雪月ノ屑
汐海有真(白木犀)
一話 戦場ノ白
降りしきる雪の中。葉の落ちた背の高い樹々の隙間に、強い寒風が吹き付けた。風に揺られた樹は、獣の咆哮によって再び揺れる。
俺の二倍ほどはある体躯、『熊』という生物に類似している見た目、真っ白な毛並みと爛々と輝く紅の瞳。俺とレヌは森の中で、一体の【
俺たちは、一瞬だけ顔を見合わせる。ほのかに頷き合って、俺は【オース】を見つめる。【オース】は黒々とした鉤爪を光らせながら、俺の方に突進してくる。距離が肉薄してゆく。
後ろからレヌの声が聞こえる。深い泉のような、冷たくて美しい響きに乗せられて、強化の魔法が俺のことを包む。俺は口を開いて、素早く槍の魔法を紡ぐ。
言葉を言い終えた瞬間に、地面から大きく鋭利な針が生まれて、【オース】に突き刺さる。【オース】は鮮血を散らして、気味の悪い咆哮を上げる。
そんな【オース】を憐れむように見つめながら、俺は炎の魔法を紡いだ。勢いよく紅蓮の炎が巻き上がって、【オース】の身体が燃えてゆく。
やがて【オース】を淡く真っ白な光の粒が包み込み、その肉体や血は段々と消失してゆく。袖を引っ張られた心地がして横を見ると、レヌがぎゅっと唇を結んで、そんな命の最期を見つめていた。
【オース】は消えて、後には真っ白な果実のようなものが残された。レヌはそれを拾い上げ、携えている籠の中に入れる。その物体は【雪月】の心臓で、【
「ねえ、お兄さん」
声をかけられて、俺はレヌの方を見る。今年で十七歳を迎えた彼女は、昔より随分と背が高くなった。白銀の長髪は一つに編まれて、腰の辺りまで伸びている。
流された前髪には、藍色のピンが二つ、十字を描くように付けられている。真っ青な瞳は、白銀の睫毛の下で瞬きによって見え隠れしている。
「どうした、レヌ?」
「わたしたち、正しいことをしているんでしょうか?」
「正しいこと……って、どういうことだ?」
俺の問いかけに、レヌはどこか悲しそうに目を伏せて、右手で籠の縁を撫でた。その中には今殺した【雪月】が残した【雪月ノ屑】が、どこか寂しそうに入っていた。
「……ずっと、考えていたんです。こうやって数多の【雪月】の命を奪って、そうやって生きているわたしたちは、本当に正しいのかって」
レヌの声は、どことなく震えていた。俺は彼女を見据えて、口を開く。
「……レヌ、お前は優しすぎる。【雪月】が俺たちの家族に何をしたか、忘れたのか」
俺の言葉に、レヌは目を伏せた。俺は言葉を続ける。
「それに、【雪月ノ屑】を集めていれば、【
俺の言葉に、レヌか微かに目を見張って、それから切なげに微笑んだ。
「そう、でしたね。【雪月】が人間を襲うことなどなくなり、この暴力に支配された世界が終わりを告げる日が、もうすぐ来るんでしたね……」
「ああ、そうだ。そのときまで一緒に頑張ろう。絶対に、大丈夫だから」
俺はそう言い切って、レヌの髪をそっと撫でた。レヌはどこか気持ちよさそうに、「くすぐったいですよ、お兄さん」と目を細めた。
*
この世界には、【雪月】と呼ばれる暴力的な生命体が跋扈している。かれらは様々な見た目をしているが、どれもが白い身体と紅の瞳という共通項を持ち、不老の存在である。かつて広く使用されていた魔法にも、大きな抵抗力を有する。
それに加えて、【雪月】は自身の縄張りを、極寒の冬に変貌させる力を持っていた。辺り一帯は豪雪地帯となり、植物は枯れ、動物は死に絶える。
かつては数えるのが億劫になるほど存在していた人間は、突如として現れた【雪月】の殺戮、そして急速な寒冷化によって大半が滅んだ。生き残った人間は、この世界に散らばりながら暮らしていた。
俺たち兄妹――ネイラ=ソスートリアと、俺より二歳年下のレヌ=ソスートリアは、そんな『生き残った人間』のうちの二人だった。
幼い頃に【雪月】の手で両親を殺された俺たちは、魔法使いの権威であったメナータ=ソスートリアと出会い、引き取られた。それからずっと三人で、【雪月】を遠ざける魔法がかけられた小さな町の中で暮らしている。
メナータさんは平和を望んだ。【雪月】の攻撃性を消し去る魔法――【雪月ノ命】の完成のためには、百個の【雪月ノ屑】が必要だった。
足の悪いメナータさんは長い年月をかけて【雪月】に対抗できる新たな魔法を構築し、俺とレヌにその魔法を教え、【雪月ノ屑】の収集を任せた。
今日で、九十九個の【雪月ノ屑】が集まった。あと一個で、世界は元通りの形を取り戻すのだった。
*
ぱさぱさとしたパン、器に盛られたサラダ、鶏肉のソテー、とうもろこし味のスープ。そんな夕食が、テーブルに並べられていた。
丸いテーブルに、俺、レヌ、メナータさんは腰かけていた。いただきます、と声を揃える。俺はパンに齧り付く。【雪月】との戦いで疲弊した身体に、小麦の旨味が染み渡る。ばくばくと食べ進めていると、メナータさんにくすりと笑われた。
「ネイラ、そんなに焦って食べると身体に悪いわ。もっとゆっくり、味わってお食べなさい」
俺は口いっぱいのパンを咀嚼しながら、こくりと頷いた。
メナータさんは、白い髪を一つに結んだ老婦だ。正確な年齢を教わったことはないが、その潤沢な知識量や立居振る舞いから、きっと長い年月を生きてきたのだろうと推察できる。
小さな瞳は金色で、吸い込まれそうな美しさをしている。足の悪さから、車椅子に乗って生活をしている。
メナータさんは紙ナプキンで口元を拭うと、再び口を開いた。
「時に、ネイラ、レヌ。今日も【雪月】と戦ってくれて、本当にありがとう。私の代わりに魔法を使ってくれること、大変嬉しく思っているわ」
レヌはどこか恥ずかしそうに、微笑んだ。
「いえ……お兄さんもわたしも、【雪月ノ命】の完成を願っていますから」
「レヌの言う通りです。平和のためなら、戦うことだって辛くありません」
レヌと俺の言葉に、メナータさんは安堵したように微笑う。
「二人がいてくれて、本当によかった。……私はね、貴方たちのことを、家族のように思っているのよ。出会った日からずっと変わらず、大切なの」
メナータさんの言葉に、俺とレヌは顔を見合わせてから笑顔になる。【雪月ノ命】ができあがれば、人間が喪失に苦しむ機会はぐっと減るだろう。それはとても、尊いことだ。
温かな夕食の時間は、ゆっくりと過ぎ去っていった。
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