泥車瓦狗

「何で生きてんだろ……」


 もうこれ以上作品を生み出せない私に価値はあるのか。もう価値のない私は死ぬべきだろう。だって、そっちの方が楽だから。


「でも、死にたくないな……」


 昨日は眠れなかった。瞼を閉じる度、今まで作ってきた世界と、燃え盛る暖炉の炎が現れるからだ。この憎しみを吐き出す紙すら今や無い。逃げ場を失った濁流が、脳内で氾濫する。


「神になりたい……」


 私の心と対称的に、空は明るくなっていく。やっぱり、この空は嫌いだ。父曰く、この後地区のゴミクズどもに頭を下げなきゃいけないらしい。


「何であんな馬鹿どもに謝んなきゃいけないんだ……。嫌だなあ……」


 芸術家として死んだ今でさえ、人間としてのプライドは醜く残っている。それすら踏み躙られてしまえば、とうとう私は壊れてしまうんじゃなかろうか。


 逃げよう。


 そう思って、窓に手をかけた所で気が付いた。


 柵に囲まれた世界の中で、どこに逃げ場があるというのか。


 私はただ、秒針の音を恐れて、耳を塞ぐことしかできなかった。


 ◇


「時間だカーラ。今日は祈祷の代わりに、お前の裁判を行うようだ」

「…………」


 裁判だなんて、私はそんなに悪い事をしたのだろうか。ただ遺跡に入っただけだというのに。心の中ではそう思いつつ、口にしても無駄だと分かっていたので、黙って教会へ向かう。


 教会は、いつにも増して静かだった。それもその筈、普段気色悪いほどに集まっている大衆は居らず、居るのは険しい顔の神父一人だ。


 こちらに近付いてきたかと思えば、有無を言わさず手錠をはめる。


「……何これ?」

「これからお前を裁判にかける。無実になれば外してやる」


 ここには弁護士も裁判官も見当たらない。ただ、こいつの独断で刑罰を決めることを、裁判と言い張るつもりなのか。


「………………」


 言い張るつもりなんだろうな。


 私はいつも神父が立っている台の上に立たされる。床のシミを見ながら、人が集まるのを待った。


 どうやら、私と一緒に遺跡へ入った彼女は裁判にかけられないようだ。私が間抜けに捕まったというのに、彼女は見つからなかったのだろう。やっぱ、ランプを持っていったのは間違いだったか。


 ほんの少し腹立たしいが、まあ良かった。


 ◇


「これから、『カーラ・ニゴレッタ』の裁判を開始する!」


 壇上には私と神父しかいない。地区の中の全員から、ジロジロと顔を眺められる。こんなカスどもの視線なんて気にならないと思っていたのに、いざ始まると羞恥と緊張で手が汗ばんできた。


