雪泥鴻爪
教会。みんな同じ場所で、みんな同じ時間で、みんな同じ格好で、みんな同じポーズをとって、みんな同じ神を祈る。馬鹿馬鹿しい。何の個性もなく、地区の人間全員が決められたようにならされる。
そして何より腹が立つのは、私もその有象無象の中に混ざっているということだ。周りの無名の奴らと一緒に、信じてもいない神を崇めていた。
こうしていると自分が薄まっていくようで、不安で仕方がなくなってくる。眼前の神像は、そんな私を救う気は無さそうだ。
祈りの時間が終わると、やっと銘々の一日が始まる。もっとも、殆どの人間は好んでやっている訳でもない仕事をこなして、いつもと変わらぬ日々を過ごすだけだが。
まあ、働いてすらいない私に見下す権利など無いか。ただ、子供という身分を利用して、暇な時間を持て余しているだけだ。誰にも需要がない小説を書き続けて、私に一体何の生産力があるというのか。両親にすら腫れ物扱いされているのだ。死んだ魚のような目をした大人達の方が、ずっと私よりも社会にとって有益なのではないか。
教会の近く。人気のない日陰に座って、物思いに耽っていた。
「おはよう! カーラ!」
そういや、一人分だけ需要もあったか。
「ああ、おはよう。…………チェア」
「メア!」
いつものように彼女は叫ぶ。
「カーラもちゃんとお祈りするって意外だね!」
「昔サボったらムチャクチャ怒られたから仕方なくね。本当はこんな馬鹿みたいなこと早くやめたいよ」
言い終えた後、辺りを見回す。誰にも聞かれていなくて良かった。神父に陰口でもされれば面倒だ。
「ここの人たちは異常だよ。それぞれ信じたいものを信じりゃいいのに、異分子を見つけるとすぐに排除しようとするもん。そんな信仰に何の意味があるのやら」
「神様がここを悪魔から守ってくれてるからだよ」
「ああ、あの御伽噺ね」
この地区の真ん中には、変な石の遺跡がある。そこには悪魔が眠っているんだとか。その悪魔を封じ込めているのが神だから、自分たちは祈りを毎日捧げなければいけないらしい。
「でも、その悪魔って、魂を捧げたら願いを一つ叶えてくれるんでしょ? 何をやっても動いてくれない神様なんかより、ずっと良いヤツじゃん」
「だから、神様が悪魔を封じてるんだって!」
「そもそも悪魔が封じなきゃいけないモノって前提がおかしくない? 何か悪いことしたの?」
「しっ……知らないけど、悪魔だから悪いんじゃないの……?」
「私はそういう偏見が嫌いなの! 強面のやつは悪い奴だとか、小説家は社会不適合者だとか!」
「後者に関しては、少なくともここじゃ当てはまると思うけど……」
「うるさいな! とにかく、もし本当に悪魔なんて知性を持った存在がいるならば、対話によって、お互い理解するべきでしょうが! 一方的に悪と決めつけて武力で鎮圧するだなんて野蛮にも程がある!」
「うーん……それもそうかも……」
そこで私は面白いことを思い付いた。
「じゃあさ、私たちで悪魔と話に行ってみない?」
「ええっ……!?」
悪魔とやらの正体を暴いて、この地区の輩の洗脳を解いてやりたかった。自分たちが当たり前だと信じていたことが、いかに脆くて不確かなものか知らしめてやりたかった。そうやって、視野の狭い偏見というものの愚かさを分からせて、枠に囚われない私の聡明さを思い知らせてやるのだ。
ついでに、小説の題材にでもなってくれれば尚嬉しい。
「あの石の遺跡に眠ってるって言うなら、あそこで呼びかけてみたら現れるんじゃない?」
「やめなよ……あそこに入ったら悪魔が起きちゃうじゃん……」
教会が言うには、穢れた人間が遺跡に入ると、神の力が弱まって悪魔が目覚めるんだとか。万能の神を謳っておきながら、矛盾した話ではないか。
「だからこそでしょうが。あそこに入って悪魔が現れなかったら、そんなもの最初から居なかったってことだし、現れたら話し合いができるじゃん」
「でも……見つかったら怒られるよ……?」
「あっそ。じゃあ、私一人で行くから」
でも、行くなら人目のつかない夜にするべきだろう。そっちの方が何となく悪魔も出てきそうだし。
それまで小説でも書いておこう。
◇
