホテルに入っても綾さんは臆する事がなかった。

「和食と洋食とイタリアンどれが食べたい?」

綾さんが私の顔を覗き込んだ。

「……えっと……和食かな?」

病み上がりだからさっぱりとした物を食べたいと思った私はそう答えた。

「うん、じゃあ和食にしましょ」

ニッコリと微笑んだ綾さんが歩き出す。

その後を付いて行こうとした時、異変に気付いた。

一歩前を歩いていた綾さんが足を止めた。

「綾さん?」

綾さんがまっすぐ前を見つめたまま私の腕を掴んだ。

そして、自分の身体の後ろに私を隠した。

「……どうしたんですか?」

「美桜ちゃん」

「はい?」

「今から、私が『良い』と言うまで絶対に喋らないで」

「……え?」

「理由は後で話すから」

そう言って振り返った綾さんの表情を見て私は頷いた。

なぜ、綾さんがそんな事を言うのかは分からない。

でも、言われた通りにしないといけない。

そう思った。

あまりにも綾さんの表情が真剣だったから……。

私が頷いたことを確認した綾さんがまた前を向いた。

綾さんの視線は何かを捕らえている。

そう気付いた私は綾さんの視線を辿った。

その先にいたのはスーツ姿の男の人だった。

まっすぐに綾さんを見て近付いてくる人。

その人が綾さんと知り合いという事はすぐに分かった。

……仲の良い知り合いじゃないという事も……。

「綾、久しぶりだね」

その人は、綾さんの正面で立ち止まった。

……『綾』って呼んだ?

呼び捨て……。

私は違和感を覚えた。

私が知っている人で綾さんを呼び捨てにするのは組長だけ。

「えぇ、ご無沙汰しています。高藤さん」

綾さんはいつも通り優しくて上品な口調だった。

でも、全身からはいつもと違う雰囲気が出ている。

それを感じた私の身体が強張った。

「今日は神宮組長と一緒じゃないのか?」

「はい」

「珍しいな」

この人、組長の事も知っているんだ。

私は、綾さんの身体の陰からその人を覗き見た。

ビシっとスーツを着こなした大人の雰囲気を纏った男の人。

……でも私は気付いてしまった。

この人は、蓮さんや組長と同じ世界の人だ。

黒いスーツじゃないけど。

表情はにこやかなのにその眼は鋭くて冷たい。

全身からは、威圧的な雰囲気が伝わってくる。

私達の周りに張り詰めた空気が流れた。

この人は綾さんとどういう関係なんだろう?

知り合い?

お友達?

組の関係者?

