第6話

「りょう君は、大きくなったら何になるの?」

 次の日の火曜日も楢崎は寝たきりで、僕が看病をすることになった。紫さんは学校へ行っている。水野は、宣言通り鎌倉の別宅へ行ったようだった。

 楢崎の、幼稚園児のようなあつかましさは相変わらずで、丸くて大きな目を見開いて、人を困らせることを平気で言う。

「僕はもう大きいよ」

 僕は腕をまくらにして壁にもたれている。看病とは言っても、水を変えて、おかゆを作るだけだ。あとは彼女の話し相手をしている。

「そういうことじゃなくて、どんなりょう君になりたいの?」

 楢崎の質問は、重い雰囲気だった。

 僕は話をはぐらかせるのも良くないな、と思い、天井を見つめながら言葉を探す。

 子供の頃から、両親と弟を喜ばせるために過ごしてきたからか、いざ自分のこととなると、すっかりわからない。両親は、サラリーマンでさえあれば、僕のことはなんでもいいようだった。弟も、今は音楽に夢中で、実家の部屋にドラムセットを買い込んで遊んでいた。

「どんなって……、そうだな。まぁ、会社員かな」

「何の?」

 楢崎は、じっと僕を見つめている。少しの隙もない猟をするような目だった。

「何のかな。大きな責任がなく、あまり人と接しないで済む、外に出ない仕事かな……」

「そんな仕事ってある?」

 僕は、少しだけ考えて、「プログラミング」と答えた。実際、僕は子供の頃からPCを買い与えられて、時間があればずっとインターネットを見ているような性格だった。

「ふぅん。これがしたい! という夢はないんだね。会社員とか、プログラミングとか、ぼんやりしている」

「どんな仕事も疲れるからね。そんなに期待しても仕方がないんだよ」

「紫ちゃんは、看護師になりたいんだって!」

「うん、知っているよ」

 何せ一緒に歩きながら話したからだ。楢崎は、もう日曜日のことを忘れたんだろうか。

「紫ちゃんは、看護師って行き先がしっかりと決まっているの。橘花のことも、看病してくれるし」

 楢崎は布団に潜ったまま、頭だけをこちらに向けている。

「そういう楢崎は何になりたいの? 何かあるのか?」

 僕は自分から興味をそらせようとして質問をした。楢崎は、特に学校へ行くわけでもなく、島の中のうどん屋でアルバイトをしている。夢があるようには見えない。

「お嫁さんというのは、なしで」

 僕は冗談のつもりで口添えした。

「うーん。そうだねぇ。橘花は、“永遠”になりたいのだよ」

「永遠? なんだそれ」

 急に重い単語が出てきた。なんだかおかしな話だ。

「どういう意味なの? 永遠って」

「りょう君では、わかんないかな。紫ちゃんでも難しいだろうな。ふむーん」

「えっ、ますます意味不明なんだけど。どういうことだ?」

「りょう君は、安心安全を求めているから、わかんないよ」

「はあ?」

 僕は、もたれていた頭を上げて声をあげた。

「ようは、りょう君は、行く先を決めないくせに、なるべく舗装された道を歩きたいんだよ。道を間違えたくない。それじゃあ、“永遠”にはほど遠いねぇ。散歩してるだけだもん」

 楢崎は、珍しく難しい言葉を使ってゆっくりと話した。ようやく何を言いたいのかぼんやりと分かった。

 楢崎は、僕が「目的を見失っていること」を、それとなく伝えたいのだろう。確かにそうだ。

 とは言っても、永遠とは何なのか。楢崎こそおとぎ話に逃げているだけじゃないのか。

「えっ、じゃあ、ずっとこのまま、あやめ荘でみんな一緒に暮らし続けるとか、そういう夢?」

 僕は、うわっと声を出しそうになってやめる。なぜなら、このまま結婚もせず、奇妙なメンバーでずっと一緒に過ごすことに違和感があるからだ。当然、男女で暮らしているのだから、どちらかがくっつくことも考えられるだろう。

