鳥籠のアイオラ
汐海有真(白木犀)
I.Begininng
〈
記憶の始まりから終わりまで、ずっと彼女は鳥籠の中にいた。檻の向こうには青と白が混ざり合った雲海が、どこまでも際限なく広がり続けている。
アイオラは綺麗な容姿をしていた。雪を欺く真っ白な長髪は腰の辺りまで伸びていて、青紫色の瞳は宝石のように煌めいている。背中からは大きな白銀の翼が生え、鳥籠の中に羽根を散らばらせている。
このまま永遠に、鳥籠の中で時を過ごし続ける。アイオラはそう信じて、疑わずにいた。
でもその思い込みは、一羽の碧色の鳥の来訪によって崩れ去ることになる。
「こんにちは、少女アイオラ――」
「……こんにちは、鳥さん。わたしに何か、ご用ですか?」
アイオラは目を丸くしながら、碧色の鳥に話しかける。
碧色の鳥は檻の際で、美しく微笑う。
「お伝えしたいことがあり、わたくしはこの場所を訪れました。アイオラ、貴女はこのまま有限の時を、鳥籠の中で過ごし続けるのですか――?」
「……そのつもり、です。だってわたしにとって、世界はこの場所で完結しています」
「嗚呼、可哀想なアイオラ。貴女はそんな人生を送ることに、何の疑問も持っていないのですか――?」
碧色の鳥はそっと、小さな黒色の目を細くする。アイオラは少しの間逡巡してから、こくりと頷いた。
「……はい。だってこの世界に住んでいるのは、わたしとあなただけでしょう?」
「おやおや、世間知らずにも程がありますよ、アイオラ。いいですか、ここは〈楽園〉と呼ばれる世界。〈楽園〉を抜ければ、そこには〈地上〉が広がっているのです――」
「……〈地上〉、ですか」
「そう、〈地上〉です。アイオラ、〈地上〉には貴女の家族がいるのですよ――」
アイオラは目を丸くする。鳥籠の中には数多の本が用意されていて、アイオラはそこから『家族』というものを学んだ。でもそれは創作の世界にだけ存在する概念で、自分には無縁のものだと信じて疑わずにいた。
「……本当、なんですか? わたしにも、家族がいるんですか?」
「いいですか、アイオラ? この世界の誰しもが、親から生まれてくるのです。それは貴女とて例外ではありません。そしてね、貴女の家族は、貴女と再会することを望んでいます。わたくしはそのために、アイオラ、貴女に会いに来たのですよ――」
「……本当ですか!? それは、嘘ではないんですか!?」
アイオラは泣き出しそうになりながら、その細い指で檻を掴んだ。碧色の鳥は微笑んで、こくりと頷いた。
「ここで嘘をついて、わたくしに何の徳があるのですか? 全て真実ですよ、アイオラ――」
一人ぼっちだと思っていた世界に、他者が、それも自分と近しい存在の者がいた。アイオラにはそれが嬉しくて堪らなかった。だから、ぎこちなく微笑んだ。
「……ありがとうございます、鳥さん。でもわたしは、この鳥籠からどうやって出たらいいのか、わかりません。どうやって〈地上〉に行けばいいのかも、わかりません。あなたは何か、ご存知ですか……?」
「ええ、存じ上げています。ですから心配いりませんよ、アイオラ。鳥籠から出るには、この鍵をお使いなさい。わたくしの友人である紅色の鼠が、〈楽園〉の中から探し出してくれました――」
碧色の鳥は、鳥籠のへりに置かれていた銀色の鍵を嘴で摘み、アイオラに差し出した。アイオラはそれを受け取って、身に付けているワンピースのポケットに仕舞う。
「〈地上〉へ行くためには、〈楽園〉の出口を目指せばいいのです。それにあたって、〈監視員〉に気を付けなさい。彼等に見つかれば、貴女は再び鳥籠に閉じ込められてしまうでしょう――」
「……そう、なんですね。わかりました、〈監視員〉からは逃げるようにします」
アイオラはしっかりと頷いた。碧色の鳥は柔らかく微笑う。
「わたくしは〈地上〉での道案内のために、〈楽園〉の出口で貴女を待つことにします。〈楽園〉に入ったところで、何らかの手助けができる訳でもありませんから――」
「……はい。色々、ありがとうございます。また会いましょう」
「ええ。どうかお気を付けて、アイオラ――」
碧色の鳥はそう言い残して、ふうわりと飛び立った。広がる雲海の青に紛れて、やがて見えなくなってしまう。
アイオラは立ち上がって、鳥籠の扉へと歩く。受け取った銀色の鍵を使うと、扉は金属音を響かせて開いた。
彼女はまだ見ぬ〈地上〉を目指して、一歩を踏み出した――
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