「彼女は何と昨夜、悪魔の遺跡に足を踏み入れた!」


 その言葉と同時に聴衆のザワメキは大きくなる。何をそんなに騒いでいるのか。結果、何も起こっていないというのに。


「まずは謝罪せよ」

「………………」


 私は俯いて無視をする。何で悪く無いのに謝らなければならないのか。そもそも、ここで謝ることに何の意味があるというのか。


 何より私はそんな屈辱的なことをやりたくなかった。


「応じぬか。では仕方ない」


 すると、神父は鋭い短剣を取り出す。


「この場で刑に処すしかあるまい」

「…………ヒッ!」


 その光を見た私は、いとも容易く屈してしまった。


「……す……すみませんでした……」


 自分よりも劣っている有象無象へ頭を下げる。無様な自分に耳が赤くなる。


「頭が高い。謝罪とは膝を曲げ、頭を地につけて行うものだ」


 心では逆らいつつも、体は言われた通りのポーズを取る。


「すみま……せんでした……」


 今までの人生で、こんな無様な存在を見たことがあっただろうか。まさか他でも無い私自身がこんな目に遭うなんて。


「…………っ!」


 目が熱くなって体が震える。けれど、ここで泣いたらもっと無様になるだろう。額を地につけたまま、必死に涙を堪える。


 流れる数秒は永久に感じられた。そんな醜態を見届けると、神父は言葉を続ける。


「見ての通り、彼女は自身の行いを悔いている。彼女には、まだ人間の心が残っている」


 神父はどうやら私を無実にしてくれるようだ。こんな屈辱も、もう終わる。あと数秒後には、いつもの日常が戻ってくる。


「しかし、彼女の罪はこんなものでは許されない!」

「…………………………え?」


 こいつは、なにをいっているんだ?


「彼女のせいで、昨夜悪魔は解き放たれた! 我々はそれを鎮める必要がある! その為には生贄が必要だ! よって、『カーラ・ニゴレッタ』は生贄となることで、その罪を償うことが出来るとする!」

「ちょ……ちょっと待って……私、謝ったよね?」

「ああ。だから、その誠意を認めて、汝は人として一生を終えることを許された」

「一生をって!? 私、殺されるの!? あんた一人の決断で!?」

「生贄がどうしても必要なのだ。仕方がない」


 聴衆どもは涙を流して憐んでいる。しかし、決定に反対するものは居ないようだ。


「ねえ!? 助けてよ! 私まだ死にたくない! 誰か……誰か、助けてよ!?」


 嘆きの声が、教会内を響き渡る。


 流石の両親も、こんな状況では助けてくれるんじゃなかろうか。大量の聴衆の中から必死に探す。


「ねえ…………誰か…………!」


 居た。奥の方の席で、二人揃って座っている。涙こそ流しているが、私に目を合わすつもりはなさそうだ。


 そこでやっと気が付いた。ここに私を助けてくれる『誰か』なんて居やしない。


「では、私が遺跡にて処刑を行う。皆はそれぞれの仕事に戻るように」


 私はキツい首輪をはめられ、奴隷のように歩かされる。


 あんな馬鹿なこと、しなけりゃ良かったのにな。


 ◇


 数時間ぶりの石の遺跡。魔法陣には大量の藁が敷かれていた。そこの上に寝させられると、追加の藁が降ってくる。寝心地最悪のベッドに包まれた状態で顔の部分だけ払われた。自身が処刑される瞬間を見届けよ、ということか。


「……うっ!」


 腹を思い切り踏みつけられる。逃げられないようにする為だろう。はなから、そんな気力などないというのに。


 神父はブツブツと呪文のようなものを唱えながら、松明に火をつけた。ああ。私はあれで燃やされるんだ。


 きっと、熱くて、痛くて、苦しいんだろうな。だけど、自身の作品と同じ末路を迎えるというのも、芸術家として一つの在り方かもしれない。なんて、結局本の一つも出せなかった私が、一丁前に芸術家気取りなのも滑稽な話だが。


 あと寸刻で私は終わる。永遠なんて残せないまま、ここで完全に消えるのだ。


 もっと、評価されたかったな。


「本当に殺しちゃうの?」


 聞き覚えのある声がした。夢現だった脳髄が、衝撃で一気に醒める。どうして、彼女がここに居るのだ。


「だ……誰だ……お前は……!」


 神父は驚き、目を見開く。彼は地区の人間を全て把握しているんじゃないのか。


 そう。彼女の名前は……。


 名前は……。


 ……誰だっけ?