この状況を見ているとそのどれにも当てはまらない気がする。

知り合いやお友達だったらこんなに張り詰めた空気が流れるはずが無い。

組の関係者だったら綾さんを呼び捨てで呼んだりしない。

私に」はそれ以上その人の眼を見続ける事ができなかった。

蓮さんもこういう眼をすることがある。

でも、その眼は私に向けられている訳じゃない。

この人の視線は確実にこっちに向けられている。

不安が広がる。

俯いた私は微かに感じた。

甘く妖艶な大人っぽい香り。

ここにいる筈がない。

でも、間違う訳がない。

この香りを……。

唯一安心できる香りを……。

俯いた視界の端に動く影が見えた。

その影は私を追い越し一歩前にいる綾さんの隣で動きを止めた。

「高藤さん」

いつもより低くて冷たい静かな声。

その声に私の緊張は一気に解れた。

目の前の綾さんの背中から安心したように力が抜けたのが分かった。

安心感から思わず「蓮さん!!」と呼びそうになったけど綾さんとの約束を思い出して私は慌てて口を押さえた。

「……神宮……」

蓮さんが現れた事で場の空気が一転した。

そこにいたのはスーツ姿ではなく普段着姿の蓮さんだった。

見慣れているはずの蓮さんが別人に見える。

……多分、それは私が初めて見る蓮さんのヤクザの顔の所為だったのかもしれない。

高藤と呼ばれた人の眼が鋭さを増した。

「何か用ですか? 組関係の話なら自分が聞きますけど?」

蓮さんの丁寧な口調に高藤さんの表情に緊張が走った。

「……」

「……ただ、それ以外の話なら、すぐにここから立ち去って貰えますか」

その言葉に高藤さんの表情が険しさを増した。

「……断わったら?」

「ウチの組長から許可が出ていますので遠慮なく高藤さんの組を潰させて頂きます」

明らかに年上の高藤さんに向かって淡々と話す蓮さん。

落ち着き払った態度がより一層眼の鋭さを引き立てている。

「……分かった。今日はここで失礼させてもらう。神宮組長に伝言があるんだが……頼まれてくれるか?」

「はい」

「俺はまだ諦めていない。機会があればいつでも奪いにいく」

高藤さんがそう言った瞬間、誰かが動いた。

私達を追い越し高藤さんに掴み掛かろうとした。

「マサト!!」

蓮さんが強い口調でマサトさんを止めたのと、高藤さんの背後から男が飛び出してきたのは同時だった。

マサトさんに向かっていこうとするスーツ姿の男。

「おい!!」

高藤さんの声に男が動きを止めた。

「勝手な事をするな」

「……はい。すみません」

男は頭を下げると高藤さんの背後に立った。

「分かりました、伝えておきます」

「あぁ、頼む」

「はい……高藤さん、一ついいですか」

「なんだ?」

「ご存知だとは思いますが、ウチの組長は自分の大事なものを狙われていて黙っているような男じゃありません。高遠さんが伝言として言った言葉を聞いた以上、自分達も黙って見過ごす事は出来ません。ここを一歩動いた瞬間から命を狙われる覚悟はしていて下さい」

「……」

「それでは失礼します」

蓮さんは高藤さんに軽く頭を下げた。

頭を上げた蓮さんは呆然とその光景を見つめていた綾さんに視線を向けた。

「姐さん」

綾さんは蓮さんに声を掛けられて我に返った。

「……失礼します、高藤さん」

◆◆◆◆◆

豪華なホテルの中にある和食料理のお店。

そこの個室で、テーブル越しに向かいに座った綾さんを睨む蓮さん。

睨まれている綾さんは焦った表情で視線を泳がせている。

その状況に耐え切れなくなった私は隣に座る蓮さんに話しかけた。

「れ……蓮さん!!み……見て、これ。可愛いでしょ?」

蓮さんに両手を大きく開いて爪を見せた。

「あぁ、可愛い」

私に話し掛けられた蓮さんは爪を見て答えた。

「そうでしょ? 綾さんが連れて行ってくれたの!!」

「あぁ。その所為であんな奴に捕まっていい迷惑だよな」

「……!!」

……失敗した!!

話を逸らそうとしたのに!!

