第4話
僕にとって、今までの人生は、父と母と、そして生意気な弟を喜ばせるためだけのものだった。
小学生の頃、父から「背筋を伸ばさない人間はだらしがない」と教わって、それ以来、僕はたとえ他人の目の届かないトイレの個室でさえ、背筋を伸ばすようにしている。
中学では、「シャツはズボンの中へ入れるものだ」と母から叱られたので、その通りにしていた。けれど、同級生から「シャツをズボンの中へ入れるのはダサい」とからかわれた。
だから、僕は一時期、家を出るときはシャツをズボンの中へ入れ、中学ではズボンから出していた。バカみたいな思春期だった。
「紺谷、お前はどこ行くんだ」と大学の同級生に尋ねられた。寝ぼけた授業の最中だった。
「何が」
「何がって、進路」
同級生は後ろの席から声をかけてきた。丸い目が犬のようだ。
「僕は、東京へ行くよ」
「前に言っていたところ?」同級生が首を傾げる。
「そうだよ」
「それって、通勤が駅から徒歩ニ分だからだっけ」
友人とは、高校の頃からの付き合いだ。同じクラスで不気味なほど馬が合った。
大学へ入ったばかりの頃、二人で合コンにも行ったことがある。
主催は、四歳上の水野という先輩だった。三年ほど留年していても、実家が大金持ちの水野の影響力は強く、なかば強引に、人数合わせで引きずり込まれた。
平均的な価格帯で、見た目に華やかなイタリアンバールで女性とお互いに向き合う形で座った。
水野は開始十分で悪酔いし、参加者の女と無理に肩を組み、大声で店員を呼びつけて文句を垂れていた。
僕は、まるで壁の花のように押し黙って、必死で水野を抑えていた。その一方、友人は斜に構えた横柄な態度でサワーをすすっていた。
水野は酔ってくると愚痴をこぼす悪癖がある。
「ちょっと! あんた、箸の持ち方おかしいよ」
半笑いで前に座る女性に言った。女性は細眉をしかめて水野の顔を睨み、それから自分の指先を見た。そこには確かに、不自然な中指の形があった。
「指折れるんじゃないの?」
箸の持ち方を侮辱された女性が怒り出せばまだ良かったかもしれない。
だが、その時は違った。なんと、彼女はボロボロと泣き出した。目のふちのアイラインがみるみるうちに頬を垂れていく。
「ひどい」と呟いた。恐ろしいのは、それを見た友人が興奮して、「キッスは目にして」を歌い出したことだ。
「泣くなよ、鬱陶しい!」
その後、合コンがどのように進行したのか思い出せない。
ただ、うちへ帰って上機嫌の水野がトイレに嘔吐をして寝込んだことだけは、最悪な記憶として残っている。
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