私が小説を書こうと思ったのは、家に置いてあった本が原因だ。ここの地区には本屋なんて無いので、神父の配っている聖書以外には殆ど書物なんてものはなかった。普通の本は、年に数回やってくる、政府の派遣した商人から、安くない金を払って買う他に入手方法はない。
そんな貴重な物が何故か我が家にもあったのだ。両親が興味本位で買ったのだろう。私はそれを読み、知らない世界に触れて、衝撃とも言える感動を覚えた。そこには作者の思想が、心が、むせ返るほどに凝縮されている。
普通の人間はそんなことをしない。日頃から自身の思いを残そうとせず、いつか死ねばそれで終わりという事実を何の葛藤も持たずに受け入れている。だが、この作者は違う。どうにかして自身の思いを永久に残そうと必死にもがいていた。何か特別な一人として歴史に名を刻もうとしていた。
私はそれに憧れた。
私もまた今この瞬間の悲しみを、今この瞬間の憎しみを、どうか永久に残したかった。
もっとも、世に本として出回っているものと違い、多くの人に見られることはないのだろうが。それでも自分という読者がいるなら、悪くないとも思うのだ。
「でも、やっぱり有名になりたいなー……」
一本書き終わって、思わず声を漏らしてしまう。
完成したそれを読み直してみる。
内容は人肉以外食べられなくなった少女の短編だ。ある日、何を食べても吐き出してしまうようになった主人公は、村の中で一人飢えに苦しみ始める。飢えが限界に達した時、彼女は本能の赴くままに自身の家族を食べてしまった。そこで自分が人を食べなければ生きていけない、バケモノの身になったことに気が付くのだ。他人の命を喰らう罪悪感と、何も食べずに死ぬことへの恐怖心で、彼女は葛藤を繰り返すという物語である。
短い文章の中に独創性を凝らした展開を詰め込んだつもりだ。
「けど、何か違うんだよな……」
やっぱり、何かが足りないのだ。
何だか自分以外でも書ける気がして、むしろそっちの方が面白くなるんじゃないかとさえ思った。
ふと窓の外を見る。とっくに陽は落ちて真っ暗闇になっていた。両親もぐっすり眠っている。
「いくか……」
◇
ランタンを持って夜道を歩く。誰かに見られないかとビクビクしながら遺跡へ向かう。
遺跡といっても、特に建物とかがある訳じゃない。ただ縦長の岩が円状に乱立しているだけだ。かと言って、不思議な場所であることには変わりない。自然に出来たようには思えないし、人が作ったにしても、いつ誰が何のために、こんなものを造ったのか分からない。
遺跡のセキリュティは有刺鉄線が一本巻かれているだけだった。今まで侵入しようとした者が居なかったから、今後も居ないだろう、という甘い見通しが伺える。やはり、この地区の奴らは私が直々に教育してやらなければならない。
かなり大きく足を上げて乗り越える。昔から無駄に体が柔らかかったのが幸いした。
岩の隙間を通り過ぎていく。岩の取り囲んでいる中心は、外から見ることが出来ない。まるで中心を守るかのように、円状の岩群が幾重にも重なっているからだ。悪魔が眠っているとしたら、きっとそこだろう。
本当は、まだ文明が発達していなかった頃、原住民が戦争や大雨から身を守るために作ったものなんじゃないかと思えてきた。それを勝手に神父どもが悪魔が何だとか言い始めたのではないだろうか。だが、そんな予想を否定するかのようなものを見つけてしまった。
「何これ……?」
岩の一つに絵があった。雲のようなモヤモヤから、大量の人間の頭へ雷のような物が放たれている絵だ。かと言って、雷雨の様子を描いているにしては違和感が残った。本当に雲なら人間達の頭上に描かれるものだが、それは彼らの中心に配置されている。
辺りを見回すと、他にも絵のようなものが描かれていた。どれも意味は分からない。だが、恐ろしさを感じさせるようなものは一つもなかった。これじゃまるで、悪魔を封印している遺跡じゃなくて……。
「神殿みたいだ……」
どれもこれも、恐ろしい何かを伝える絵というよりかは、強大な何かへの信仰を示しているようだった。
考えて見ればおかしな話だ。あの神話が、我々に悪魔を恐れさせて、神を信じ込ませるためのものだとしたら、どうして悪魔に『人の願い事を叶える』なんて良い側面を作ったのか。
「もしかして、神様って悪魔のことだったりするのかな」
なんて、流石に突飛な推理だろうか。
