第2話 以前と今と
土生緑はどうにも掴みどころがない人間だ、と星月宙は考えていた。これは宙の緑に対する何とも言えない苦手意識から因るものだろうし、それには宙にも原因の一端があるものだから表立って文句を言えることではないのは重々承知している。
だけど、だからこそやり場のない感情に苛まされることは少なくない。これは自分だけなのだろうか、などと考えたりもする。
「あー、緑さんけっこー難しい言い方するもんな」
これは雲居太陽の弁だが、質問の意図をいまいち汲み取れていない。そもそも彼女が普通に話していたとしてもそう感じてしまうのではないだろうかという疑惑もある。それでいて仲が良好なのだからすごいもんだと宙は思う。
「……確かに考えの内を見せてくれないところはありますね」
安曇海はもう少し分かりやすく肯定の意見を述べてくれた。海も緑に振り回されていることが少なくない。そういう意味では仲間と呼んでも差し支えがないのではないかと宙は密かに思う。
「でも、僕たちを考えてくれてのことだと思いますよ」
それなのに続いたのは緑を全肯定するものであり宙を裏切るような言葉だった。宙を窺うような海の視線に宙の表情がやや強張る。そういえば前々から心酔しているような態度を見せてはいた。宙は曖昧に笑いながら信じられないと頭を振る。あんなに振り回されているというのに!
もちろん信頼できないという訳ではないし場合によっては太陽や海に頼み事をするよりは安心できるところだってある。問題はそういうところではなく───やはり私情によるところが大きいのだろう。だから普段は別に気にしていない。ただその場に太陽も海もいないとなると少し事情が変わってくる。
例えば、今のように。
店と居住との境目になっている引き戸のレールの上に座って、土生緑はラジカセの修理を行っていた。ヒーローだったときには武器の開発にも携わっていた彼女は簡単な機械なら修理も改造もできないことはないらしく、一年かけて「ちょっとしたものを直してもらうならあのお姉ちゃんに」と言われるレベルの評価を頂いていた。
大学三年になって流石に忙しくなってきたのか週二、三回顔を出せれば良いほうになっているのだが、それでもこうやって仕事が入ってくるのだから大したものだ。
「……なんだい、星月さん。あんまり見られると照れるじゃないか」
そう言われて星月宙の眉間に皺が寄るのはもう脊髄反射の域である。苗字呼びは好きではないと幾度となく告げてきたつもりだが、一度だって考慮してくれたことはなかった。
「いつもながら良い手際だと思ったんだ」
そもそも彼女が照れることなどあるものだろうか。そんなことを考えながら宙は言葉を返す。
レジの前に立ってはいるがここ20分ほど客は入っていない。静かな店内にカチャリカチャリという音だけが響いている。
「言われるほどでもないよ。趣味の範疇だ」
よどみがない、という程ではない。それでも手を動かしては止めて考えて、また動かしてを繰り返すさまはそう下げるものでもないように見える。大体それで金を貰えているのだから範疇の外ではないのだろうか。
「……そういう道に進もうと思ったことはないのか?」
ふと疑問に思って───というよりも、どうにも手持ち無沙汰で宙は緑に問いかけた。詳しく聞いたことはなかったのだけど、確かそういう方向の学科ではなかった筈だ。
「そうだね。職員になって開発周りの仕事ができればと考えていたこともあったんだけど」
「職員?」
「そう。あなたも一度施設に行ったことがあっただろう? あそこで働いている人たちだよ」
そういえばそんなこともあった、と宙は思い出す。秘密基地だと言っていたあの場所には確かに少なくない人がいた。
「ヒーローだった人は無条件に、その家族なら審査などを受ければ就職することができるんだ」
ヒーローをさせたせいで未来に支障が出ては困るからね、と続ける緑になるほどと宙は頷く。一般的に秘密になっているだろう場所の働き手を探すのは大変に違いない。内々で補充できるのならそれに越したことはないだろう。
「実のところ雲居君も進路が決まらないようならそう勧めてみるつもりではあったんだ。水を向けてみたら思いがけない方向に話が進んでしまったのだけど」
それがなかったらそうしていたと思うよ。
手を動かしながら緑は笑う。
「誘ってくれたこと自体は嬉しかったから問題はないけどね。それに、自分がやりたいことはちゃんと自分で見つけるべきなんだから」
そこまで語ると緑は手を止めて宙を見上げた。宙は少し遅れて視線に気が付き、再び顔を向ける。
「だからね、私は星月さんに感謝しているんだ」
「……は?」
反射的に眉間にシワを寄せた渋面が、意表を突かれて随分おかしな顔になっていたのだろう。緑がくすりと笑う。
「雲居君のやりたいことを望む形で適えられるように随分と手助けをしてくれているじゃないか」
「それでどうしてそっちが感謝するんだ」
「確かにお門違いなんだろうけど、これでもかわいい弟みたいなものだと思ってるからね。雲居君も、安曇君も」
緑が浮かべる微笑はいつの間にか趣きが変わっていた。そんな顔もできるのかと宙は目を瞬かせる。
カチャリ。カチャリ。客が入ってくる気配の無い店内に無機質な音だけが響く。
「土生緑───」
「……とはいえ、ここまでとは思いもしなかったよ」
ぐ、と締めたところで緑が顔を上げる。出鼻をくじかれた宙は「何がだ」と続きを促した。
「この場所を見つけたことと交渉して借りる為に身銭を切ったこと」
「そりゃ人様の息子を預かるんだからその位当然だろう」
巻き込まれたのは確かに宙のほうだ。だけそれを良しとしたからには、宙には雲居太陽を路頭に迷わせない責任がある。
とすればその対応は別におかしいものではない。
「それに身の回りの世話も焼いていると聞いている」
「やらせるより自分でやったほうが速いからな」
これは単純に宙は一人暮らしが長かったせいだ。別段好きでも得意でもないのだが何しろ慣れている。だからそのほうが楽だと言うだけで、これもわざわざ言われるほどのことではないと思った。
そんな宙を見て、緑はふむと口元に手を当てた。
「まるでお母さんだな」
「なんでだ!!」
ただの一言である筈のそれは突っ込みどころが多すぎて、逆に一つも出てこなかった。そんな宙を見て緑はころころ笑う。
「過保護になる気持ちも分かるが、苦手なことも嫌がることもちゃんとやらせたほうがいい。それが雲居君の───引いてはあなたの為にもなる」
手を動かしながら緑が言う。ダイヤルを回しチューニングをして繋がることを確認すると、小さくうなずいて蓋を閉じた。
「それはどういう」
「お母さんが全部の負担を背負う必要はない、という話だよ」
からかうように言うのと同時にラジカセを宙に押し付けて、開きかけた口を閉じさせる。依頼主の元に届けるのは大体宙の役割だ。
「その責任感は素晴らしいとは思うけど」
「褒められている気がしない」
「褒めているんだよ」
どうだか、と星月宙は心の中で毒づく。本気でそう言っているようには見えないしやはり何を考えているか分からない、読めない人間だと思う。
それでも───
安曇海の言葉はあながち的外れでもないのかもしれない。心の片隅にもたげた可能性を宙は検討することにするのだった。
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