第4話

 雪が降る日だった。

 その日、紫は朝早く起きて身支度を整え、さっさと島の外へ出かけた。駅までは完全に徒歩のみで、一応は定期船があるけれど、本数がたいして多くなかった。

 真っ直ぐにのびる長い道のりを、黒のコートと、分厚いブーツを履いて行ったけれど、それでも肌寒くてくしゃみをしてしまう。

 紫はあまり寒さに強くはなかった。

 紺谷には、前日までに今日の予定を伝えようとしたけれど、なんだか言いそびれてしまった。大した用事でもないからいいのだ、と自分を納得させる。

 島の朝は静かで、観光客もいない。

 電車に乗るまでは海を眺めて歩いてきた。

 上空には遠く飛行機雲が見え、分厚い雪雲に飲み込まれていた。

 風は強く、体を震わせる。島と本土との連絡橋は、車と歩行者を分けて通すようになっている。足下はレンガ敷で模様になっている。人はいないし、車両もあまりなく、波の音だけが聞こえる。

 今日、紫が出かけた理由は、ライブだった。

 2年くらい前からずっと応援をしているバンドがいて、彼らを観に行くために、わざわざ抽選でチケットを当てて出かけたのだ。

 テレビに出演してから、だんだんと人気が加熱して、人気すぎて落選をしたこともある。それもあって、今回はとても楽しみにしている。

 初めてのライブは、地方都市だった。

 長い時間をかけて観に行った。女の子がたくさんいて、みんな同じようなTシャツを着ていた。自分は、ラフな格好をしているので男の子みたいだとよく言われる。昔、二人の姉たちにもからかわれた。二人の姉は女の子っぽい可愛らしい格好が大好きで、ズボンなどは履かない。声も高くて、話し方も女性らしかった。

 紫は、一人でポツポツと歩きながら、自分の過去を思い起こしていた。

 なぜか急に、夏ごろ楢崎に言われた言葉を思い出す。

「紫ちゃんは自分を助けたいんだよ」

 そう。楢崎は確かにそう言ったのだ。

 どうしてだろう、とずっと心に引っかかっている。

 紫は、自分では特に傷ついているとは思っていない。まさかずっと足を引きずるような暗い過去もない。

 ただ、姉たちとのことはあんまり思い出したくないな、と思う。決して、悪い姉ではないのだけれど。

 少なくとも、紫とは似ても似つかない二人だった。

「やだなー」

 紫は、周囲に誰もいないので、一人で呟く。

 やだな、と思ったのは、なんだろうと立ち止まる。

 もしかしたら、楢崎の言っていたことは、このことかもしれない。別に傷ではないけれど、なぜか思い出したくない姉たちの存在。

 紫には、別れに手間取った彼氏などいないし、片思いの相手もさっぱりいない。どちらかと言うと、女の子の友達が多いので、学校でも女子とばかり過ごした。もともと男の子のような性格だと自分でも思っている。

 だからだろうか。紫は、楢崎の一挙手一投足をじっと見つめてしまう。彼女は可愛らしくて、いかにも女の子らしい。ピンク色の持ち物を愛するようなところがある。

 話すときも、いつも相手のことを考えていて、紫のようにおっちょこちょいではない。そのくせ、ころころと表情が変わって、子供のようだ。

 女の子って、こんな感じだろうか、と思う。

 ちょうど、今日のお天気のように変わりやすくて、不機嫌と上機嫌を繰り返す。その周期性は特になくて、いつもランダムに上がったり下がったりしている、ように見える。

 紫も、とても感情的で怒りっぽいけれど、あまり泣くことはない。泣くことを禁じているようなところがある。

「寒いなー」

 しばらく同じような景色を歩き続けて、対岸にビルが見えてくる。都心の高層ビルとは違って、せいぜい五階建だ。

 海に面したレストランも見える。まだ、オープンしていないので、テーブルの上にイスが載せられている。

 駅は龍宮城のような形をしている。真っ赤な壁に、豪華な装飾の屋根が載っている。一応は観光名所なので、変わった見た目をしているのだろう。

 駅で改札を通り、電車を待つ。

 人はまばらで、駅員も一人しかいなかった。

 これが夏場になると、人でごった返しになるのだ。人が多すぎて歩けなくなる。だから、地元の人は、混雑期には駅に近寄らないようにしている。

 寒々しいコンクリートの床を見つめて、白い息を吐く。

「自分を助けたい、ねぇ」

 ふいに、紫はポケットに入れてきた携帯を見る。特にメールなどは来ていない。イヤフォンをつけて、音楽を聴く。

 今日は何だかいつもと違って気分が盛り上がらない。いつもなら、楽しみでワクワクするのに。好きな歌手の晴れ舞台を観るのを楽しみにして日々を過ごしている。

 そんな気分なので、静かな曲にした。

 海という単語がたくさん出てくる。

 はあ、とため息が出たところで電車がきた。

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