II.At tea-time

〈監視員〉は、金属に覆われた身体をしていた。人間のような形だった。穴のような黒々とした目から赤い光を放ちながら、〈楽園〉の中を巡回しているようだった。


 アイオラは〈監視員〉に見つからないように、時に逃げ、時に身を隠し、そうやって〈楽園〉を進んだ。真っ白な石造りの壁と地面で満たされた世界を、彼女は歩いていた。


 やがてアイオラは、一つの扉に辿り着く。開けようとしたけれど上手くいかず、彼女は寂しそうに目を伏せる。それから気を取り直して、少し遠くに位置している別の部屋に進む。


 奥の方に、何やら光っているものを見かける。近付いてみると、壁に掛けられたそれは一つの鍵のようだとわかった。アイオラが持っている鍵とは、少し異なった形状をしている。


 ――もしかしてこの鍵は、あの扉のものではないでしょうか?


 そう思い至って、アイオラは鍵を持ってその部屋を後にする。〈監視員〉に見つからないように息を潜めながら、先程は開けられなかった扉に戻ってきた。手に入れた鍵を使うと、扉は微かな音を立てて開く。


 そこには花畑が広がっていた。白、桃、赤の柔らかな色彩を湛えた花々が、綺麗に咲き乱れている。背の高い木々が、花畑を囲むようにして植えられている。


 今までとは打って変わったような自然豊かな情景に、アイオラは息を呑んだ。それから、花畑の中央部に置かれたベンチに目をやる。


 そこには〈妖精〉が座っていた。柔らかそうな金色の髪と、鮮血を想わせる真っ赤な瞳。尖った耳には幾つもの飾りが付けられ、頬の辺りには複雑な模様が描かれている。


「……あなたは、誰ですか?」


 アイオラの言葉に、〈妖精〉はくすりと笑った。手に持っていたティーカップに口を付けて、彼はそっと息をつく。


「それは僕の台詞だよ。この場所に誰かが訪れるなんて、想像してもいなかった」

「……すみません、急に押し掛けてしまって。わたしは、アイオラと言います」


 アイオラは自身の名前を口にする。鳥籠の中にあった家具には、アイオラという名前がどれもに刻まれていたから。だから彼女は、それが自分の名前だと知っている。

〈妖精〉は脇にティーカップをことりと置いて、微笑んだ。


「へえ、よろしくね、アイオラ。僕はガーネ。よかったら隣に座る?」

「……いいんですか? それでは、お言葉に甘えさせて貰います」


 アイオラは頷いて、金属製の黒いベンチに座った。〈妖精〉――ガーネは、アイオラへ向けてお皿を示す。


「お茶菓子を分けてあげるよ。檸檬のクッキーと、蜜柑のタルト」

「……わあ、ありがとうございます。すごくおいしそう……いただきます」


 アイオラはクッキーを一枚、口へと運ぶ。砂糖の甘さと、檸檬のほのかな酸味が、口の中いっぱいに広がる。おいしいです、とアイオラは嬉しそうに微笑った。


「それはよかった。タルトも食べていいよ」

「……ありがとうございます、嬉しいです」


 アイオラは幸福そうに微笑って、橙色のタルトを一つ口にする。さくさくとしていて、とてもおいしかった。


「ところでアイオラは、どうしてこんなところにいるの?」

「……わたしは元々、鳥籠にいたんです。でも、〈地上〉を目指そうと思って。そのためには、〈楽園〉の出口に向かわなければならないんです」


〈地上〉と聞いたとき、ガーネの目は微かに見開かれた。真っ赤な瞳には、アイオラの姿が反射して揺らめいていた。


「どうして、あんなところに戻りたいの?」

「……あんなところ?」

「え、君はもしかして、〈地上〉がどんなところか知らないの……?」


 ガーネの言葉に、アイオラは自身の記憶を辿る。でも思い出せるのは、檻の向こうに広がる青と白の美しさだけ。それ以上のことを思い出そうとしても、霞がかっていて何も取り出すことができない。


「……はい、わからないです。あの、ガーネさんは何か、ご存知なんですか?」

「うん、知ってるも何も、昔僕たちは〈地上〉に住んでいた存在じゃないか」

「……そうなんですか!? あの、わたし、家族に会いに行きたくって……もしかしてガーネさんも、家族がいたりしたんですか?」


 アイオラの言葉に、ガーネはティーカップの液体に口を付けながら、寂しそうに笑った。


「そりゃあいるに決まってるでしょ。……懐かしいな。僕にはね、兄と弟がいたんだ。すごく仲がよくて、親友みたいな関係性だった」

「……そうなんですね。あの、そのご兄弟は、今何をしているんですか……?」


「さあ? わかんない。僕は屑だから、家族を置いてひたすらに逃げて、そうしてこの〈楽園〉に辿り着いたんだ。どうしようもない、屑なんだよ……」


 ガーネは目を伏せた。彼がどこか泣き出しそうだったから、アイオラはどうすればいいかわからなくなって、そうしてひとまず彼の背中をそっと撫でた。


 ガーネは驚いたように、アイオラを見つめた。彼女の美しい青紫色の瞳と、目を合わせた。それでようやく、彼はもう一度笑ってくれた。


「〈地上〉、行ってみたらいいんじゃない? 初めは止めようかと思ったけど、やめる。君は多分、僕みたいな屑じゃないから。……それで、家族と会いなよ」

「……はい、そうします。ありがとうございます、ガーネさん。クッキーもタルトも、おいしかったです」


「それは何より。クッキー、幾つか持っていったら?」

「……いいんですか? ありがとうございます、お言葉に甘えます」


 ガーネは透明な小瓶に、クッキーを幾つか入れてくれた。アイオラはそれを受け取って、ベンチから立ち上がる。


「じゃあね、アイオラ。死なないでね」

「……勿論です! またね、ガーネさん」


 アイオラはガーネに手を振って、花畑を後にする。

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