第11話

「じゃあね、キッカ。最高の時間をどうもありがとう。トマス・ピンチョンも早速手配するよ」

 手をあげて、真っ黒な格好のコウは笑顔を見せる。彼の後ろに、男女がいろいろと機材を持っている。

「うん。読んだほうがいいよ」

「明日はもっとたくさんの人が来るんでしょう?」

 紫は、二人の会話をさえぎって質問をする。現実の話しがしたかった。永遠に止まらない文学の話は疲れてしまう。

「そうだね。明日が撮影だから」

「橘花たちも見に行っていい?」

「もちろんさ」

 コウはにっこりと微笑んで笑った。風が吹くたびに、長いコートがフワフワとなびいている。

「じゃあねー」

 楢崎は、手を振って、紫と手をつなぐ。

「明日は、歌を聞かせてね」

 コウたちと別れて、楢崎と紫は、昼間の島を歩いていく。あやめ荘までの道のりは、もう何度も繰り返すおなじみの景色だけれど、今日はとても不思議な一日だった。

「コウの人形って、何に使うんだろうね」

「さぁ? 分身でもするんじゃない?」

「紫ちゃん、好きなのに気にならないの!」

 傾斜のある坂を下って、神社を横目に、細い裏道を歩いていく。ほとんど民家の中を歩くような感じで、地元の人間しかいない。

「明日が楽しみだねぇ」

「うん、まぁね」

 帰路についてから、相変わらず部屋に引きこもっている紺谷の部屋をノックする。

「ねえねえ、りょう君! 歌手が来てるよ! 島で撮影するんだって」

 楢崎が容赦なく扉を叩きまくる。

 すると扉が廊下側に開いて、すきまから不機嫌そうな紺谷の顔が出る。

「なんですか? それが僕になんの関係があるんですか?」

「えー、関係はないけれど、楽しいよ!」

 楢崎はドアの隙間に頭を入れて答える。もしも急にドアを閉めたら首が折れそうだ。たぶん、紫はそんなことをしない、という信頼のもとでやっているのだろう。

「うんうん。非日常ってやつだね!」

「結構です。僕は楽しくなくていいんです」

「何それ! えっ、なんでそんなこと言うの?」

 楢崎と紺谷は、そのあともケンカとも言えないじゃれあいを長く続けていた。

「で、その歌手ってなんて名前なんですか? 紫さん以外、全然聞いたことないやつじゃないですか」

 紺谷は、立ったままで話し続ける。二人を部屋へ入れるつもりはないようだ。

「コウだよ」

 楢崎は人差し指を立てて、嬉しそうに笑う。

「えっ?」

 急に紺谷の顔色が変わったので、紫は怪訝に思う。知っている歌手なのだろうか。

「あれっ、りょう君、ファンなの?」

「いや、別に。なんか、知り合いと名前が似ていて」

「あれー! 気になるよぅ。コウのこと知ってるの?」

 楢崎と紫は、じっと紺谷の様子を観察する。

「弟の友人と同じ名前です」

 二人はハッとなって黙り込む。顔を見合わせて、コウの顔を思い出そうとする。

「弟さんはりょう君に似てるの?」

「いいえ」

「えっどうして?」

「それはそうですよ。後妻の子ですから」

 紺谷は、さりげなく複雑な家庭事情を話した。紫は、後妻という言葉の意味がすぐには理解できなかった。どうやら紺谷の父親は、再婚したようだ。

「えっ、そうだったの? そっか。えっ、弟くんとは連絡を取り合っていないの?」

「ええ、もう全然。携帯も機種変更してから弟に連絡先を教えていません。いや、教えたかな」

「そうだったんだ。仲悪いの?」

「まあ、よくはないですね。あいつも、母親と仲が悪いみたいで、家を出たいってよく言っていました」

 紺谷は、実家にいたころに、ドラムを叩く弟と何度もケンカしたという話しをした。あまり身の上を話す性格ではないので、恥ずかしそうだった。

「まだ、コウがりょう君の弟君の友人だと決まったわけではないけどね」

 楢崎は二人きりで龍の鐘を鳴らしに行った話しをする。

「やめてくださいよ」と紺谷は手を振った。

 紺谷は、楢崎の頭をぐっと掴み取る。楢崎がグーという不思議なうなり声を出した。

「明日、亮も一緒にコウの撮影を見に行こう」

 紫の提案に、紺谷は首を縦には振らなかった。

「嫌です」

 はっきりと断られて、楢崎と紫は、なんでと問いただす。

「だって、会っても仕方がないでしょう。その変な衣装も、あんまり見たくないですし」

「そうかなあ。カッコイイと思うよぅ」

「ああ、もう。それより二人とも。水野さんが大事な話があるそうですよ」

 紺谷が急に話を断ち切った。いきなりドアを開けて、階段を降りていく。

「えっ、ちょっと待って」と言って楢崎も駆け下りる。

「水野さんが集合しろって言ってたんですよ。そういえば」

「えっ、何を? どうして?」

 紫は、階段下を覗きこみながら大きな声で尋ねる。

「あやめ荘を解体するんですって」

 紺谷は淡々と答える。

「はああああ!」

「えー!」

 二人は木造アパート全体に響きわたるような大声を出して叫んだのだった。

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