第3話
──文武両道という文字を辞書で引けば「九龍紗羅のこと」と出てくる。
なんて謳い文句が一人歩きするほど九龍さんは秀でていた。
……個人的には眉目秀麗の方を推したいのだが、それはさておき。
実際九龍さんは校内で一番成績が良く、不良の宗介とは違って先生方の覚えも良かった。所属している剣道部では全国大会に出場するほどの腕前で、身体の小ささを補ってその技術と身体能力で自分より大きな相手を先輩後輩問わずにバッタバッタとなぎ倒しているらしい。
その代わりクラス委員や生徒会に推薦された際は、お家のことが忙しいという理由で断っているようだ。たまにそれを理由に学校を休んだり早退したりしているが、文句を言う人間は誰もいなかった。
そもそも彼女の周りにはあまり人がいなかった。正確に言えば、最初は確かにみんな九龍さんの周りに集まっていた。能力が高くキラキラしている彼女を見て、またお家のこともあって仲良くなりたいと考える人はとても多かった。だが基本的に無表情、無感情を貫く九龍さんに、いつしか人は離れていった。
気づけば今では九龍さんは遠目に見る高嶺の花という存在になっている。超人の考えなんて自分たちにはわからないと、彼女は敬意と若干の恐れを持って認知されている。仰ぎ見られていると言うべきかもしれない。
でも俺は知っている。すごくわかりにくいだけで、九龍さんは心の暖かい女の子だと知っている。強くて、かっこ良くて、優しい。だからきっとそんな彼女に──俺は惹かれている。
◇
結局、一日中ずっと集中を切らしながらあっという間に放課後を迎えた。各授業で教師陣に呆れたような視線を向けられていたので自分の内申を少し心配する。やれやれ、なんとかは盲目とはよく言ったものだぜ。
「何? バカは盲目?」
「当たり強くない?」
俺の抗議もどこ吹く風で宗介はけらけら笑う。決して間違っていないのが悔しい。
「センパイ今日はどっち? 山? 街?」
暗号のような質問を投げかけられ、俺は「街」とだけ返す。これはそれぞれ帰宅の方向を指していて、街はそのまま街で、山は俺の家を指していた。お前の寺も向かいの山にあるだろとは思うものの口にはしない。
「じゃあ途中までご一緒させていただこうかしらん」
そう言って宗介は缶バッチで彩られたスクールバッグを掲げた。放課後の教室内はざわついていて、部活に行く人、バイトに行く人、帰宅する人が各々の準備を進めている。
今日の手伝いは学校を下った先の商店街で行うものだ。後輩のバイト先のパン屋で急遽欠員が出たらしく、一週間ほどそのヘルプを頼まれていた。この放課後の手伝いを始めてからしばらく経つが、大体の接客業は経験した気がする。
人に必要とされることは良いことだ。どんな依頼であれ、日向彰を頼りにしてくれるのはとても嬉しい。人に必要とされているとき、俺はここにいていいんだと実感できる。そう思い、俺もカバンを手に立ち上がる。
「──────っ」
瞬間、心臓がギリと痛んだ。同時に全身が急激に熱を持つ。音が消える。目の前がぶれる。現実とは違う映像が垣間見える。それはいつもの夢。幕の下りた森の中で、「楽しそうだね」と嗤う声が残響しながら頭を揺らす。
それは一瞬の白昼夢。沸騰した血液が身体を一巡して、目眩はすぐに治まった。
「どしたんセンパイ? 大丈夫?」
宗介が覗き込んでくる。知らず知らずに俺は机にもたれかかりながら俯いていたらしい。声をかけられた途端に無音の世界へ教室の喧騒が戻ってくる。不調は一瞬のことで、既に息切れ一つ起こしていない身体に今は感謝する。
「悪い悪い、立ちくらみ」
「……立ちくらみ? 君が?」
訝しむ宗介。説得力のないごまかしだと俺でも思う。
でも、今の現象を正確に言い表す言葉を俺は持たなかった。幻覚と呼ぶのかどうか。ただこれは身体というより精神の軋みに近いものだと感じている。原因はわからないけれど、夢が現実に漏れ出ていていることからそれは確かだと思った。
「今日はもう帰った方がいいんじゃん? 君が体調崩すとか、多分雨が降るからさ」
「人の目眩一つで天気を占うな」
宗介は軽口を叩くものの、そこに含まれる心配にはきっと本心も混ざっている。ただ身体はもうすっかりいつも通りなので、この程度ですぐ帰宅するわけにもいかなかった。
「大丈夫だよ。たまにはこうやって普通の人ぶりたいだけ」
冗談には冗談をと思って返した言葉だったのだが、宗介は引きつった笑みを浮かべる。
おい、俺が空気読めてないみたいになるからせっかくならしっかり笑ってくれ。
◇
宗介の「今日はもう帰れ」という静かな圧を受け流しつつ、俺たちは学校を出た。俺たちの通う兎塚高校は住宅の入り組んだ坂の上にあり、商店街もそのふもとに位置するところにある。ほとんどの生徒は登校時にこの坂を上る必要があるので毎朝大変な思いをしているようだが、俺は逆側の山から降りてくるだけで済むのでその苦労とは縁遠い。もちろん下校時にはその逆の苦労を背負うことになるのだが。
などと帰り道のことを考えた瞬間、今朝の通学時に見た謎の影のことを思い出す。山の奥へと消えていった不思議生命体。奴を見かけたあそこを薄暗い帰宅時に通らなければいけないと思うと、今からでも宗介の言う通りにして今日はもう帰っちゃおうかなという気分になる。
