第6話

 なぜか紫はリーフレットを作ることになった。

 何かというと、島のイベントだ。春の観光客をより多く増やそうということで、企画された。神社で出店し、街をグルリと巡るスタンプラリーを行うらしい。

 そもそもは、楢崎と紫で、定期的に砂浜のゴミを拾いにいっていて、町内会で商品券をもらうとき、町長の隣にいたおばさんが、「あなたたち若いから、チラシ作ってよ」と言い出した。

 町内会の支部は、島の入り口のそばにあって、古びた納屋のようにボロボロだった。この島には全然お金がないのだろうか。きっとそうだろう。

 確かに、全国でも有名なこの島には夏にたくさんの観光客がやってくる。でも、それ以外の季節は本当に人がいなくて、一応、恋人の岬、のような名所は用意されていても、人が集まることはない。名物は海だけだ。

 そんな事情もあり、町長は頭を抱えていたらしい。

 そして、町長の隣にいたおばさんというのは、実は今度、立候補する政治家だったようだ。以前、車に乗りながら演説していたのを見かけた。名前を何度聞いても覚えられない。

「ええ、私たち、全然絵とか描けないんですけど」

 紫は参考の紙をもらって、そこに書かれた可愛らしいクマのイラストを見て声をあげる。

 いっしょに来た楢崎も、無闇に首を振っている。髪がぐしゃぐしゃになっていた。

「うん、うん、何描けばいいかわかんないよね!」

「どうしようね」

 紫は下を向いてしまう。

「いいんだよ。絵じゃなくて、写真とか、とにかく文字とか。そうね」

 政治家未満のおばさんは手を振って気さくに話す。政治家、というのはこんなに馴れ馴れしくていいのだろうかと疑問に思う。

「ほらっ、島を遠くから撮った写真にしましょう」

「ええー、でも、今は冬ですから、春のイベントに合った写真になるのかなぁ」

 紫は不安に思って言う。

「雪が降ってたらまずいよねぇ」

 楢崎もクスクス笑って言う。

 ちょうど先週とその前と、連続で週末に雪が降ったのだ。今日は晴れ上がっているけれど、また写真を撮りにいったら雪が降るかもしれない。

「まぁ、紫ちゃん。こういうものは、ためしっていうじゃない。トマス・ピンチョンも言っていたよ!」

「はああ? 誰それ。ピンチ? まぁいいや、ものは試しって言うもんね」

 紫は、クマの書かれた参考の紙を握りしめて、うん、と決意する。

「いいですよ、私たちにやらせてください」

「あらー! ありがとう。そうしてくれると助かるわぁ。若い方がいないから、困りに困っていたのよ」

 おばさんは、真っ白いスーツを着ていて、手袋までしていた。顔立ちは、化粧が濃い目で、目はパグのようにまん丸だった。美人ではないけれど、目鼻立ちのハッキリした覚えやすい顔だなと思う。

 それにしても近所のおばさんと見分けがつかないほど馴れ馴れしい。

 公職選挙法違反、などは考えていないのだろうか。

「お礼をしてあげたいんだけど、何せ、今は取り決めが厳しいから! 何もあげられなくてごめんなさいね。まぁ落選したら何かおごってあげるから!」

 やっぱり、法のことは気にしていたようでそんなことを言われる。

「ねぇねぇ、紫ちゃん! 家にパソコンってあるの? 橘花はもう全然わかんないよ」

 紫は楢崎の小さな顔を見る。確かに、自分たちにはパソコンがない。スマートフォンだけは持っているけれど、メールを打ったり、ダウンロードした音楽を聴いたりするだけで、パソコンとは全然繋いでいない。

 橘花は、スマートフォンではなくガラケーを使っていて、より一層、ITオンチだった。

 あやめ荘の中で、唯一、パソコンに明るいのは紺谷だけだ。オタク、と言えるレベルでずっとプログラムを書いている。

「亮に聞いてみようか」

「ああ、そっか! りょう君なら簡単に作れそうだもんね。もういっそ頼んじゃってもいいんじゃない?」

 楢崎はいい加減なことを嬉しそうに言う。

「まぁねえ。あの性格だから、さすがに1から作ることはないと思うよ。なんの意味があるんですか? とか言い出しそうじゃない」

 二人は、おばさんにお礼をいって、町長から商品券を受け取った。

 ボロボロの町内会場を出て、またあやめ荘の方へ向かって歩いていく。

「変なこと頼まれちゃったねぇ」

 紫は、楢崎と並んで、ついまたため息をついてしまう。とりとめのない毎日の中に、たまにこういう不思議な出来事がある。

「うん! でも楽しみだよねぇ。街中に貼られるんじゃない? それって、橘花たちの写真をみんなが見るってことだよ。面白いじゃん」

 やけに楢崎は乗り気なようだった。ニコニコと笑いながら、紫を見上げて話し続ける。

「でもねぇ。楽しいけど、大変だと思うよ。誤字脱字があったらいけないし」

 そうなのだ。街に貼られるということは、間違ったものを作ってはいけない。紫は、高校生のころから、こういう行事に参加するのが苦手だった。

「まぁ、亮にも話を聞いてみて、そして、明日にでも写真を撮りに行こうか」

 明日は日曜日で、まだまだ寒い。

 先日は、楢崎が風邪をひいたのでどこにもいけなかった。また、こういう頼まれごとをすると、家にこもって作業しなくては、と思う。

「さて、何を撮ろうかな」

 紫は、家にカメラがあったかなと考えて、少し型の古いデジカメを思い出す。

「あの! 島の裏側のゴツゴツしたとこでもいいんじゃない?」

 楢崎が急に南の方を指差す。太陽がまぶしくて、先週雪が降っていたなんて忘れてしまいそうだ。足下は石畳で、もうすぐ階段がある。

「えええ、なんでわざわざあんなところで写真を撮るの? この島だってことがさっぱりわからないよ」

 楢崎が言っている場所は、彼女が働くうどん屋のそばで、島の南東のことだった。海に面した海岸で、真っ黒い岩肌が隆起した岩場だ。普段、滅多にそっちへは行かない。うどん屋以外になにもないただの岩場で、お社があったような気もするけれど、観光客もこない穴場スポットでもある。

「なんでかなぁ。でも、岩場はかっこいいじゃない。あの、波がかかってくるのとか、いい写真になると思うよぅ」

 楢崎は一度大きく手を降る。波を表現しているんだろう。

「うーん、でも風が寒いし」

「暖かくして明日行ってみようよ!」

 なかば強制的に、楢崎は岩場へ行く提案を紫に飲ませた。

「あ、紫ちゃん、トマス・ピンチョンは、小説家だよ!」

 急に走り出す楢崎はこちらを振り返って言った。なんだろうと思ったが、さっき話していた謎の単語のことのようだ。どうして何の前触れもなく小説家の名前を言うのかはさっぱりわからない。

 楢崎の行動を予測できる人がいたら、ぜひお目にかかりたいものだと紫は思う。

 空は昼の光に照らされて、冬とは思えないほど晴れ渡っていた。いつの間にか季節は巡って、いつの間にか春はやってくる。

 紫は遠く目を細めて、海の先の本土に思いを馳せた。

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