泥に埋まる

たまごかけごはん

泥中之蓮

 青い空の下、ペンを握る。貴重な紙に一語ずつ一語ずつ丁寧に物語を綴っていく。これが私の日常。


 だが、別にこの空が好きな訳じゃなかった。むしろ、この空は大嫌い。ついでに、ここの空気も草木も何もかも大嫌いだ。


 でも、こんな負の感情があるからこそ、私のペンは進むのだ。世の中への不満を、自分自身への不満を、架空の世界にぶち撒ける。そうして初めて、私の芸術は完成するのだ。


 それを邪魔する足音が近付いてくる。


「………………」

「………………」

「…………ねえ、ジャマなんだけど!」

「ええっ!? 見てただけなのに!?」


 少女は本気で驚いている。どうやら、全くもって悪意はなかったようだ。


「あのね! 何も喋んなくても視線がウルサイのよ! そんなジロジロ見られたら集中できないの!」

「ええ……。じゃあ、しょうがないなあ……」


 彼女はションボリしながら踵を返す。その背中が余りに落ち込んでいるので、見てるこっちまで肩が重くなる。


「……待って! 別に『あっちに行け』なんて言ってない」

「えっ!? それって!?」

「別に近くに居てもいいから……その代わり、ジロジロ見たりペチャクチャ喋ったりしないこと!」

「分かった!」


 彼女は私の隣で黙々と座り続けた。何か起こるわけでもないというのに、ニヤニヤと口を歪ませている。


 つい最近知り合ったのだが、コイツは本当に変なやつだ。ここの輩は決まって私の小説をバカにするのに、コイツだけは気持ち悪い位評価してくれた。『ファン一号』なんて名乗り始めて、私を見つけるとこうして駆け寄ってくるのだ。


 名前は……。


「……ベアだっけ?」

「メ! ア! メアだよ、メア!」

「……覚えにくい」

「たったの二文字じゃんか! こんなに覚えやすい名前ないよ!」


 彼女は腕をブンブン振り回しながら怒っている。


「それより早く続き書きなよ」

「やーめた。今日は何かもうヤル気でないし」


 やっぱり駄目だ。彼女が隣に居ると筆が進まない。ペンと紙を置いて、寝っ転がる。


「ここ良いよね! 空気が美味しくて静かだし! いっつもここに居るけど、カーラも好きなの?」

「いや。大嫌い」

「えっ!? 何で!?」

「私はもっと広い世界に行きたいの」


 目の前には鉄の柵が広がっている。私の背丈の何倍もあり、その先端は鋭く尖っていた。そんな無愛想なものが、見渡す限りずっと続いている。


 私たちは、この柵に囲まれた地区から出られない。名前すら無い、ただの地区。その中で産まれて、その中で死ぬように定められている。私の意志とは関係なしに。


「何で? どうせ何処の地区も同じだよ。私はこの地区嫌いじゃないしね!」

「何処も同じだなんて決まってないし、私はこの地区が嫌い。この地区のヤツらが大嫌い。誰も私の才能を理解していないから。もっと多くの人に、もっと目が肥えている人達に読まれたら、きちんと評価してもらえる筈。だから、私はこの柵の向こうへ行きたい。この柵の向こうを識りたい」


 けど、この何も変わらない空は、まるで『何処も同じだ』と言っているようだった。


 だから私は空が嫌いだ。


「帰る……」


 帰って続きを書くとしよう。


「待って! 誰も理解してないなんてことないよ! 私はカーラの作品スゴいと思う!」

「………………まあ、例外も居るけどね」


 足を早める。何だか胸がムカムカする。


 彼女に評価されるのは嬉しい。けれど、そんなキラキラとした感情では、私の筆は動かせない。


「…………私は一体、何がしたいんだ」


 ただ一つ、幼い頃からの願いはある。


 この泥のような世界の中で、一人、特別で在りたかった。

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