「なあ宗介」
「どったのセンパイ」
緩やかな坂を下りつつ、隣でスマホをいじる宗介に声をかける。こいつが今朝の出来事を面白おかしく冗談にしてくれることを期待して、俺はあの影について話してみた。
「ほーう、それは興味深いことですなあ」
宗介がニンマリ笑う。好きこのんで都市伝説を集めるのが趣味なだけあり、どうやらこいつの琴線に触れる話題だったようだ。
「俺にとってはあんまり楽しいもんじゃないけどな。できるだけ現実的で納得のいく説明を有識者としてよろしくお願いします」
「ふむふむ、そうですねえ」
宗介はもったいつけて頷く。いつの間にか取り出した黒い手帳をパラパラめくりながら瞳を輝かせている。そこにはこいつが蒐集した都市伝説や不思議な話がたくさん載っていることを長い付き合いで知っている。
「最近のオカ話の傾向としては街の方ばっかりであんまり山とかのものはないんだよねえ。ほら、そういうのって山にいても違和感ないようにディティールが揃えられるから結局似たり寄ったりになるじゃない? 僕はどっちかと言うとその地域の色が出た話の方が好みだからさ。ああでも、そういう意味では場所を選ばないタイプのものもいくつかあって──」
宗介はふんふんと鼻息荒く喋る。割って入れないほどの勢いに少し気圧されてしまう。
「そういうパターンのもので言うと──」
「あー、その話はまた聞くとして。最近の都市伝説では山に出る系はないってこと?」
「うん? ないんじゃない? 山にでたら『都市』伝説じゃないっしょー」
違う方向へ進みかけた話を遮る。宗介はそれを気にした風もなくあっさりと言い切った。少しずれている気もするが、ひとまず聞きたい回答がもらえてひと安心する。それさえ聞ければまあ及第点だろう。これでもし最近山でこんな話が……なんて言われた日にはますます帰宅が億劫になるところだった。
安堵したのも束の間、宗介は続ける。
「だからそういうやつは人の噂とか伝聞によらない、まあいわゆるマジもんの怪異だよね」
……なんでそういうことを言うかなあ。軽くなりかけた足取りがずっしり重くなる。一番聞きたくない答えじゃん。よりヤバいやつじゃん。質問したのは自分だということも忘れて恨めしい目線を宗介に向けてしまう。
「……あ、ごめんごめん。別に怖がらせるつもりはなかったんだよ」
子どもに言うように宗介は取り繕う。ごまかすように手帳に目を落とし、またパラパラとめくり始める。
「もしかしたら都市伝説の中にもそういうのはあったかも? えー『サムライメイド』は違う。『煙草を吸う人面犬』はしゃがんで煙草を吸うオジサンの見間違い。『赤い霧』は結局夕陽に照らされた説が有力……」
最近仕入れたらしい都市伝説を列挙されるが、その中にそれらしいものはなかった。罪悪感のせいか、珍しく焦っている宗介を見てこちらも気が緩む。
「もういいよ。別にそこまで気にしてない」
「んん、僕のポリシー的に必要以上に人を怖がらせるためにこういう話はしたくなかったんだけど……、まあセンパイがそう言ってくれるのなら」
好事家としてのプライドなのだろうか、宗介は渋い顔をしながらそう言った。こいつのオカルト好きは知っていたけど、ポリシーを持っているほど強いものだとは思っていなかった。
「それにしてもさ」
ん? とこちらへ視線を向ける宗介。一瞬言うか言うまいか悩むが、ちょっとした意趣返しも込めて口にする。
「寺の息子がオカルト好きってのもなんというかこう、チグハグだよな」
「……それ言うのやめてよねえ」
宗介はウゲーと舌を出して嫌そうな顔をする。薄々自分でも思ってはいるところを突かれたという顔だ。ちょうど坂を下り終え、信号に差し掛かったので二人して立ち止まる。
「兄貴たちもあんまりいい顔しないんだよね。まあいろいろと差し障りがあるんだろうけどさ」
宗介は道路を駆け抜けていく車を目で追いつつ愚痴る。自由にやっているように見えて、こいつにはこいつなりのストレスがあるんだろうなと勝手に想像する。
「でも好きなものは好きだからさ。人の趣味にまで口出しされても……?」
言葉は途中で途切れた。宗介が道路からこちらに目線を移し、そのまま俺の背後を訝しげに注視する。その視線に疑問を持った瞬間、
「うわっ!?」
背中に衝撃。まるで何かが激突してきたような。いやもっと言うと、まるで誰かに蹴り飛ばされたような。突然のことに前へと転げるように飛び出てしまう。バランスを崩した身体は勢いを止めきれず、そのまま赤信号の道路へ躍り出て──
「彰!」
珍しく俺の名前を呼ぶ宗介。今日はこいつの珍しい姿をたくさん見るな、なんて瞬間的に考えているうちに、横合いから先ほどと比べ物にならない衝撃がやってきた。
「──────っ!!」
硬くて大きいものに全身を殴り付けられ、なすすべなく吹き飛ぶ。めまぐるしく変わる景色と、一瞬の浮遊感。そのすぐ後に、恐らく地面に叩きつけられたのであろう衝撃もやってくる。やけにクリアに聞こえる怒声と悲鳴。俺の身体は何回転もした後でようやくごろりと横たわった。
災厄が望む家族計画 ─竜は再会を歌う─ 帯屋さつき @obiya
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