第4話
「あーあ、このシェアハウスもそうならいいのに。ホワイトボードは真っ白でいいよ」
居間には、百円ショップで購入したホワイトボードが飾ってある。買い忘れたものや、ゴミ出しの当番が書かれている。
「静かだといいな、というのは、僕もそう思うよ。でも、さっきも言ったけれど、静かすぎると“自分がうるさい”んだよ。自分の本音が騒がしいの」
紺谷は、腕をぐっと天井にのばす。何十年も使い続けている蛍光灯から紐が垂れている。
「ふうん。りょう君、独り言多いもんね」
楢崎が両手を顔の前でチューリップのように開く。
「最近だと、SNS が流行り出したね。僕は苦手なんだ。インターネットはよく見るけれど、ずっと独り言を書くなんて嫌だね。永久に、誰かに見てほしいと願いながら、恨み辛みを書き連ねるなんて……」
紺谷は指を立てて言う。
「誰かが僕に共感したとしよう。だからなんなんだ? 共感が増えるごとに、孤独が癒えるのか? 例えばそれが、何かや、誰かへの不満だとしよう。すると、共感が増えるほどに、その何かを絞め殺すことになる」
「何それ? 共感っていい言葉じゃないの?」
紺谷は、急にまた座椅子に倒れ込んで叫ぶ。やはり珍しく狼狽している。何かあったのだろうか。
「イス取りゲームだ!」
「イス? りょう君、大丈夫?」
橘花は、怖がるように紺谷の顔を覗き込む。目をパチパチと瞬きしていた。
「加害者の席という、イジメになるんだよ。共感が集まれば集まるほどに、その席の人間は、集中砲火を浴びる。一人ぼっちの彼は、どうすればいい? 火炎放射器をどうかわす?」
紺谷は、ホワイトボードを手もとに引っ張って、ヘタな絵を描き出す。イスらしきものと、棒だった。きっと、棒が、銃を表しているのだろう。
「何百万、何千万という怒りが、たった一人に向けられる。なぜ向けられたか。そんな原因なんて誰も考えない。何を言ったら大衆を和ませられる? 何を言ったら許される? 何も悪いことをしていないのに」
「こわー」
橘花が眉を寄せて、不快感を示す。
「いろいろ方法はあるだろう。答えは、『アイツの方がもっと悪人だ!』と指をさすこと。大きな声で指名する」
「しめい? ほうほう」
橘花はうんうんと首を大きく振ってうなずく。
「ただ怒りたい人たち、自分の身の回りの不快感をどうにもできない人たち、ストレスでいっぱいの人たちは、彼の指の先をすぐに追うだろう! 次はアイツだ! 殺せ! とね」
紺谷は息を吐いて肩を下げた。
「どうしそんなに怒ってるんだろうねぇー」
「そうやっていちいち質問してくるからだよ」
楢崎はびくっと体を引く。
「えっ、別に聞いてないよ。質問じゃないよ」
「もうー、二人ともなんか、ケンカみたいになってるよ」
紫が間に入る。どうやら、言葉を選んでいたようで、長い間、話を聞くだけだった。
「まあ、極端な例だし、極端な人がどんどん増えてると思う」
「どうして?」
「そうやって質問してくるからだよ」
紺谷はどんどん返答のスピードが早くなっている。イライラしているのだろう。
「質問すると、ダメなの?」
「自分で考えろよ! という怒りになるんだよ」
「だって、自分だけで生きてるわけじゃないでしょう」
「そうだけど。どうしてこちらだけが質問に答えなくちゃいけないんだ、と文句の一つも言いたいよ」
「えっ、でも自分も人から教えてもらえばいいじゃない」
紺谷は、また大きなため息をつく。そういう仕草が、橘花は嫌だなあ、と感じる。お互いに嫌がらせをし合っているような気分だ。
「僕が君に聞くことは何もない」
紺谷は即答した。
「ええー、昨日、オタマどこやったのって、聞いてきたのに」
橘花は、からかうように言う。
「それは、分からないことではなく、知らないことだから。頭を使ってもわからないことは、聞くよ」
紺谷が、自分の非を棚上げにしながら涼しい顔をする。橘花は、自己欺瞞に笑いそうになる。
「自分勝手だなー。自分のことを無視しちゃダメだよ! 発言に責任を持ちたまえ! 前も話したけど」
「自分勝手は否定しないが、無視はしていない」
「自分を無視して、責任を放棄するようなものだよ。断言できないまでも、意見はハッキリ言った方がいいよ」
「僕は、ハッキリしている」
「はーい! おしまい。もう終わり。ケンカ終了」
紫は、先生のように手を叩くと顔の前で手を広げる。母親のようでもあった。
「両方とも正しいっ!」
仲介役は、そう言うと、その場でゴロンと寝転んだ。長い髪の毛がバサバサと広がって、ホウキのようだった。
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