第5話

 目まぐるしいショーだった。

 色とりどりの光が会場を覆って、特に青い光が印象的だった。水の中にいるような演出だ。昔、子どものころによく水族館へ行ったなと思い出す。水槽の間を散らばる光に照らされて床が青白く輝いていた。

 演目の曲自体は、イヤフォンでいつも聴いている曲なので慣れている。ソラで歌えるくらい。

 紫は背が高いので、周囲の女の子たちより頭一つ飛び出していた。その点はラッキーだなと思う。ボーカルの顔も遠くからでもよく見えたし、いちいち背伸びをする必要もなかった。

 手を振ったりはせず、仁王立ちで腕組みをしていた。こういう聴き方は印象がよくないと言うけれど、飛んだり跳ねたりするのが嫌いだった。周囲の女の子も、初めこそ不審な表情をしていたけれど、ショーが始まると気にしなくなったようだった。

 皆と同じように髪の毛が乱れるほど飛んだり跳ねたりすればもっと楽しくなるのだろうか。紫にはそうは思えない。

 会場は何万人も入る巨大なステージなので、当然、バンドのメンバーの誰かと目が合うようなことも全然なく、予定通りのショーを予定通りに見ただけだった。平日は企業の展示会なども行うような場所なので、舞台に傾斜もなく、だだっ広い空間に舞台だけがあった。紫は、会場のど真ん中あたりにいたと思う。

 出待ちなどをするタイプでもないので、アンコールが終わったらすぐに出口へ向かった。

 感情にうったえるものが好きな紫だが、自分自身はあまり表情も変わらない。嬉しかったり、楽しかったりと感じるけれど、なぜか顔に出したいとは思えなかった。

 周囲では、感動して泣いている子もいた。

「カッコよかったねー」

「途中で一瞬、かんでたよねー」

「そこがかわいいんだよー」

「いい演出だったなー」

 珍しく、女性だらけの場所に四人の男子グループがいた。大学生みたいで、皆そろって大きなリュックを背負っていた。販促グッズの大きなうちわを持っている。タオルも首にかけていた。

「また来ようなー」

「次の箱ってどこだっけ」

「やばい、宮城じゃん、遠いよー」

 紫は、意味のわかる会話を横耳で聞き流しながら、自分も次のライブが楽しみになってきた。箱、というのはライブ会場のことだ。

 少年たちは大きな声で、おしっ、と叫んでいた。

 皆、今日を楽しみに日々を過ごして来たのだろう。

 会場を出て、ペデストリアンデッキに沿って、駅へ向かった。雪が降っていた。寒くて体が震えたけれど、傘などは持ってこなかった。

 人の波に乗って、行き先のない夜を歩いていく。

 満員電車に乗って、ふと携帯を見ると電池切れだった。

 ライブの間も音楽がずっと流れっぱなしだったようだ。音量は小さいけれど、うっかり大きな音なら怒られただろうな、と思う。

 もしかしたら、楢崎や紺谷から連絡があったかもしれない。真っ黒な画面からは想像することしかできない。

 ぎゅうぎゅう詰めの電車の中で、窓にへばりついて外を見ていた。暗い海が見えてくる。

 こういう風に、何もしない時間になると、急にまた楢崎の言葉が呪文のようによみがえる。

 ライブを聴きに行くのも、「自分を助けたい」という気持ちなのだろうか。確かに、曲を聴くと、すっきりするし、いろいろな嫌なことを束の間でも忘れられる。

 でも、そんなのみんな一緒じゃないか。

 この電車に乗っている人たちは、たぶん全員同じような気持ちでライブへ行っている。嫌な気持ちを忘れるために。うさを晴らすために。ストレス発散というやつだ。

 そう考えると、この電車は、まるで悩みの重箱のようじゃないか。たくさんの鬱憤を乗せて、家に向かって走っている。

 今、自分の横にいる、疲れ果てたおじさんも、きっと苦しみや傷を負っている。目には見えないけれど、つらい過去を持っているのだろう。具体的にどんなことなのかは興味が湧かないけれど、紫は、紫がおじさんだと思う男性にも、自分と同じ、若い頃というのが存在するのだなぁ、という当たり前のことを思う。

 それとも、会社へ入って、やるべきことをしているだけの迷いのない日々は、疲れるだけで感傷的にはならないのだろうか。

 毎日、毎日、同じ日々の繰り返し。

 たまに、こうやってライブという非日常へ繰り出して、平坦な日々を盛り上げる。

 みんな同じじゃないか。

 では、歌手たちはどうだろう、と思う。

 そんなことを考える。

 歌手たちだって、傷を負って、鬱憤を抱えているのではないか。

 むしろ、一般人よりも抱えるものや、受け止める感情も多いので、よっぽど疲れるのではないだろうか。

 もしかしたら、紫と同じように、歌手もお忍びで他人のライブへ行くのだろうか。

 いや、たぶん違うなと思う。

 きっと、彼らは歌にしてしまうのだろう。

 悲しいことも嬉しいことも、いろいろな感情を、言葉ではなく歌という方法で発散する。

 だから、聴く側の悲しみとも共鳴するのだろう。傷の共鳴という言葉を思いつく。

 同じような症状を抱えて、病院に押し寄せる人たちのことも考える。同じ打撲であっても、どこでぶつけたのか、誰にぶつかったのか、ということが全然違う、あらゆる傷あとには、個性がある。

 紫の将来の仕事は、それらの傷を癒すことだ。

 痛みを和らげ、苦痛を減らす。

 なんだか、急に歌手も治療者のような気がしてきた。心の、というと精神病のようだけれど、歌手は小さな精神科なのではないか。

 嫌々で勉強した心理学の本を思い出す。哲学の本も学校で読まされた。

 自立心、エリクソンの発達診断、そして、アイデンティティの喪失。

 心の傷は、同じ傷を共鳴することで癒される。そんな仮説を立ててみた。打撲が打撲という病名をつけられることで治療が素早く行われるように、心の傷にも似たような症例があるのだ。

 悲しみや、喜び、愛情、通りいっぺんの感情と、憎しみやいら立ちなど。

 歌というものは、たくさんの言葉で、単純な感情をより味わい深いものにしようとしている。普段は気にしないような気持ちの機微を、丁寧につかみ取って、リズムに合わせていくのだ。

 なんだか、壮大な話になってきたな、と思う。

 でも、このくらいのことは誰でも考えることだろう。

 ライブのあとの帰り道は人を詩人にさせる。

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