第40話 俎板の鯉

忠兵衛「もともと、必死で天下を取るつもりもその度量もない貴方が、何ら根回しも

    なく、謀反など起こしたことへの天罰とでもお考えなされ。事を構えること

    は覚悟が必要で御座います。その覚悟が甘すぎるのです。如何なる場も考

    え、打てる手立ての全てを検証し、用意周到にこれでもかと計画を見直す。

    一睡の水も漏らさずがあっての決起。行き当たりばったりでは、関わる者が

    迷惑致します」


 忠兵衛は語気の強弱を巧みに使い光秀を諭した。


光秀 「…」


 忠兵衛は光秀の苦悩を受け、介護心を滲み出させた語気を和らげた。


忠兵衛「敢えて言わせてもらいます。二度と失態をやらかさぬために。あなたには根

    回しに必要な人望が欠けておりまする。決意の脆弱さが招くのです。執着心

    が足りていない。それが甘えに繋がり、求心力を劣らせる。あなたには学問

    も才覚もある。しかし、実践向きではない。裏で糸引く存在で生きるお方で

    御座います、私にはそうとしか見えませぬ」


 忠兵衛は、光秀を身内に問うように解き解していた。信長の疑心暗鬼が招いた事態に翻弄される光秀の姿が、そこにあった。光秀はたかが商人がと思いつつも彼らの企てでこの場にいる自分の立場を思い知らされていた。自分が行おうとしていた世間でいう謀反は邪魔な者、勘違いをしている者を正すのに削除を選んだ。確かにその後の事は慎重に考えていなかったことに気づいた。邪気を取り払えば正常に戻ると不確かな思考を頼りに着手した。その結果、新たな揉め事を拡散しただけだった。

 根回しか。確かに味方になってくれると思い込んでいた者からの支援は得られなかった。何が正で悪か、独りよがりの思考の浅はかさを忠兵衛たちの行動を見せられ実感せずにはいられなかった。自分の居場所を把握し手際よく拉致・誘拐した手口。信頼の置ける家臣・斎藤利三が忠兵衛に屈し従う姿を見せられた。自分を拉致した者の物腰から立派などこかの家臣、それも忍びを率いている。光秀は格の違いを思い知らされていた。叶わない、こやつらには。そう思うと新たに興味が湧いてきた。こやつらに身を任せてその実態を観てみたいと。俎板の鯉だと自分に言い聞かせていた。


光秀 「で、そなたら、私に家康の参謀となれと」

忠兵衛「それがあなた様の生きる道で御座います。そしてそれは、この国にとって大

    切な役割を果たすと信じて、我らは動いておりまする」

光秀 「信長亡き後、家康殿が天下を納めると言うか」


 信長亡き後、引き継ぐのは信長一派。徳川ではない。それをこやつらは分からぬのかと負け惜しみも滲み思った。


忠兵衛「天下を取るのは策士の秀吉様でしょうな。家督継承もお茶の子幸いで乗り切

   って我が物に」

光秀 「秀吉殿か…。ありえるな」

忠兵衛「ありえる?だからあんさんは甘いと言うのです。間違いありまへん。この命

    をかけられまっせ」

光秀 「大層な自信だな」

忠兵衛「下調べを終えていますさかい。光秀死すの手柄と引き換えに秀吉はんとはい

    い関係を作らして貰いましたわ」

光秀 「そなたら秀吉殿と通じておるのか」

忠兵衛「筋書きを描いて避けては通れぬ相手。遅かれ早かれ通じなければなりまへ

    ん。それが早まっただけ。調べて分かったことは秀吉はんとは手を組めない

    ってこと。かと言って喧嘩を売れる相手でもない。取って代われる時を待つ

    しかない。こちらとしても秀吉はんの代わりを用立てるには時間が必要でっ

    しゃろ。その時を待つまでの時間を天の恵みとして準備させてもらおうと考

    えております」

光秀 「気が長い話だな」

忠兵衛「桃栗三年柿八年。わてらが行っていることは狩人のようですが完璧に企てを

    遂行するには時間を掛けます。急がば回れ。損して徳を取れでっせ。もう戦

    は勘弁して欲しいものです。商売がやり難くて仕方ありまへんさかい」

光秀 「所詮は金儲けか」

忠兵衛「それの何が悪おます。お侍さんが安定した政治を慎ましくやってくれやはっ

    たらええだけだす。それが出来ないならできるように仕掛けるだけですわ」




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