そんなことを考えていると、中心にたどり着く。地面に魔法陣のような物が描かれていて、思わず身をすくめてしまう。異様な色をしていて、もしかしてこれは。
「血……………………?」
ここまできて、急に不安になってきた。悪魔がいようがいまいが、ここは普通の場所じゃない。何か起こるかもしれない。
いや、何かを起こすために来たんだ。
「悪魔さーん……? 居ますかー……?」
返事はない。我ながら何か馬鹿なことをやっているような気がする。
「悪魔さー……」
「はーい!」
「うわあああああああああっっっっっ!!!!」
喉が千切れるかと思うほど絶叫しながら飛び跳ねる。声の主の方を振り向くと、見覚えのある少女が立っていた。
「カーラ……めちゃくちゃビビリじゃん……」
「アンタねえ! あんな状況じゃ誰でも驚くっつーの! というか、怖いから来ないって言ってたじゃん!」
「いやー、カーラが危ない目に遭ったらって考えてたら寝付けなくて……」
「今さっき、アンタに危ない目に遭わされたんですけど!? 私の圧倒的体幹がなけりゃランタンぶち撒けて転んでたからね!?」
「ごめん、ごめん……」
半笑いで頭を掻いている様子は、とても反省しているようには見えない。まあ良い。ちょうど証人が欲しかったところだ。
「ほら見なよ! 悪魔なんていないでしょ? 悪魔も神も、クサレ神父どもがトンデモカルトを信じ込ませるために作った空想なんだ! 毎朝毎朝、教会に集まって祈りを捧げるなんて時間の無駄だ! そんな暇があったら朝食のパンでももっと味わって食べていろバーカ!」
「うーん……。じゃあ、何でここが立ち入り禁止なのかな? 岩に描かれた絵も何か分からないし……」
「ここが立ち入り禁止なのは、こうやって悪魔の不在証明が行われるのを防ぐため! 岩の絵は……分かんないけど、とにかく悪魔の存在とは関係ない! どうせ神父が落書きでもしたんじゃないの?」
「あの人、そんなに器用だとは思えないけどね……」
確かに、引っかかる所は沢山ある。しかし、ここで蔓延っている馬鹿げた嘘を暴けただけで十分だ。
「みんな神と悪魔を信じてる。でも、私たちだけはその嘘に気付いている。これって何か特別じゃない?」
「確かに、カーラは特別かもね」
「でしょー? じゃあ、日が昇る前に帰ろうか」
「そうだね! …………私の家は反対側だから、バイバーイ!」
彼女は陽気に手を振る。自分が言うのもなんだが、不法侵入をしといて随分気楽なようだ。
そこで、はたと気が付く。
「あんた何の灯りも持たずにやってきたの? こんな暗闇の中?」
「うん。家が凄く近くだからね」
「へー。そうなんだ」
私も手を振り返して、再び岩の迷路を巡る。段々、出口が見えてきた。そこを飛び出して、途端のことだ。
『誰だ!』
そんな声が聞こえてきて急いで逃げることにする。焦っていると、有刺鉄線に引っかかって転んでしまう。
「痛ったー!」
ランタンが吹っ飛んでいく。太ももの辺りにトゲが刺さった。痛くて立ち上がれない。
そんなに深い傷では無いはずなんだが、段々世界がぼやけてきた。頭を打ったせいだろうか。
眠るようにして意識は途切れる。
◇
目覚めたら自分のベッドの上だった。窓の外はまだ暗い。そんなに時間は経っていないようだ。
足を動かす。
「…………あれ?」
トゲが刺さって怪我をしたと思っていたのだが、今確認してみると傷はどこにも出来ていない。完治したというより、初めから怪我なんてしてなかったようだ。
さっきまでのことは夢だったのか。そんな疑念は、傍に立っていた両親の顔を見て吹き飛んだ。その表情は、昔、私が教会での祈祷をサボった時と同じだった。
「……自分が何をしたか分かっているの……?」
母は震えながら問い質す。それに気圧されそうになるが、私は何も悪い事なんてしていないのだ。堂々と言い返せば良い。
「皆が信じてる悪魔とやらが居ないことを確認してきた。どう? 実際、何も起こってないでしょ?」
「今はね! でも、これから何か起こるかもしれない!」
「じゃあ、その時私を叱ればいい。今はその時じゃないでしょう?」
「何か起こってからじゃ遅いでしょ!?」
馬鹿な人間が怒ると面倒くさい。一瞬正論のように見えて、微妙に的のズレたことしか言わない。彼らは相手を納得させることより、言い返せなくさせることを重視しているのだ。
