第57話 愛、降る

 ついに動き出した忠兵衛の最期の道楽。遊郭には仕来りがあった。引手茶屋で花魁を指名。花魁が来るまで茶屋で宴会をし、花魁が迎えに来たら遊女屋へ行く。この時は花魁はまともに口を聞いてくれないし、客はひたすら花魁の機嫌を取り続けるだけ。気に入られれば夫婦固めの盃をしてお開き、これが「初回」。芸者代、宴会代などの遊興費は多額であり、花魁の揚げ代1両2分(15万円)、遊女屋での宴会代、花魁のお供一行、遊女屋の主人、男衆や女中、やり手婆などの祝儀、幇間に芸者などの揚げ代に出す祝儀は10両~20両(100~200万円)。さらに引手茶屋での祝儀や宴会代も必要だった。二回目が「裏を返す」であり、初回と同様の費用が必要で、花魁との床入りはまだまだ、会話もおざなりのまま。三回目でようやく「馴染み」となり、客は花魁から相方と認められる。ここで初めて、客の名前を呼んだり、くだけた対応がなされた。ここで客は心付けに馴染み金として2両2分(30万円)を手渡すのが礼儀とされた。また床入りの祝儀である「床花」は、客の気持次第になるが、金額は5両から10両(50万円から100万円)だった。一般庶民には夢のまた夢の場所。

 忠兵衛が口コミで抱え込んだ顧客にとっても敷居が高かった。そもそも借り入れを行っている状態でこのような散財が出来る訳がない。それでも顧客は後を絶たなかった。そこには忠兵衛の機嫌を取り、更なる借り入れを企む者、幕府に内緒で儲けている者もいて、忠兵衛にとって色欲を利用した大名家の台所事情を知る場にもなっていた。大名を駆り立てたのには忠兵衛の仕掛けた企画もあった。それは、見事に床入りを成就させた者に対して借入金返済を金額に関わらずそれを免除すると言うものだった。中には、返済目途が立たず、他で借入金を重ね挑む者もいた。忠兵衛は、予約が入った時点で火の車に拍車を掛ける大名を炙り出し、苦肉の策で挑む者は遠慮なく、断りを入れ、取り立てを強めて見せた。そのお陰もあり、破綻者を極力出さないように努めていた。

 忠兵衛の口利きで訪れる遠方から訪れる客に配慮し、「初回」、「裏を返す」を免除し「床花」から挑ませた。それでも遠方からの大名にとって何度か通うのは難しく、幾ら忠兵衛からの申し出でもおいそれと受け入れ難かった。忠兵衛の目的は諸藩の裏事情を近隣大名から得ることも兼ねていた。そこで「床花」から挑ませる代わりに待合室で忠兵衛の仕向けた密偵と酒を酌み交わし雑談する時間を設けさせていた。敷居が低くなったことと挑んで失敗した者の噂話が尾鰭をなし闘争心と好奇心、優越感、忠兵衛への恨みも相まって、客は後を絶たない繁盛を見せていた。遊郭の主・佐助は流石、商人。商売上手と感嘆の声を上げていた。

 借金棒引きもあって、挑む者も唯者だけではない。貞操帯を引き千切ろうとする者は手緩い方で中には隠し持った小刀で切り裂こうとする不届きな者も現れる始末。しかし、不届き者は隣室でおみねを見守っているしずかに悉く成敗されていた。その噂も広がりを見せると同時に収まって行った。

 遊郭には夜な夜な異常な愛が降る。忠兵衛が仕掛けた愛を求めて、今日もおみねは挑まれる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る