 すごい覚えやすい名前だった気がするんだが。どうにも思い出せない。


「朝の裁判を見ていなかったのか!? 私は今、悪魔を鎮めるために生贄を捧げているのだ!」

「何で、生贄を捧げたら悪魔は鎮まるの?」

「聖書にそう書かれているからだ!」

「……カーラを殺すのを止める気はない?」

「当たり前だ! そうしなければ悪魔は——」


 彼の言葉はそれ以上、紡がれることはなかった。


 代わりに、弾けるような音がして、腹の重石が軽くなる。


「えっ……?」


 神父の頭が吹き飛んだ。何かに吹き飛ばされたというより、自分から捻れて飛んでいったようだった。


 自身の目を疑いながら起き上がる。だが、紛れもなく神父の死体は本物で、見覚えのある彼女も本物だった。


「そんなんじゃは喜ばないよ」


 異様な現象を目にしながら、飄々としている彼女。まさか、彼女こそが。


「悪魔………………?」

「正解!」


 彼女はニッコリ笑いながら、親指を立てる。


「嘘だ…………」


 だって、悪魔は存在しない嘘っぱちで、増してや、それが彼女だなんて、有り得ない。


「ちゃんと昨夜も返事したじゃんかー。『悪魔さーん』って可愛く呼んでたから」

「あれは、私を驚かせるために、やったんじゃないの……?」

「じゃあ、私の名前は?」

「え、えっと……フェ、フェア?」

「メアだよ。メア」

「そうだ! そう! えっと……なんだっけ?」


 彼女の名前を引き出そうとすると、途端に脳が混乱する。


「それこそ、私が悪魔である証拠だよ。人間は人間の作った名前しか覚えられない。『メア』っていうのは悪魔である私が自称してるだけの名前だから、人間のカーラには覚えられないんだよ」

「いや、そんなこと言われたって……! 意味が分からない! だって、今まで一緒に……!」


 今まで?


 彼女のことを知ったのは、つい最近の出来事だ。こんな狭い地区で、産まれた時から過ごしていたのに、だ。


 そういや、神父は彼女の存在を知らなかったようだ。思い返すと、彼女が私と出会う時、常に二人きりではなかったか。


 彼女は今までこの地区に居たのか?


 彼女は私以外の前に現れたことがあるのか?


「まさか、本当に?」

「やっと、信じられたみたいだね。でも、別にカーラに危害を加えるつもりはないよ」


 それはきっと本当だろう。さっき神父を殺したのも、昨夜足の傷を治したのも、おそらく彼女の力によるものだ。いつの間にか、首輪と手錠も無くなっていた。


「因みに答え合わせをすると、カーラの言う通り、私を封じ込めるなんてものは居なかったよ。『私が神』っていう推理も、いい線はいってる。かと言って、正解でもないかな。確かに、私はこの世で一番神に近い存在だけど、万能って訳でもないからね。死んだ神父は生き返らないし、燃えた原稿も復元できない」

「原稿も……?」

「うん。私は契約で手に入れた魂以外は自由に扱えない。それは魂を宿した芸術作品も同じこと。もっとも、これまた契約による願い事なら、もっと制約も軽くなるけどね。私が知らないだけで、こういう仕組みを作った神は居るのかもしれない! 吐き気がする程ワクワクするね!」


 彼女はウキウキしながら語り出す。ずっと、誰かに打ち明けたかったかのだろうか。


「目的は何?」

「うーん……。何だろうね……。そんなもの全てのものに無いんじゃないかな? 人間だって、生きているから生きてるだけで、目的なんてないでしょう? 強いて言うなら、楽しく過ごすことじゃないかな!」

「じゃあ、何で私に接触したの……?」

「初めはカーラの小説に惹かれたから。ここの人間はつまらない奴らばっかりだったけど、カーラは面白そうだった。次に、私と話そうとしてくれたから。誰もが私を悪者扱いする中、カーラだけは話し合おうとしてくれた。ファンとしても、メアとしても、嬉しかったよ! カーラと一緒に居たら、楽しく過ごせるだろうなって思った!」

「そう……それは良かった……」


 何だか照れ臭くて目を背ける。やっぱり、コイツは悪魔だろうが何だろうが、おかしな私のファン一号であることは変わりないんだろう。


「さて。私の正体が判明したところで、カーラがマズい状況にあることは変わりない。処刑人である神父が死んで、罪人であるカーラが生きているとなれば、地区の人たちがどうするかは想像に難くないよね」

