第3話

「ゲホッゲホッ」

 部屋の中にどのくらいの菌が浮いているのだろうと思いながら、壁にもたれて天井を眺めていた。

 僕らは、楢崎の六畳一間の部屋に三人でいる。楢崎はベッドで寝込んで咳込み、その度に、紫さんがおでこに手をあてていた。

「水を飲むといいよ」

「うん、うん」

 楢崎はガラガラの声でうなる。コップを手に取り、真っ赤な顔で飲んでいた。

 昨日、電球を買いに行き、帰り道で楢崎は雪の中へ突っ伏した。倒れたのだ。

 真っ直ぐに顔から雪にダイブしたので、初めは死んだのかと思ってびっくりした。

 その後、紫さんがおんぶをして楢崎をあやめ荘まで運んだ。結構な距離だった。

 今日は月曜日なので、本来であれば紫さんは学校へ行っているはずだ。わざわざ休んで、楢崎の面倒をみている。

 僕はぶらぶらしているので関係がない。

「紫ちゃんごめんねえー。学校に、ゲホッ、行かなきゃいけないのに」

 楢崎が泣きそうな顔で、紫さんを見つめる。

「いいよ。今日は大した授業じゃないから。土曜日にライブへ行って、疲れていたし」

 紫さんはお姉さんのように言う。

 確かに、楢崎がパジャマで僕の部屋に飛び込んできた夜は、紫さんは帰りが遅かった。携帯も忘れて、幕張メッセまで出かけていたのだ。

 ピピっと音が鳴り、温度計を見た紫さんは叫ぶ。

「ほら、四十度あるよ! 寝てて、寝てて! インフルエンザかな」

「いんふるぅ」

 楢崎は変な声を出す。

 どうしてこんなに情けない姿を他人に見せられるのだろう。家族にも見られたくない姿だ。

「お医者さんへ行った方が良いかな。でも、この島の診療所って信用できないから」

「おじーちゃんだもんねー。紫ちゃんには、迷惑を、ゲホッゲホ」

「ああ、もう、寝てて!」

 僕は二人の様子を見つめながら、どうしてこんなに楽しそうなんだろうと思っていた。そもそも、風邪をひいているのに、買い物へついてくること自体がおかしいだろう。あきれて怒る気力も失っていた。大人しく寝ていれば、今日の無駄な時間を有効に使えただろうに。

「じゃあ、僕は自分の部屋に帰るから」

 小さなソファから立ち上がって、紫さんへ声をかける。カーテンは閉まっていて、石油ストーブが音を立てていた。

 楢崎の部屋はとにかくピンク色だ。布団も、毛布も、ソファも、服も、カーテンも、何から何までピンク色だった。

「えっ、みてあげないの?」

 紫さんが顔をあげて僕を見る。

「無駄ですよ。寝てるのが一番」

「読み聞かせでもしてあげたらどう?」

 紫さんはからかうように言う。

「嫌ですよ。なんで僕が親みたいなことをしなくちゃいけないんですか?」

「やっぱり冷たい」

「もういいです!」

 僕はドアを開けて廊下へ出た。楢崎は、いつの間にかグウグウと眠っていた。

「まったく……」

 どうして風邪の人間が電球を買いに行くのだ。結局、最初に僕が言ったように、一人で買いに行けば良かっただけじゃないか。

 いつもそうだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る