エピソード24

◆◆◆◆◆

古くて狭い和室。

その部屋の隅っこで蹲っている幼い私。

震えながら涙を流している。

『……ごめんなさい……ごめんなさい……』

呪文のように呟き繰り返される言葉。

俯いた視線の先に黒い影が見えた。

その影が大きくなっていく。

その影の大きさと比例するように強くなる身体の震え。

耳を塞ぎたくなるような言葉が心に深い傷を付けていく。

頬に走る痛みと衝撃。

体中に浮かび上がってくる赤や紫の痣。

『……許して……お母さん……』

その訴えに向けられる冷たい視線。

その人の瞳は私と同じ淡い茶色だった。

意識が朦朧となった頭で早く時間が過ぎる事だけを祈る。

倒れたまま離れていく影を見て安心と恐怖が同時に湧き上がってくる。

もうすぐ終わるという安心感と今から行われる行為への恐怖感……。

服を捲り上げられた私の身体が強張る。

背中に感じる熱さと痛み。

◆◆◆◆◆

「……!!!!」

私は自分の叫び声で目を覚ました。

乱れた呼吸と体中に感じる汗の不快感。

早鐘を打つ鼓動。

身体が小刻みに震える。

心の中に広がる不安感。

久々だった。

蓮さんと出逢って見ることがなくなっていたあの“夢”。

もう見る事はないと思っていた。

その夢自体を忘れかけていたのに……。

やっぱり、私の罪は死ぬまで許されないんだ。

「美桜?」

その声と共に暗かった部屋にドアの隙間から差し込む灯り。

眩しさの所為で細めた瞳の隙間から見えたその姿に安心した。

「……蓮さん」

サイドテーブルの上の間接照明が淡い光を放つと心配そうな蓮さんの顔が見えた。

「大丈夫か?美桜」

今日、何度目かに聞くその言葉に私は小さく頷いた。

フローリングに胡坐を掻いて腰を下ろした蓮さんの大きな手が伸びてきて頭を撫でてくれる。

温もりを感じながら私はその大きな手を両手で握り締めた。

「どうした?」

優しい声が耳に響く。

声の方に視線を向けると私を見つめる漆黒の瞳。

「……また夢を見ちゃった……」

蓮さんの表情が一瞬、強張った。

でも、それは本当に一瞬の事ですぐに優しく穏やかな表情に変わった。

「そうか」

「……うん。やっぱりダメみたい」

「うん?」

「……私の罪は許されない……」

視界がボヤけて歪む。

「美桜」

蓮さんが動いた事が気配で分かる。

ベッドが軋み私の視界が大きく動いて温もりに包まれる。

温もりと香りに包まれて私の瞳から涙が零れた。

◆◆◆◆◆

病院から送ってくれたマサトさんとマンションの下で別れた蓮さんと私。

部屋に入った私は制服から部屋着に着替えてリビングのソファに座りテレビをつけた。

リモコンのボタンを押してチャンネルを変えているとお昼の連続ドラマが放送されていた。

それに見嵌っていると蓮さんが雑炊を作ってくれた。

お腹は空いてなかったけど、一口食べるとあまりの美味しさに結局完食してしまった。

お腹もいっぱいになって大満足の私はすっかり“アレ”の存在を忘れていた。

蓮さんがテーブルの上に置くまで……。

私がその袋に気付いた時には手遅れだった。

隣に腰を下ろした蓮さんはものすごい速さで私を抱き上げ膝の上に座らせた。

余りの速さに唖然とする私の口に二種類の錠剤を放り込んだ蓮さん。

抵抗する暇も嫌がる暇も無く……。

口に入った錠剤を私は咄嗟に飲み込んでいた。

差し出されたミネラルウォーターを飲んで蓮さんの顔を見上げて、満足そうな笑みを浮かべる蓮さんを睨む事しか出来なかった。

「俺の作戦勝ちだ」

私が睨んだ事を気にする様子も無く、蓮さんは口の端を片方だけ上げて鼻で笑った。

……蓮さんには敵わない……。

私は大きな溜息を吐いた。

「本当に頭に花が咲いてたな」

突然、思い出したように蓮さんが口を開いた。

「麗奈でしょ?」

「あぁ」

「あの花、日替わりで種類が変わるんだよ」

私は、麗奈のプチ情報を教えてあげた。

編入初日に私が貰った向日葵のゴムはカバンに付けている。

それを見た麗奈は大喜びしていた。

麗奈のプチ情報を入手した蓮さんは楽しそうに笑っていた。

「いい友達が出来てよかったな」

嬉しそうに微笑む蓮さんに私も笑顔で頷いた。

しばらくすると病院で貰った薬の所為で瞼が重くなってきた。

蓮さんが優しく頭を撫でてくれる。

私はそのまま眠りに落ちた。

眠りにつく瞬間おでこに柔らかい感触と『早く元気になれよ』という声が聞こえた気がした……。

◆◆◆◆◆

カーテンの隙間から光は差していない。

ソファで蓮さんの温もりに包まれて眠りに落ちた私が今いるのは寝室のベッドの上。

蓮さんが運んでくれたんだ……。

眠っていた頭が少しずつ状況を理解していく。

蓮さんが有無を言わせずに飲ませてくれた薬のお陰で身体の熱さもダルさも軽くなっているような気がする。

何も言わない蓮さん。

温もりと香りで私を包み込み、大きな手で背中をゆっくりと撫でてくれる。

静かな空間。

淡い光を放つ照明が照らし出す、明る過ぎず、暗過ぎない空間。

その空間で私の耳に届くのは、服を手の平で擦る音と蓮さんの規則正しい鼓動だけ。

心地良さを感じていつの間にか身体の震えも瞳から次々に溢れて零れ落ちる涙も止まった。

「美桜」

心地良さを壊さない蓮さんの低い声。

「……うん?」

「俺は傍にいる」

優しく穏やかな声。

「……うん」

「いつでも傍にいる」

「……うん」

「何があっても傍にいる」

「……うん」

「だから、一人で不安になるな」

「……」

……どうして、蓮さんは何でもお見通しなんだろう?

……なんで、私の心の中が読めるんだろう?

私は、許されたと思っていた。

もう夢を見なくなっていたから。

自分の罪の事さえも忘れかけていた。

数ヶ月前までは一時も忘れる事なんて出来なかったのに……。

蓮さんと出逢ってその優しさに包まれて、毎日いろんな出来事があって思い出す暇もなかった。

もう大丈夫だと思っていた。

……そんな私が甘かった……。

私の罪が許される訳がない……。

背中の罰が私にそう言っている気がした。

そんな私をもお見通しの蓮さん。

耳元で繰り返される言葉。

「大丈夫だ、美桜」

「俺が傍にいる」

「いつでも傍にいる」

「何があっても傍にいる」

低い声で繰り返される言葉が耳から入って全身に広がっていく。

身体中に行き渡って不安の塊を飲み込んで消していくような気がした。

不安が消えたら安心感に包まれた。

私は重くなった瞼を閉じた。

「強くなれ、美桜」

「……うん」

「俺も強くなるから……」

……蓮さんは、十分強いじゃん……。

そう言おうと思ったけど睡魔に邪魔されて言えなかった。

「お前を守れるくらい強くなるから」

その言葉を最後に私の記憶は途切れた。


  

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