 でも、僕らの場合は、何も期待できなかった。

 千年一緒に暮らしたとしても、楢崎か紫さんのどちらかと結婚することは考えられない。

 兄妹でもなければ、恋人でもない。奇妙な関係だ。

「橘花は、“永遠”を探しているのだよ。なんとしても、それを得なければならない」

「永遠ってのは、どんなものなの? 今と同じではないの?」

「うん。紫ちゃんは、すぐいなくなるよ」

 僕はふと、将来について考える。確かに、紫さんはやりたいことがハッキリしている。学校を卒業したら、すぐ看護師になるために東京へ行く。島に居続けることはできない。

「じゃあ、どんな人と一緒にいたいの?」

「いやぁ、人は関係ないかな。橘花は、一人でも“永遠”を見つけだせるから」

 橘花は指を立てる。

「まあ、楢崎の言いたいこと、少しはわかったよ。でも、それって、僕のとどう違う?」

「“永遠”は、安心安全とは言いがたいんだよ。安全の正反対かもしれない。ずっと同じ危険が続くかもしれない。でも、橘花は、“永遠”に向かって、まっすぐに進んでいくの。どれほど危なくても」

 さっぱり理解できない独自の理屈で、楢崎はさらさらと話し続けた。昨日まで、のどがガラガラだったけれど、今日はもう良くなったようで、せきも全然していなかった。

「ふうん。よく分からないけれど、永遠って大変そうだね」

「うん。生きるよりも大変」

 南側のカーテンから外を眺めると、屋根の上に溶け残った雪がたまっていた。僕は、自分もあんな風に、ただ人の邪魔をするだけの人生になりそうだ、と思うと怖くなる。

「明日はもう大丈夫そう?」

 僕は話題を変えて、楢崎の体調を聞く。

「うん、もう大丈夫」

 楢崎は元気そうに答えた。そもそも、風邪をひいて外へ出るのをやめろと言いたいが、しつこいかなと控えていた。

「明日は雨みたいだけどね……」

「橘花は、雨も好きなのだよ」

「へえ、嫌いな天気はないの?」

「夏は嫌い」

「夏は、天気なのか?」

「暑いのが嫌い」

「そっか。僕もそうだよ」

 気温については、一般人と感覚が同じなのだなとほっとした。楢崎が変な人なのは昔からだけど、時々まともなことを言う。

「りょう君は、ダメだねー」

「ダメ?」

 僕は、昨日も紫さんにダメだと言われていた。二人揃って同じことを言うなんてまったく異常な状況だなと思う。掃除も洗濯も料理も、僕一人でやっている、というのに。

「まったくもって、お前はまるでダメだな」

 また、突然に楢崎の口調が変わった。

「なんで急にそんなことを言われなくちゃいけないの?」

「そうだねー。りょう君は、太宰の『グッドバイ』を読むといいかもしれないね」

 また、小説のタイトルが出てきたので、僕は改めて楢崎の部屋をしっかりと見る。ピンク色の部屋の中には、ぬいぐるみが多く、よく見ると本棚にはずらりと小説が並んでいる。洋書も多いようだ。

「ウェルズ『1984年』、ザミャーチン『われら』もいいかもねー。どうかな?」

 僕は、子供の頃には両親からまんがを禁じられていた。その影響で、本自体をほとんど読まなかった。小説なんて、学校から強制されない限り絶対に読まない。

 さっき楢崎が言っていた、太宰治も、写真を見たことがある程度で、どんな本を書いているのかはまるで知らない。『人間失格』という現代であれば差別用語のような酷いタイトルの小説があったことは覚えている。

 ウェルズと、ザミャーチンは知らない。聞いたことすらない。

「まあ、いつか読んでみるよ……、本が好きなんだね」

 僕は適当に答えてみる。

「本棚にあるから、今からでも読めるよ」

 楢崎は、布団から腕を出して、出入り口に近い棚を指差して言った。

「持って行きなよ」

 僕は指の先が示す、『グッドバイ』という本を手に取った。

「でもさ、自殺した人の本なんだろ?」

「彼もまた、“永遠”の一人」

 楢崎は短く答えた。

 確かに、作者の命が短いとしても、死後も作品が残るというのは、永遠かなと納得する。

 僕が好きなクラシック音楽も、どんな戦争で世界が崩壊しても、永遠に残るものだと思う。人が死んでしまっても、ずっと残るのだ。

 でも、と僕は考える。

 自分が死んだ後も、「残り続ける責任」みたいなものは、ずいぶん重いのではないだろうか。いい加減で、適当なことを書いたら、笑い者になってしまう。

 僕に小説家は無理だなと、すぐにあきらめた。

「じゃあ、大人しく寝てるんだよ」

 僕は文庫本を片手に、部屋を出ようとする。

「うん、きみもしっかり未来を見すえたまえ」

 楢崎がまた口調を変えて、野太い声を出す。

「はいはい」

 僕はドアを閉めて、自分の部屋へ戻った。

 たぶん、本は読まないだろう。

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