第3話

「二人とも何してるの? 騒がしいよ」

 紺谷は眉をひそめて二人を睨む。どうやら、怒っているようだ。

「あっ、りょう君。おはよう」

「おはようって、もう夜でしょう。えっ、橘花は夕方どこへ行っていたの? また、海岸?」

 紺谷はコタツに入ってきて、橘花を見る。服装は黒色のカーディガンに薄いTシャツだった。

「うん、そうだよ。オサムも連れてきたんだ」

 橘花は猫のワキを持って、お腹が伸びるのを紺谷へ見せる。うめくような声を出して猫があくびをする。攻撃性のかけらもない動物だ。

「へえ。なんでわざわざ? もうあやめ荘で飼うつもりなの?」

「うーん、いや、オサムは自由人だからダメだよ」

「自由人? で、二人ともなんで歌っているの? えっ、で、写真は撮ったの? リーフレットが目的だったんでしょう」

 紺谷は顎を手にのせながら淡々と質問した。

「あーっ、忘れてた。そうだ、紫ちゃん、写真も取らなくちゃね」

「あらら、そうね。なんのために海岸に行ったんだか」

 紫はくすりと微笑む。二人は一切写真を撮っていない。

「それで、そのコウという人は結局どうしたの?」

「んー、コウはスタッフの人と、どこかに泊まったみたいだよ。それ以外は何も知らない。メールとかも聞かなかった」

「そうなの? でも、撮影なんでしょう。どうするの? 何時から?」

「午前中って言ってたよ」

「ふうん。でも、雪だよ。珍しく高い確率で」

 紺谷は、テレビをニュースに切り替えた。

「雪の撮影がしたいんじゃないかなぁ。ほら、絵になるじゃん。雪って。幻想的な感じ」

 橘花は、ほとんどミュージックビデオというものを知らないけれど、そんなことを言う。

「ええ、冬の曲ならいいけどね。人形を二つも並べて何するんだろうね。マジックショー?」

 紺谷は表情を変えずに言う。

「あはは、マジックショーっぽいね。コウは真っ黒な格好をしているし、忍者か、マジックショーの演者だよ」

 紫は、笑いながら、コウの格好を思い出す。真っ黒で、風にたなびくような布。魔女のようだとも思った。

「寒そうだねえ」

 橘花が、オサムを抱え込みながら歯を鳴らす。

「明日はもっと寒いよ。積もると思う」

 紺谷がため息を吐きながら、目線を何にも合わせずに言った。

「なんか雪ばっかりだねえ」

「前に、傘忘れてライブ行ったときのこと思い出す。駅から、島に入って、橋の上がとにかく寒かった。たぶん、岩場なんてもっと寒いよ」

 橘花は、風が吹きすさぶ海のそばを思い出す。岩を削り落とすような鋭い風が、容赦なく何度も何度も吹き荒れていた。

「絶対に風邪ひいちゃう」

 紫は、コウの薄い服が風で飛ばされるのではないかと言った。それを聞いて橘花も笑ってしまった。舞台衣装というのは、無意味で、実用性がないなと思う。

 そもそも、舞台というものは作り物だ。

 何の役にも立たないし、ストレス発散といっても数時間の話だ。きっと、厳しい家の子、教育熱心な家庭では禁止されることだろう、と想像する。いわゆる見世物だ。サーカスと同じ。

 歌は芸術的な要素が多いのに、サーカスに似ている。まるで、夢の中のような非日常。日常というモノクロームの世界を飛び出した、極彩色の虚構。

 そういうものを感じる。

 全部が嘘で、幻で、用が済んだら、さようなら。

 目の裏には、残像だけが残る。

「目を閉じても思い出しちゃうねえ。マックロクロ助!」

 橘花は、目を閉じてコウの奇妙な格好を思い出している。街の中で歩いていると、なんだか葬式のようだ。宗教や、闇の組織のようでもある。

「変な格好だもんね。なんだろうあれ。でも、PV とかって、やっぱり目立つ格好が多いよね」

「まあねえー。どうしたって、人と一緒の格好ではいけないわけだから。舞台って、そういうものだよ。普段から見てるものを、わざわざ照明つけて見てもしょうがないでしょ!」