「どうしよう……」

「全員、殺せばいいんだよ!」


 彼女はいつもと同じ笑顔のまんま提案する。


「私はカーラの小説を燃やしたあの人たちに怒ってる。昨日、殺しておかなかったことに後悔してる。だから、カーラが許可してくれれば、詫びとして無償で全員皆殺しにするよ!」

「………………」

「どう? 悪魔が無償で力を貸すなんて、中々ないことだよ?」


 私はこの地区の奴らが憎い。殺したいと思ったことも、今まで何度もあった。でも。


「駄目だ」

「どうして?」

「確かに、アイツらは馬鹿だ。この地区の奴らは私を除いて全員大馬鹿だ。でも、それでも生きているんだ。それを無闇に殺すのは、私の気持ちがスッキリするだけで何の生産性もない。……もしかしたら、私が知らないだけで良い奴も居るかもしんないしね」

「そう。優しいんだね」

「どうかな……。貌のない神父を見ても、あんまり心は痛んでない。結局、私怨の強さによって、命を勝手に選別してるだけだよ」


 そうだ。色々理由づけをしているが、実際私が本当に思っていることなんて、『なんとなく虐殺は駄目な気がする』程度のものだ。優しいというより、私も馬鹿なだけかもしれない。


「ふーん……。まあ正直、私は優しさって概念をあんまり分かってないし、私が不快にならなきゃどうでもいいけどね」


 キャッキャと彼女は笑うと、改めて話し始める。


「でも、どうするの? それじゃカーラは救われないよ?」

「どうしようかな……」


 そう俯いた頬を押さえて、私の顔を持ち上げた。見下ろす顔は稚児を諭す神父のようだ。


「私に魂を捧げたらいいんじゃない?」


 初めから、これが彼女の目的だったのかもしれない。無邪気な笑いは、まさしく悪魔的である。


「捧げたら、どうなるの?」

「そりゃあもう。死後は永遠に私のモノになっちゃうね」

「永遠か……。それも悪くないかもね」


 彼女は私を抱きしめる。


「願い事は何?」


 私は彼女を抱き返す。


「もっと広い世界に行きたい。何者も私を縛らず、全てを識れる世界へ行きたい」


 魔法陣は光を放つ。


「了解」


 視界が明るく染まっていく。


『ありがとう。……メア』


 やっと、名前を覚えられた。


 ◇


 青い空の下、ペンを握る。貴重な紙に一語ずつ一語ずつ丁寧に物語を綴っていく。これが私の日常。


「でも、この空は嫌いじゃないかも」


 目の前には柵一つない草原が広がっていた。


 私は自由だ。


「…………うっ!」


 頭が痛い。グラグラとして景色が歪む。


「そうか……! 『全てを識る』っていうことは……!」


 吐き気を催す情報量が送られる。


 気付いたら、涙を流していた。


「何だ…………これ…………?」


 私は、特別な存在だと思っていた。


 私は、広い世界に行けば注目を浴びると思っていた。


 しかし、私と同じ感情を覚え、同じ発想をして、同じ展開を描いた者たちが、今までに幾万といた。私が独創的だと思ったソレを、とっくの昔にやっている人達がいた。


 じゃあ、私のオリジナリティは? 私の芸術的価値は? 既に創られたものしか創れない芸術家なんて、存在する意味はあるのか?


「ううぅ…………! うっ…………!」


 悔しい。悔しくて堪らない。自分が如何に非力なのか、自分が如何に無価値なのか、痛いほどに分からされる。


「でも、まだだ……! まだ、終わってない……!」


 そうだ。まだ、私には命と、紙と、ペンがある。


 ならば、作り続けるしかあるまい。


 この悔しさすら物語にして。


 こうして私は、今まで何度も創られたであろう物語を、嗚咽を漏らして創るのだ。


『人間は面白い生き物だ。数百年前と真逆の願いを言うなんて』


 悪魔は、一人、天上で笑う。

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泥に埋まる たまごかけマシンガン @tamagokakegohann

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