二話 兄妹ノ愛
眠るために、ベッドの上の布団を整えていた。ちらりと鏡に視線をやると、白銀の髪と青い目をした自分が映っていた。
こんこんと扉をノックされて、我に返る。恐らくレヌだろう――俺はそう思い、口を開く。
「入って大丈夫だよ」
がちゃりと扉が開かれて、予想通りレヌが姿を見せる。桜色のネグリジェに身を包んだ彼女は、普段は編んでいる長髪を下ろしていた。
俺はゆっくりとレヌに歩み寄る。
「どうしたんだ、レヌ? 何かあったのか?」
俺の問いかけに、レヌは首を横に振った。それからそっと、微笑う。
「何もないんです。でも……少しだけ、お兄さんと話をしたい気分でした」
「そうか、全然大丈夫だよ。入るか?」
「お言葉に甘えます」
レヌが部屋に入ったのを確認してから、俺は扉を閉める。きょろきょろとしているレヌに、「どこでも好きなところ、座って構わない」と告げる。レヌは頷いて、ベッドの隅の方に丁寧に腰かけた。俺は彼女の隣に座った。
少しだけ、静寂があった。窓の外では、微かに風が吹いているようだった。
「……明日、最後の【雪月】を倒せば、おしまいですね」
レヌの横顔は、どこか儚げな色をたたえていた。
「ああ、そうだな。長かった戦いの日々も、明日で終わる」
「……本当に、長かったです。正直に言うとね、わたし、怖かったんですよ。沢山血を流したし、いつか死んじゃうのかなって、心のどこかで怯えてた」
俺は目を見張った。レヌがそんな怯えを抱えていたことに、気付けなかった。レヌはいつだって真っ直ぐに、魔法を紡ぎ続けてくれていたから。
「そうだったのか……ごめん、気付いてやれなかった。辛かったな」
「いいんです。それでも戦い続けられたのは、【雪月ノ命】のこともあるけれど、一番は……お兄さんがいてくれたこと、です。お兄さんがいつも笑いかけてくれたから、一緒に戦ってくれたから、頭を撫でてくれたから、わたしは今日まで生きてこれた」
レヌはそう言って、柔らかな微笑みを零した。彼女の真っ直ぐな言葉に、俺は少し気恥ずかしくなって、目を逸らす。
「……そんな風に言われると、正直照れるな。でも俺だって、同じ気持ちだよ。レヌの魔法に、今までどれほど助けられたか。改めて言わせてくれ、ありがとう」
レヌは青い目を真ん丸にして、それから微かに頬を赤くして、「……どういたしまして」と言ってはにかんだ。それからそっと、桜色の唇を開いた。
「あの、お兄さん。一つだけ、わがままを言ってもいいですか?」
「いいぞ、何だ?」
「その……ぎゅって、してくれませんか? 昔みたいに」
俺は瞬きを繰り返した。レヌは少し焦ったように、「あ、全然、嫌だったらいいんですけれど!」と口にする。そんな妹の姿に、俺は少しだけ笑ってしまう。
「むう、どうして笑うんですか……」
不満げなレヌの身体を、俺はゆっくりと抱きしめた。レヌは驚いたように少しだけ声を漏らして、そうして静かになった。彼女の体温は温かいけれど、どこか冷たさを帯びていた。
初めて【雪月】を倒した日。命を奪う感覚に耐えきれず泣いているレヌに、添い寝をした夜。そのとき彼女と繋いだ手の温度を、思い出した。
「……お兄さん、あったかいです」
耳元で聞こえたレヌの言葉に、俺はそっと頷いた。
*
強い吹雪が、身体を刺すようだった。
百体目に出会ったのは、『鹿』に似た【雪月】だった。俺の二倍ほどの大きさ。柔らかな真っ白の毛並みに、殺意を閉じ込めたような紅の瞳。金色の角は木の枝のように伸びている。種族名【シルフィネ】――俺は息を吸って、口を開く。
【シルフィネ】目がけて、槍の魔法を唱える。レヌの強化の魔法によって、威力を増した針が地面から生まれる。でもその攻撃は、【シルフィネ】には当たらない。
【シルフィネ】と戦闘するのは久しぶりだったから、【雪月】の中でも随分と素早い種族だったことを忘れていた。俺は双眸を鋭くして、再び魔法を唱えかける。
【シルフィネ】は俺に攻撃しようとしない。違和感を持ったときには既に遅かった。レヌと【シルフィネ】の距離が縮まっている……背筋に悪寒が走る。
レヌが使えるのは、補助魔法や回復魔法が中心だ。防御魔法も使えるはずだが、余り強くはない――【シルフィネ】はレヌを蹴り上げようとする。
俺は間一髪のところで、レヌと【シルフィネ】の間に割って入る。衝撃と鈍痛に襲われる。宙に浮いた感覚のあとで、視界が揺らいで、地面に叩き付けられる。唾を吐く。
【シルフィネ】が俺を追ってくる。前脚がゆらりと持ち上がる。俺は必死に、魔法を紡ぐために口を開いた。
【シルフィネ】の方が速いかと思われた。でも数秒、【シルフィネ】は固まった。レヌが紡いだ麻痺の魔法のお陰だと、ぐらぐらしている脳で認識した。【シルフィネ】目掛けて槍の魔法を唱える。
鋭鋒、鮮血、咆哮。
【シルフィネ】は段々と、光に包まれて消えてゆく。
「大丈夫ですか、お兄さん……!」
心配そうな面持ちを浮かべたレヌに駆け寄られて、俺は微笑んだ。
「大丈夫だよ。でも地面に打ち付けられたとき、だいぶ身体を擦りむいたみたいだ」
「本当ですか……今すぐ、治しますから」
レヌは回復の魔法を紡ぐ。全身を甘い心地が包み込んで、見えている傷もその赤さを失ってゆく。一分ほどで、痛みもなくなった。
「ありがとう、レヌ。よくなった」
「それはよかったです……でももう、無茶はしないでください。わたしを庇って怪我するなんて、やめてください」
「それは約束できないかもしれないな」
「もう、どうしてですか……」
不満そうなレヌに、俺は笑った。大切な人に傷付いてほしくないことに、明快な理由などいらない気がした。
レヌは思い出したように立ち上がって、残されている【雪月ノ屑】を拾う。それを籠に入れて、顔を上げた。
「帰りましょう、お兄さん」
「……そうだな。メナータさんの元に、行こう」
俺たちは頷き合って、戦場を後にした。雪の先に広がる空は、暗い灰色で満たされていた。
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