ミチシルベ

加藤那由多

第1話『ミチシルベ』

 小学生の時、迷子になったことがある。おじいちゃんとおばあちゃんのいる田舎にお母さんと遊びに行って、お昼ご飯ができたから家から少し離れた畑に一人でおじいちゃんを呼びにいった。

 お母さんやおばあちゃんと一緒に何度も通った道だから、一人で行けると思っていた。

 でも気づいたら、迷子になっていた。

 前を向いたら道があり、後ろを向いても道がある。ちょっと歩けば右にも道が、少し戻れば左右に道が。

 もう畑に行くのは諦めていた。一旦帰って、お母さんと畑に行けばいい。

 帰れさえすればいい。帰れさえすれば。

 見渡す限りの畑、畑、畑、たまに田んぼ。

 目印になるものなんてない。どの道を通ってきたのかわからない。

 どうしたらいいのか分からなくなって、急に全てが怖くなって、泣くしかなかった。

 思い切り、声に出して泣いた。

 気づいてくれる人は誰一人としていなかった。

「おいおい、泣き止めって。泣いてるガキが一番めんどくせぇんだよ。俺の声聞こえてるか? 泣き声でかき消すんじゃねぇよ」

 その代わり、彼に気づかれた。

「ひっく…だれ?」

「ああ、やっと泣き止んだ。よう嬢ちゃん、名前は?」

 声をかけられた。三十代の男性みたいな声。元気だけどやる気がないみたいな、そんな声。わたしは必死に周りを見渡す。だけど、どこにも人はいない。

「おーい、聞こえてんのか? 誰だって聞いてんだよ」

 だけど声は聞こえてる。

「ここだよここ。お前の足元」

 下を向くと、虹色の何かが見えた。

 よく見ると、それは昆虫の背中だった。

「ひっ…」

 泣くのも忘れて固まった。喋る虫なんて、先生もお母さんも教えてくれなかった。

「あれ? おーい、聞こえてるか」

 一歩二歩と後退り。

「おい、ちょっと待て…!」

 全速力で逃げ出した。

「だから待てって!」

 しかし所詮は小学生の足。大して早くもなければすぐにバテてしまう。当然、虫にも追い付かれてしまった。

「はぁはぁ」

「嬢ちゃん、鬼ごっこはおしまいかい? 満足したなら俺の質問に答えてくれねぇか? 名前は?」

「知らない人に名前教えちゃダメだってお母さんが」

「めんどくせぇなぁ。俺はハンミョウ。迷子の道案内役だ。俺が自己紹介したんだ。知らない人じゃねぇだろ? 名前は?」

歌奈かな

「よし歌奈、お前は今迷子なんだな?」

 わたしは頷いた。

「さっきも言ったが、俺たちハンミョウの仕事は迷子の道案内だ。迷子の元に現れて、行きたい場所まで先導する。だからお前の元に現れた。歌奈はどこに行こうとしてたんだ?」

「おじいちゃんの畑」

「じいちゃんの名前は?」

牧浦まきうら輝義てるよし

「あぁ、それなら知ってる。着いてこい」

 そう言ってハンミョウさんは羽を広げて飛ぶと、少し先の地面に着地して、わたしの方を振り返った。

「早く来いよ」

 わたしは慌てて彼に続く。

「ねぇ、ハンミョウさんはなんで道案内なんてしてるの?」

「さぁな。強いて言うなら、俺がハンミョウだからかな」

「…? わかんない」

「ははっ、そうかそうか。んー、人間が仕事するのと同じだ。働かない人間は社会から弾かれる。ハンミョウだってそうなのさ」

「やっぱりわかんない」

 ハンミョウさんは「いつかわかるようになるさ」と言ってくれたけど、いつかっていつなんだろう。

 しばらく無言が続いたけど、ハンミョウさんが話しかけてきた。

「じゃあ、こっちから質問だ。歌奈はなんでじいちゃんの畑に行こうとしてたんだ?」

「ご飯ができたから、おじいちゃんを呼びに行こうとしてたの」

「一人でか?」

「うん」

「そうか、偉いんだな」

 ハンミョウさんは褒めてくれたけど、素直に喜べなかった。

「そんなことないよ。できないことを無理にやろうとして、迷子になっちゃったんだから」

「それでいいんだよ。失敗しても、誰かが助けてくれる。他人を頼ってでも無理はするべきだ。そうやって生物は成長する。俺も、お前もな。もしまた無理をして迷子になったら、俺が道案内してやるよ。それが俺の仕事だからな。ほら、着いたぞ」

 気がつくと、そこは見慣れた畑だった。畑の真ん中でおじいちゃんが一生懸命働いている。

「最後にもう一個訊いていい?」

「なんだ?」

「どうして誰も喋るハンミョウを教えてくれなかったの?」

「忘れちまうんだよ。スマホってやつが普及してきて、全体的に迷子になりにくい世の中になってきた。その中で迷子になるのはスマホを持たないガキだけだ。だけど、古い記憶ほど忘れやすいんだよ。小さい頃ハンミョウに会ってても、忘れちまう。覚えているうちに話したって、子供の戯言だって大人は気にも留めねぇし、大人になって覚えてても、そんな一部の人しか覚えてねぇ虫の存在なんてかき消されるだけだ」

「わたしは忘れないよ」

 はっきりと言い切る。こんな印象的なこと、忘れるはずがない。

「どうだか。俺の親父もじいさんもその約束をしたらしいけどな、確かめる術はなかったよ。なら、こうしよう。大人になっても俺のことを覚えてたら、ここに来てもう一回迷子になれ。そしたら俺の孫かひ孫かその孫か、お前を案内しに行くはずだ。それまで語り継いでやるよ。俺が道案内した歌奈って嬢ちゃんの話をよ」

 ハンミョウさんは面倒臭そうに言った。だけど、少し嬉しそうにも見えた。

「うん、約束」

「おう、ほらさっさと行け。なんのためにここに来たんだよ」

「そうだった!」

 わたしはハンミョウさんに手を振って、おじいちゃんの元へ駆けていった。


 ***


 久しぶりの田舎。スマホを家に置いて、わたしはあてもなく歩いた。昼を過ぎ、お腹の虫が鳴り始めた。そろそろ帰ろうと辺りを見渡す。そこにあるのは畑、畑、畑、たまに田んぼ。目印になるものなんてない。だから、帰り道がわからなくなった。

 でも、これでいい。

 その時、足元から声がした。

「おい姉ちゃん、名前は?」

「歌奈。家まで案内してよ。ハンミョウさん」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ミチシルベ 加藤那由多 @Tanakayuuto

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