「だって、どいつもこいつも神や悪魔を信じてるけど、誰かその姿を見た人はいるの? 何か信じるに足る根拠はあるの?」
「神を疑うこと自体、失敬なことなのよ!」
「疑う事を知らないのは頭の悪いヤツだけだ! だったら神なんて馬鹿どもだけで信じてろ!」
母は困ったように頭を抱え出す。どうやら失望しているようだ。そこで、初めて父が口を開く。
「やっぱり、変な小説なんて書いてるから頭がおかしくなったんだ……」
「はあっ!? それは関係ないでしょ!? 頭がおかしいのはお前たちだ!」
彼らの後ろにある机には、今まで私が書いてきた小説と白紙の束が置かれていた。まさか、彼らはあれを没収するつもりなのか。
「返せ!」
布団から飛び出そうとするが、母に押さえつけられる。その顔からは、今や怒りは消え失せて、代わりに目尻を濡らしていた。
「あのね、カーラ。あなたと同じ位の歳の子は、普通、外で体を動かして遊んでいるものよ。なのに、貴方はずっと小説を書いてる。それが何の役に立つの?」
「お前たちには分かりっこない! 猿に芸術の価値は分からない! あれは人間にとって役立つものだ!」
手足をジタバタ動かすが、彼女の拘束は解けない。農作業をやっているからか、力だけはあるようだ。
「あなたの小説を少し読んだけどね、とても正気とは思えなかった。ドロドロしていて、残酷で、悪魔が書いたんじゃないかって思うぐらいだもの。外で遊んで心を浄化しなさいよ」
「この前、私と同じぐらいの歳の奴らがカエルを振り回して遊んでいるのを見た! 私なんかより、アイツらの方がずっと残酷だ! 大人たちにしてもそうだ! どいつもこいつも話し合いなんて碌にせず、こうやって力を使ってねじ伏せようとするんだ! 誰よりも芸術が分かっている私は、誰よりも良識的な人間だ!」
私は顔を赤らめながら吠え続ける。しかし、それに対して母は、ため息を一つ返すだけだった。
「あなたは悪魔に騙されてるのよ。あんな小説ばっかり書いてるから、悪魔に魅入られちゃったのよ」
「やっぱり、一度これから離さないとダメみたいだな」
そう言うと、父は小説の束を持って、暖炉の前に立つ。
彼は、あれを燃やすつもりだ。
それだけは、あってはならない。
「やめろお!! 私がそれにどれだけ時間をかけたか、分かっているのか!?」
私を怒るのは良い。強引に謝らせたり、教会に連行したりするのもまだ良いだろう。だが、作品を燃やすことだけは駄目だ。あの作品は、この命より重いものだ。
「分かっているからこそだよ。こんなものは時間の無駄だ。これを機に小説を書くのはやめなさい」
「やめろおおおっ!! それを返せ!!」
必死になって抜け出そうとするが、返って押さえ込まれてしまう。もはや、力による抵抗は不可能だ。情けなくて、涙が出てきた。
「お願いだから……やめてくれ……! それを面白いって言ってくれた人もいるんだ……!」
私は、数少ない読者が悲しむ顔を見たくなかった。
父はウーンと少し考え込むと、私の目を見て答えを返す。
「駄目だ」
それと同時に火の海に放り投げる。
私が何時間もかけて作ったそれを、一瞬の逡巡だけで捨てることを決定された。
燃えていく。消えていく。あの時の私の心が。あの時の私の努力が。
未来永劫残したかったそれは、今この瞬間灰になった。
「…………ぁあっ……! …………ああ……!」
「しばらく反省していなさい。明日には地区の皆んなにも謝らないといけないからな」
両親は部屋を出ていく。その間も、ずっと私は暖炉の火から目が離せなかった。
「何で…………! 何で…………!」
悔しくて涙が止まらない。あの時間は一体、何の為にあったのか。あの努力は一体、何の為にあったのか。私は今この瞬間、作品を全て失った。芸術家としてのカーラは、今この瞬間殺害された。
それもこれも、全部私の芸術が理解されていないからだ。ここの猿どもが私に正しい評価を下さないからだ。
「くそ…………! くそ…………!!」
焦げた紙の破片を握って、一人、惨めに泣き続けた。
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