第10話
オサムと名付けた猫と別れて、ゆっくりと二人であやめ荘へ帰ってきた。楢崎は、眠そうな顔で空を眺めていた。
玄関の扉を開けて、靴を脱いで共同の下足入れに置き、居間へ行く。八畳の和室で、真ん中にコタツがある。
紫さんがせんべいを食べて、テレビを見ていた。
「あっ、橘花ちゃん、おかえり。亮、橘花ちゃんの風邪は大丈夫?」
僕は、なぜ楢崎の風邪を心配しなくてはならないのかと不満を感じた。
「うん、大丈夫だよ! オサムと神社までのぼっていたの」
「オサムって誰?」
案の定、紫さんは、楢崎の意味不明な発言を聞き返す。僕は、オサムにまつわる話をひと通り話して聞かせた。紫さんは大笑いしていた。
僕らもコタツに入って、三人で温まる。
テレビでは、紫さんの好きなバンドのメンバーが温泉旅行をしているようだった。
情けない、と酷い中傷を受けたボーカルが、温泉にどっぷり浸かっておじさんのようにうなっている。どうやら、バラエティ番組のようだ。
「ほら! 情けない顔してるでしょう。そもそも、こんなバラエティ番組に出るなよ、ていう」
紫さんはせんべいを口に放り込みながらテレビを指差す。そんな酷い感想を持つなら、そもそもテレビを見なければいいのではないか、という言葉は隠す。
「知らないですよ、僕はバンドの曲なんか聞かないですし……」
「ええー、曲は良いんだよ」
温泉に入ったボーカルの青年は、こんなところへ来るのは十年ぶりだと話していた。やけに大袈裟なことを言うなと思い、テレビの嘘だろうと思った。さすがに、十年も温泉に入らないなんてことはないはずだ。
ボーカルの横には、よく見る芸人がいて、二人で気持ちよさそうに浸かっていた。
「情けないわぁ」
「だ、か、ら、情けないと思うんだったら見ないでくださいよ」
僕は突然リモコンをとって、テレビを消した。
本当に、紫さんだけの話ではないが、気に入らない人間をわざわざ見ようとする気が知れない。嫌いなら、見なければいいのだ。わざわざテレビを見て、悪口を言っていたのでは意味がない。
「ええー、情けないところがいいのに!」
「わかるー! 紫ちゃん、橘花にだけはその気持ちわかるよ!」
「は?」
二人はまた楽しそうに、ボーカルの悪口を言いまくっていた。なぜ、そんなに思いつくのかなと感心するような勢いで話し続ける。
「オサムも本当にダメでねぇ。ろくでなしなの」
「うんうん。わかる。すぐ死ぬよね」
「そう! なぜか死にたがるの。何も起こっていなくても死ぬの。周囲には謎」
僕はめまいに近いものを感じながら、コタツで議論する二人の会話を聞いていた。
居間のすみでストーブがたかれて、一応は暖かい。隙間風と、土間からの冷気が多少あっても、コタツに入っている限り寒くはなかった。
「ねえねえ、紫ちゃんは、会ってみたいの?」
どうやら、楢崎は、紫さんが好きなボーカルに興味を持ったようだった。
「うーん、それが、たいしてそうは思わないんだよねえ。実のところ」
紫さんは、またそう言った。
「橘花はねぇ、ぜひ話してみたいよ」
「橘花ちゃんも、この歌手が好きなの?」
「いやぁ、橘花は歌がわかんないから。でも、“永遠”に近いものならどこへでも行くよ! 音楽だってそうだよ!」
僕は、また、楢崎の永遠話が出てきたな、とあきれる。永遠、永遠って、ポップミュージックにはありえないものだろうと思う。
ポップミュージック自体が、毎日毎週新しいものが生み出される。トップを占める期間はほんのわずかで、ほとんどの歌手が、永遠に売れずにステージを徘徊する。長く売れる曲もたくさんあるけれど、全体の一割にも満たないだろう。
きっと、歌手というのは、サラリーマンとは比較にならないほど、つらいことばかりだろうなと想像する。
労働者からすると、歌手というのは、同情しづらいとは思う。僕は働いていないけれど、もしもサラリーマンだったとしたら、皮肉の一つでも言いたくなる。遊んでいるだけでしょう、と。
「“永遠”が見つかるといいね」
なかば強引に、紫さんはそう言わされていた。
「うん。必ず見つかるよ! りょう君にも手伝ってもらうんだ」
僕は、いつの間にか共犯にされている自分を笑った。
「なんで僕もその謎の永遠を探さなくちゃいけないの……」
テレビの向こうでは、永遠とは無縁といった顔で、ボーカルの青年がくつろいでいた。
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