第8話
結局、パソコンは諦めて、手書きでリーフレットを作ることにした紫はひとまず写真を撮りに行くことにした。
幸いなことに、二週間連続の雪はすっかりなくなり、週末は晴れた。体の芯まで冷えるような寒さはなく、少しずつ暖かくなっている。
「いい天気だねー」
隣でオサムを抱えながら楢崎が歩いている。紫は、一応コートを羽織っているけれど、手袋は置いてきた。足下はまた軍隊のようなブーツだ。
楢崎は、いつものようにピンクのふんわりとしたスカートを着て、上着はなくセーターとマフラーをしていた。
「そうだね。もう雪は降らなさそうだね」
「オサムも元気になってきたよ」
「亮は、相変わらず引きこもっているけどね」
先日の件から、紺谷は夕食以外で部屋から出てこなくなった。いつもは、なんだかんだと家の中を掃除して散歩へ行くのだけれど。
よほどショックだったのだろうか。
「困ったもんだねぇ。思春期とはいえ、どんなひみつを持っているのか。へそまげても仕方ないのに」
「まあ、私たちも良くないところはあるよ。急にパソコンを貸せだなんて」
それでも、紫は、夕食のときの憮然とした紺谷の顔を思い出すと笑いそうになってしまう。水野はいつも通り一方的に喋り続けていた。
「男の子の気持ちって複雑ね」
「さあね。女の子もよくわからないけど」
「オサムもひみつが多かっただろうな」
「そうなの。面白いね」
楢崎と紫は、階段をのぼって、島の南側へ行こうとしている。住宅街を抜けると、途中に神社があり、開けた景色が見られる。
「わー、気持ちがいいねえ」
楢崎が、オサムに街の景色を見せようと持ち上げている。猫はいつも見ている景色なんじゃないだろうか、と紫は思う。屋根の上によくのぼっているし。
「さあ、あと少しがんばろう」
楢崎は、鼓舞するように大きな声を出した。
「もうすぐ、橘花ちゃんのうどん屋さんじゃない? あの細い道を行くと」
「うん、そうだね。今日も空いてると思うけど。しらすご飯が美味しいんだよ」
「うどん屋さんだよね? しらすご飯の方が美味しいの?」
紫は思い切り笑ってしまった。でも、海の上に暮らしているわけだから、海鮮類の方が美味しいのは当然かも知れない。
うどん屋のそばにはお土産屋があって、永久に売れ残りそうな、奇妙なおもちゃを売っている。
横道にそれると、龍の鐘、という恋人たち向けのスポットがある。そこの柵に錠前のカギをかけると別れなくなる、という観光地ならよくある場所だ。
どうしてカギをかけると別れないのかは、よくわからない。カギ屋に複製で開けられたら、それまでなんじゃないだろうか。
「紫ちゃん、どこ見てるの?」
楢崎が、にこにこと笑顔で聞いてきた。
紫は首を振って、あいまいにうなずく。
うどん屋には何組か家族がいるようだった。一組は、子供が二人と親子で、もう一組は、若そうな男女だった。男性の方がやけに髪が長くて、一瞬、女性かと思った。
「ほら、空いてるでしょう。みんな、こっちの方まで来ないんだよねぇ。仕方がないけれど」
「頂上までエスカレーターができてから、余計にこっちの方に来なくなったよね」
「あ、階段だ、紫ちゃん、足下気をつけてね」
楢崎はスタスタと前を歩いていく。誰ともすれ違わない。狭い階段は、急勾配で、一応手すりがあってそれをつかんで慎重に降りていった。
「岩だー」
楢崎が当たり前のことを大きな声で叫ぶ。
岩場は真っ黒な石だらけで、足下がゴツゴツして歩きづらかった。カモメがたくさんいて、紫たちの姿を見ても特に気にもしない。風は強く、波の音が間近に聞こえる。
「ほらっ、紫ちゃん、写真! 写真!」
紫は楢崎に言われるがまま撮影を始める。
しかし、当然ながらどこを撮っても同じような景色になってしまう。岩の表面には貝のようなものがへばりついていた。
「なんだこの穴は! 紫ちゃん、穴だらけ!」
楢崎が足下を指さしながら騒ぐ。見ると、確かに噴火口のような穴がたくさんあいていた。
「フィリップ・ボールも例に挙げていた自然のパターンの一つかな?」
また楢崎が、よくわからない人名を出す。
「ここから水が吹き出すのかなあ」
「どうして?」
二人はかがんで岩の穴に注目する。ゴツゴツした岩は、白い粉末を散らしたような色合いで、波に削られてところどころへこんでいる。
「でも、もしかしたらさ、ここから、どこかに繋がってるかもしれないねぇ」
楢崎が、怖いことを言い出す。
「ずーっと長いトンネルのようになっていてさ。ここから地球の中をずーっと通り抜けて。どこかに繋がっているの」
紫は、なんとなく楢崎の言うことがわかった。ようは、この小さな穴は洞窟になっていると言いたいようだ。
「えっ、それはないよ。すぐ下は海だよ」
「うん、まあね。でも、ひょっとしたら、洞窟になっているかもしれないよ」
「そう? どこに繋がっているんだろうね」
紫は、首を傾げて言う。立ち上がって、波が寄せる海の方へ歩いて行った。すぐ水がかかる。
「あっ!」
ふいに、楢崎が大きな声を出した。いつものことなので気にしなかった。そういえば、いつの間にかオサムは離したようだった。海にくると危ないからだろう。
「わー! ねえ! 紫ちゃん! ちょっとー!」
ようやく振り返ると、楢崎は、崖の方に移動していた。つまり、そちら側は北なのだけれど、切り立った岩の壁になっている。上の方に、さっき通り過ぎた神社がある。
「きゃああああ!」
楢崎がめいいっぱい叫ぶ。大空にまで聞こえるほどの声だった。誰か関係のない人が来てしまうのではないだろうか。
「なに! 大丈夫? 橘花ちゃん!」
紫は、岩場によろめきながら楢崎のいる方へ歩いていく。途中、大きな水たまりがあったので、飛び越えて渡った。
「ぎゃあああああああ」
楢崎がまた大きな声を出す。
「えっ、どうしたの? ん?」
すると、紫は、座り込む楢崎が指さす方を見た。何か黒い塊が落ちている。
近づいてみると、それは人だった。
頭を下にして突っ伏している。
死体のようにも見える。
「死体だああああああ」
楢崎がなぜか楽しそうに、もうひとつ叫び声をあげる。
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