後編

「あれっ、なんでないんだ?」

朝起きると、例の壺に入れておいたはずのビール缶が消失していた。

「うーん?」

壺の中を覗き込んでみるが、暗くてよく見えない。スマホの明かりをつけてっと。

「うぎゃああああ」


 ビール缶は確かにそこにあった。あったのだが、それはひしゃげていた。それなのに、中に入っていたはずの350mlの液体はほとんどいずこへか消えてしまっていた。さらに気味の悪いことに、壺の内側に何枚かのお札が貼ってあるのを発見してしまった。


 僕は恐ろしくなって、急いでその壺を窓の外へ投げ捨てた。これが通行人にでも当たったら洒落にならないと分かっていても、自分の衝動を抑えきれなかったのだ。それでもまだ落ち着かないので、昨日登れなかった山に登って、朝日を拝もうと思った。すぐに荷物をまとめてホテルを後にした。


 昨日と違って道に迷うこともなく、無事山頂にたどり着いた。まだ日が出るまでは少しある。僕は撮影スポットとアングルを模索する。今日は雲も少なく、絶好の撮影日和なのだが、知名度が低すぎるせいで僕はこの特等席を独り占めしているのだった。


 山際が明るくなる。僕はその瞬間を逃すまいとスマホを構える。しかし。


 雨が、降りだした。


「へ?」


一滴、二滴降ったかと思うと、いきなりザーザーと振り出して、戸惑っている間に空は雲に覆われて、雨はどんどん激しさを増していって、僕を押し流さんほどになっていた。


僕は急いで山を下りようとする。しかし、そのあまり地面に足を滑らせ、山を転げ落ちてしまう。


「あ゛っ」


全身が傷だらけになる。雨が傷口を穿って広げていく。死ぬほど痛い。山が崩れて僕を飲み込まんとしている。いやだ、まだ死にたくない。僕は死力を尽くして走り出す。ただ生き残るために。


 土砂崩れは次々に襲ってくる。僕はただ走った。何度も巻き込まれそうになった。身体は悲鳴をあげて何度も吐きだした。それでも僕は生き残っている。神様はきっと僕に味方している。


 ついに僕は見覚えのある石段にたどり着いた。やっと助かると思った。しかし、そこにあった光景は、想像を絶するものであった。


 。比喩ではない。村全体が、今しがたできた湖の底に沈んでいた。その湖は水位を上げ、自分の今立っているこの場所もじきに飲み込まれることは自明だった。僕はあわてて参道を下りようとするが、泥が道を完全にふさいでしまっていて、先に進むことができなかった。


 僕は仕方なく参道を登った。ああ、どうか、雨がやみますように。僕は祈ることしかできない。


 石段を登り切った先にあったものを見て、僕は自分の正気を疑った。


 。鳥居も、建物も、草木も、すべてきれいさっぱりなくなっていた。自分の記憶以外に、この場所に神社があったことを主張するものはなかった。わずかな痕跡を探しても、草一本見当たらない。ただ、土だけが続いていた。


「どうして?」

突然声が聞こえた。振り返ろうとした。しかし、足は全く動かなかった。僕は足元を見た。


 足が沈んでいた。地面は泥のようになって、二本の足が捕まっていた。


「どうして、神様を投げ捨てたの?」

声の主が近づいてくる。同時に足がさらに沈んでいく。僕は必死に抜け出そうとするが、びくとも動かない。


「汝が左様なことをするから、神様はお怒りになっていらっしゃるわ。」

その人が僕の前に姿を現す。昨日の巫女さんだった。僕は必死に手を伸ばす。

「頼む、助けてくれ!お願いだ、足が、足が埋まって、」

しかしすぐに無駄だと理解する。彼女は僕をただ睨んでいただけだったからだ。


「折角あれほどもてなしたのに、恩を仇で返されて、とても機嫌を悪くしていらっしゃるもの。」

遂に腰まで地面に埋まる。下半身がボロボロになっていくようだ。


「儀式を行って、怒りを鎮めなきゃね。」

胴が埋まっていく。腕も泥に浸かって動かせなくなる。


「だから、神様わたしの生贄になってね。」

肩まで沈む。


「―――――――――――――――」

頭が沈んだ。






 予報外れの大雨が降る街。魚の形の壺が、誰かに拾われた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

短編:或る神社の話 @YoshiAlg

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