斎藤紫

第1話

「紫は、男の子みたいだね」

 一番上の姉が言った。

 パーマがかけられたフワフワの髪を指先で遊ばせベッドのふちに座って笑っていた。高い鼻筋が美しく、唇はふっくらと赤かった。肌は全然日焼けしていないので真っ白だ。

「うんうん、ほんとにそうだよね。なんでいつもズボン履いているの?」

 口をはさんだのは二番目の姉だ。

 膝を崩して姉の横で座りこんでいる。

 生成り色のシフォンスカートの上に、ウサギのぬいぐるみを載せていた。顔立ちは地味で、姉と違って団子鼻だった。ただ、二重の瞳だけはまん丸で大きい。アーモンドアイというのだろうか。

「スカートを履かないし、メイクもしないし」

「あと、話し方もそれっぽいよね」

 アハハ、と二人の姉は声を合わせて笑う。

 姉たちにはさまれた紫はうつむいてしまう。長い前髪が、鼻先まで届いていた。

 確かに、紫の格好は、Gパンと無地のシャツだった。アクセサリーも何も付けていない。数年前に買ったズボンは何度も洗ったため色褪せてみすぼらしかった。

 それに比べて、二人の姉は華やかだ。

 長いまつ毛、まぶたにはアイシャドウ、そして、手入れの行き届いた髪。紫も爪くらいは丁寧に切っているが、姉たちのようにネイルをしたことはない。

 そのような生活の余剰がない。

「これなんかどう?  着てみない?  今度、姉さんの発表会もあることだし、一度着てごらんなさいよ」

 二番目の姉が手にとったのは、ベッドに何着も投げ出された服のひとつだった。生地は絹で首元に大きなコサージュが付いていた。

「アハハ、だめよ、だめよ!  紫が着たらワンピースじゃなくなっちゃう!」

 紫は、姉妹のなかでも一番背が高い。百九十センチの父の次に大きかった。

「確かにそうね。じゃあ、こんなのはどうかしら」

 姉が次に取り出してきたのは、フリルの付いたスカートだった。濃い茶色で生地が分厚い。

「それだと、上はブラウス?」

「カチューシャも付けてよ、紫」

「ねえ、どっちがいいの紫」

 紫は詰め寄ってくる二人の姉を交互に眺める。その動きは、はたからは首を振っているようにも見えただろう。

 どうして、姉たちはこんなに無理難題を押し付けてくるのだろうと思う。

 窓から入る光が、壁中にかけられた花柄のワンピースを照らしていた。

 部屋のすみに置かれた鏡台に写った自分の姿と目が合うことはない。

 

 高校を卒業した紫は、反対する姉たちを振りきって、九州から飛び出し、東京の学校へ通い始める。風呂もトイレも共同の狭いアパートでの生活だった。自炊にも慣れてくると、節約のために弁当を詰めて出かけた。

 ほつれた服を縫い、ボタンなども自分で付けていた。実家にいた頃は、ミシンもあったので、よく自分で服を作っていたが、上京してからあまり触らなくなった。

「ねえ、紫さんはモデルをやりなよ」

 そう言ったのは、友人の女性だ。

 東京で知り合った友人は、デザインの学校へ通っていて、いつも作りかけの服を見せてくれた。

 今日は友人が住む団地に遊びに来た。東京の中でも、東の方で、川が近い住宅地だ。

 無理だよ、と紫は答える。

 友人は残念そうに「そう」と言い、再びミシンを動かしていた。

「せっかくスリムな体型なのにね」その先の言葉は続けられなかった。

 紫は、せっかくという言葉に違和感を覚える。

「そういえばね。私、来月に結婚するんだ」

 友人が視線を手元に向けたまま言った。紫は驚いて手を止める。結婚どころか、相手がいることすら知らなかった。

「もうすぐ、お腹も大きくなってくるんだよ」

 紫は、とっさになんと答えれば良いのか分からなかった。ただ、そうなんだ、とだけ繰り返す。おめでとうとも忘れずに言った。

「ありがとう。あんまり自信ないんだけどね。やるしかないなって思うんだ」

 そう言いながら、友人の手つきには迷いがなく力があった。にっこりと笑ってこちらを見る。

「ねえ、紫さんは自分の子供ほしい?」

 えっ、と紫は静止する。考えたこともないことだった。ドラマのような台詞だと思う。

「もし産むなら男の子がいい?  女の子がいい?」

 突然の質問にうろたえる紫は、とっさに男の子、と答える。答えてから、姉たちの顔が浮かんだ。娘ばかりだと、なんだか疲れてしまう。

「どうして?  女の子の方が可愛いよ。服だって作れるし」

 友人は楽しそうに笑う。

「この子にも着せたいんだよね」

 ゆったりと動くその手は、お腹のあたりを触りながら、そして、爪には薄ピンクのマニキュアがされていた。

「きっと可愛いよ」

 友人はまるで歌うように言う。

「さあ、あとは袖口だけ。がんばろうね」

 ミシンの音が続く。

 窓の外は暗く、生温い風が時折入ってくる。

 その頃の紫は、まだシェアハウスというものを全然知らなかった。もし、知っていたとしても、住みたいとは思わなかっただろう。

 紺谷たちと出会う前の紫は、寡黙でうつむいていることが多かった。一人の時間を求めていて、家の中はものがあふれていた。

 自宅のアパートは二階建てで、木の薄っぺらい扉がずらりと並んでいる。屋根はトタンで、地面はコンクリートだった。

 部屋へ帰った紫は、ふとハサミを手に取ると、自分の長い前髪をつまんだ。そしてそれを一気に切り落とすと、風呂場の立て鏡をまっすぐに見つめた。

 八月のことだった。

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