高藤さんと別れてからすぐに蓮さんは、私達を連れて帰ろうとした。

でも、綾さんが『まだご飯食べてない!』って黒い高級車に乗る事を拒んだ。

そんな綾さんに『いい加減にしろよ?』とブチ切れた蓮さん。

どうしても、ここでご飯を食べたかったらしい綾さんは組長に電話を掛けた。

そして、綾さんは『美桜ちゃんとご飯を食べたいのに蓮が邪魔をする!!』と告げ口をした……。

それを聞いた組長は、蓮さんも一緒に食事をするように命令した。

組長の命令には逆らう事が出来ない蓮さん。

この勝負は、綾さんの作戦勝ちだった……。

個室に入った私は、蓮さんがなんでここにいたのかを聞いた。

それによると、私達がネイルショップにいる間に、綾さんからこのホテルで食事をする事を聞いていたマサトさんが怪しい人間がいないか見回りに来ていたらしい。

その時にロビーにいる高藤さんを発見して蓮さんに連絡した。

私から話の途中で電話を切られて心配していた蓮さんは恐怖のドライブをしてこのホテルに来たらしい……。

「ごめんね?美桜ちゃん……せっかく楽しかったのに……」

綾さんが肩を竦めて言った。

「いいえ。気にしないでください!!」

「……ありがとう」

「……あの、高藤さんって……」

そこまで言って私は『しまった!!』と思った。

これは私が軽々しく聞いていい事じゃない。

そう気付き俯いた時、穏やかな声が耳に届いた。

「高藤は、高藤組の組長だ」

「く……組長!?」

「あぁ」

確かにヤクザさんだとは思ったけど……。

「しかもウチの組とはハンメだ」

「はんめ?」

「まぁ、簡単に言えば敵対している組だな」

「……!!」

「その上、高藤は親父の恋敵だしな」

「……え?」

「ったく……。綾さんのどこがそんなに良いのか全然分かんねぇし。なんで組長に人気があるんだろーな?」

そ……そんな事、私に聞かれても……。

「あら?私は昔からモテるのよ。別にヤクザの組長限定じゃないわ」

「綾さんのモテ話なんて興味ねぇし。モテるのは勝手だけど人に迷惑掛けてんじゃねぇよ」

そう言い放った蓮さんから視線を逸らした綾さんは

「マサト~!!」

個室の出入り口の襖に向かって声をかけた。

「はい」

襖が少し開いてマサトさんが顔を覗かせた。

「一緒にご飯を食べましょ。みんなも呼んで来て」

「い……いや……自分達は……」

ついマサトさんの顔が焦っている。

……なんか……。

可愛い!!

「いいんだよ、マサト。お前だっていつも綾さんに振り回されてんだ。たまには奢って貰えよ」

そう言った蓮さんの顔を困った表情で見つめるマサトさん。

そんなマサトさんに向かって蓮さんが小さく頷いた。

「……ありがとうございます」

「早くみんなも呼んで来て!!」

「はい」

マサトさんは嬉しそうに襖を閉めて他の人を呼びに行った。

しばらくしてマサトさんは2人の人を連れて戻ってきた。

個室に入ってくる時に深々と頭を下げた3人に向かって綾さんは「今日は迷惑を掛けたお詫びだから気を使わないで」と声を掛けた。

その言葉に動揺を隠せない様子の3人だったけど蓮さんが「綾さんの財布が空になるくらい食えよ」と悪戯っ子みたいな顔で言うと「ありがとうございます」と言って腰を下ろした。

最初は緊張した表情だった3人も、またしても始まった閻魔大王と恐怖の女王の闘いを楽しそうに見守っていた。

和やかな雰囲気と美味しい食事で私のテンションは最高に上がっていた。

「そう言えば……」

何かを思い出した様子の蓮さん。

「どうしたの?」

私は蓮さんの顔を覗き込んだ。

「なんでだ?」

「……なにが?」

「なんで途中で電話切ったんだ?」

「はっ?……今更?」

「あ?」

し……しまった……。

すっかり蓮さんがその事は許してくれていると勝手に思っていた私は驚きの余り心の声を正直に口に出してしまった。

「今『今更?』って言ったか?」

「……」

「答えろ」

「……言いました」

「『今更?』の続きはなんだ?」

「……」

「美桜」

「今更……その話?みたいな?」

「……」

軽く流して貰おうと軽いノリで言ったのに……。

蓮さんは軽くスルーする所か眉間に皺を寄せて横目で見てる。

かなりのご立腹!?

この状況をどうにかしなきゃ!!

と……とりあえず落ち着こう……。

そう思った私は目の前にあるグラスを手に取り口に運んだ。

「美桜」

「え?……っ!!」

呼び掛けられ蓮さんの方を向いた瞬間、口に放り込まれる2種類の錠剤。

状況を飲み込めない私は無意識のうちに口の中の錠剤を飲み込んだ。

「水、飲めよ」

満足そうな表情の蓮さん。

……やられた……。

その表情を見て、また蓮さんの作戦に嵌った事に気付いた私。

「それで薬は終わりだ。よく頑張ったな」

私の顔を覗き込みながら優しく頭を撫でてくれる蓮さん。

……ツッコみたい事はたくさんあるけど。

蓮さんの顔を見ていたら、『そんなのどうでもいいや』って思えてくる。

「……うん」

だから私は蓮さんの言葉に素直に頷いた。

『ありがとう』という気持ちを込めて……。


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