 橘花は、紫に小首を傾げて言う。

 紺谷は、もう完全に興味を失っているようで、ニュース番組を黙って見ている。

「りょう君は、コウを見にいかないの?」

 橘花は、猫の前脚で紺谷を叩く。

「えー。知らないよ、そんな人。どうして僕が見に行ってあげないといけないの?」

 紺谷は露骨に嫌そうな顔をする。

「だって、どこかの歌手が真っ黒い服を着て、なぜか人形を持っているという、それ以上の情報は、僕には不要だよ」

「うーん。事実を述べているだけだねえ。まあ、確かに、りょう君には関係ないかもね」

 ニュース番組では、先週、風邪で休んだアナウンサが、深々と頭を下げて謝っている。たかが風邪くらいでここまで大大的に謝罪するものだなと感心する。妻を殺しました、と報告しそうなくらい深刻な雰囲気。

「そう。僕はショーとは関係がない。一切関わりを持つ必要がない」

 紫は、口に手をあてて声を上げる。

「そんなに冷たくしなくてもいいでしょう」

「冷たい、ってなんですか。思い入れがないだけですよ」

「でも、亮ってクラシック音楽好きだったよね。どうして歌とかは興味ないの?」

 紫が質問をすると、紺谷は、しばらく生真面目に考えこんでいた。

「まあ、ほどほどには聞きますが。基本的には、聴くために聞いてないんです」

「なあにそれ?」

 橘花が、思い切り首を右斜めに傾ける。

「だから、正座してその音楽を聴いてないんだよ。横耳で聞いてるだけ。ラジオと一緒。聞き流している」

「えっそうなの。音楽は集中のために流してるだけってこと?」

 紫がさらに追求する。

「静かだと、『やりたくない』って思ってしまうだろう。その愚かな声を聞きたくない。僕の声に耳を傾けたくないの」

「ほほう。重いねえ」

 橘花がうんうんとうなずく。

「自分のことを客観視しているのね」

 紫は、瞬きを大きくする。

「でも、静かだと、深い思考もできるよね。きっと、小説家の多くは、まわりが静かな方が、思い出したり、言葉を連ねたりすることができるから、よく温泉とかに引きこもったんだよね。あと、世間から逃げるために」

 紫は、橘花を見ながら言う。小説をあまり読まないから、イメージの話だ。橘花は、オサムを抱えながらにっこりと微笑む。

「そうだねぇ。現代の作家がどうなのかわからないけれど。昔は、静謐さを好むようなところがあっただろうなー。彼らも実はその多くが裕福で、インテリジェンスを余らせていただろうから、雑多な世の中が嫌いだったんだと思うよ。それでもねぇ、ほとんどが劣等意識と自己顕示欲の塊で、自己評価と他者評価が合致しなかった。オサムはそれで苦しんだ。ソーセキ先生は、先生だけあって、そのあたりがお上手だったんだよ。普通の人、その時代では、教育を受けていない多数派の人たちに、広く言葉を浸透させることがうまい。でも、半分くらい冗談だけどねー」

 橘花は、一冊しか読まない作家の話をとつとつと話し終えて、「しょせんヤクザな商売ですぜ」と言った。

 紫は、よくわからないので首を傾げる。

 隣の紺谷も、大げさに首を振る。

「さっぱりだよ。楢崎の話は。ちんぷんかんぷん。作家に裕福な家庭が多いのもわかるけれど、静かさは関係ないじゃん。集中するときに、音楽を聞くか聞かないか、という話じゃなかった?」

「話が脱線しちゃった。そうだね。集中の仕方はそれぞれだろうけれど、りょう君は静かな家に生まれただろうなっていう、勝手な想像だよ。何も話さなくても、すべてが整っている」

「何も話さなくても、すべてが整っている?」

 紺谷は珍しくオウムのように人の言葉を繰り返した。

「君の家は、書くべきことのない家なのだよ」

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