二度寝からの目覚め

今にも壊れてしまいそうな、儚いピアノのイントロで目が覚めた。

 もう起きなければいけない時間か。


 朝のタイマーに設定していたのは、スマホのタイマーに収録されているオリジナル曲。

 『夜明け』という題名だ。

 この曲の最初は静かに、ピアノだけが響いている。

 しかしそこからヴァイオリンが加わり、とても幻想的な雰囲気となる。

 まさに『夜明け』という名にふさわしい曲だった。

 最近のお気に入りの曲の一つ。ということもあり、最近のタイマーはこの曲で固定している。


 ベッドから起き上がり、カーテンを思い切り開ける。シャッと音が響き外の景色が見える。

 とりあえず太陽がまぶしい。もう一回、窓を閉めたくなる。

 ああ朝だなあと輝く太陽を見て改めて、思い知らされる。

 外に見える景色は緑の山や海、などではなく家や店のオンパレード。

 もう一度、寝てしまいたいと思うような景色。というか今すぐ寝たい。


 ここはハイツ。築7年とまあ割と新しい方だ。

 お風呂もキッチンもダイニングルームも、トイレなどもあり悪くはない。

 あとは個人的に、テレビやソファーやタンスなども置いた。

 我ながらいいところを見つけたなと思う。

 そう窓からの景色以外は。こればかりは仕方が無いと思う。

 でもやはり朝起きてから見る景色だ。もっといいものが良かったな、と思うものだ。


 よく夢に見る。あたしは何処かの国のお金持ち。

 大きな窓を開けてから見えるのは、雲一つない空に透き通るような青さの海。

 その光景をバルコニーから眺めながら、フレンチトーストを食べている。

 ああ、なんて優雅な朝なのだろう……。


 そんなことを考えながらキッチンに向かう。

 冷蔵庫から紙パックの牛乳を取り出し、ガラスのコップに注ぐ。

 やはり朝は牛乳に限る。

 こいつを飲むと、目がぱっちりと覚めるのだ。

 ゴクゴクと確実に喉へと流し込む。うん、やはり牛乳は美味しい。

 コップを洗い、乾燥機の中に放り込む。さあ次は着替えだ。


 今日はいつもより少し冷えているのか、肌寒く感じる。暖かい恰好がいいだろう。

 タンスからぱっぱっぱっと、無造作に取り出した。数着取り出してベッドに置く。

 そして見比べて考える。これが自分流の服の選び方だ。

 今日はもうジーパンというのはもう決めている。

 上着は自分の中では定番の、キャラメル・ベージュのトレンチコート。

 残るは服だけ。

 赤色のセーター、青色のセーター、黒色のセーターが並べられている。

 見事にセーターオンリーとなった。

 適当に取り出したのに、こうも一種類の服だけとなるものなのか。

 ここまで来ると、ある意味運がいいなと思う。


 迷う、とても迷う。

 全部セーターとなると、個人の好みの問題となる。どれも全体的に好きな色だ。

 強いて言うなら、水色が特に好きというくらいだ。

 でも赤色は暖色で気分的に温かい気持ちになれる。黒色も同様だ。


 迷っているとあいつが来た。こちらが真剣に悩んでいるのに、余裕そうに泳いでいる。

「あんたは服なんて選ばなくていいから、楽よね」

 なんて伝わるはずのない皮肉を言ってみる。

 すると近づいて来て赤色のセーターの周りを泳いだ。

 どうやら赤色のセーターが良いと、言っているみたいだ。

 勿論、実際に言葉を発しているわけではない。

 ただ、あいつの行動がそう言っているように捉えたのだった。

 「……ありがと」


 服を選んでくれるなんて初めてだった。

 基本的にあたしの為にしてくれたことなんて、片手で数えきれる程度。

 正確に言うならそう、これが初めて。正直、腹立つ思いしかしたことがない。

 時々だけ、ほんっの時々だけど、金魚って見ていて癒されるな~って思うくらい。

 でも選んでくれたおかげで時間を省くことが出来たので、素直に感謝した。

 洗面所で顔も洗って髪も一つに束ねて、ポニーテール。

 カバンも持って、準備完了。

 いつでも出ることが可能な状態となった。

 勿論、マナーとしてきちんと化粧もしている。


 あまり化粧はしない方だ。休日なんてだいたい、すっぴんで過ごしている。

 濃いメイクや流行りのメイクをしてみようかな~、と思っている。

 けど特に挑戦出来ずに日々を過ごしている。

 元から素肌はそこまで汚くないから、今日もナチュラルメイク。

 ただいつもと違う点が一つだけ。


 それはお守り代わりのリップだ。それは所謂世間で言う、デパコスというものである。

 見た目はまさにリップという、王道的な見た目をしている。

 銀色のケースを右に一回りすれば、ピンク色のルージュが登場。

 しかもグリッターが入っている。

 その証拠としてその真ん中に、銀色のハートがデザインされている。

 これがこのリップにグリッターを機能させているのだ。

 ちなみにケースには可愛い黒猫のシルエットが、あまり目立たない程度にデザインされている。


 うちの書店はメイクにはそこまで、厳しい規制がない。

 だから少しくらい派手なものでも別にいいのだ。

 とりあえず、使い勝手が良さそうなピンクフロウという名前のカラーを選んだ。

 個人的には素の唇の色っぽいから、気に入っている。

 このリップは大きなイベントの時しか使っていない。

 だからまだこれは2本目だ。


 高校生の頃に初めて買ってそこから、去年の春くらいに無くなりまた買ったのだ。

 実を言うと何のブランドだったかは、全く覚えていない。

 店に行ったらすぐに見つけて、レジに持って行ったから、見るのを忘れていた。

 しかも急にメイクやお洒落に目覚めたのだ。

 きっかけが何かも、覚えていない。


 高校の頃の記憶は断片的にしか、覚えていない。

 入学式や体育祭や文化祭や修学旅行や卒業式など。

 大きなイベントであれば、ざっくりなら覚えている。

 「卒業式……か」

 高校を卒業してからもう二年。時の流れというものは早いものだ。

 「あれ」

 鏡の中の自分は左眼から、涙を流していた。

 左手で頬を拭うと少し濡れていた。

 そのことに気付いたと同時に、右眼からも涙が流れだした。


 何で涙を流しているのだろう。何も悲しくなんか、ないのに。

 わけが分からないままただ、泣き続けた。

 泣きながらふと思い出したことがある。

 何を言ってるか、全く分からなかったけど、低い男性の声が響いていた。

 その声を聞いた途端に懐かしさと共に、胸の奥が苦しくなった。

 何でこんなに懐かしく、そして苦しく感じるのだろうと考えたけどすぐに分かった。

 その声の主は好きだった人だって。

 あたしは好きな人のことを忘れている。何も覚えていない。


 5分くらい経つと自然に、涙は収まった。

 急いでメイク直しをして準備の続きをする。

 とりあえず今日は仕事があるから、そこまで気にしないことにした。

 気にしたとしても、今すぐどうかにか出来る問題でもないし。

 顔も見た目も覚えていなくてただ、声だけ覚えているから探すにも探しにくいし。

 スマホも持ったしお財布も持った。

 モバイルバッテリーも、それを充電するコードもある。そして本屋で着替える服装も。

 なぜそんな服がいるのかは後々に分かるから、今は言わない。


 玄関の扉を開け放した。

 「行って来ま~す!」

 今からしばらく一人で留守をすることになる家に対して、明るく元気な声で。

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