第37話 悪夢か正夢か

 ギィーッ。重い音と明かりと共に人影が差し込んできた。


忠兵衛「ご不便をお掛けして悪う御座いますな。少しは今、置かれているご自分の立

    場と言うものを飲み込んで頂けましたかな」

光秀 「あ…あ」

忠兵衛「どうだす、今のお気持ちは」

光秀 「信じがたいが…そんなことがあったのか…と。我らは、そなたらの掌の上で

    踊らせていた駒に過ぎなかったのか、そう考えるようになっておる」

忠兵衛「宜しおますなぁ。まぁ、大袈裟に言わせてもらえれば、そう言うことになり

    ますかいな。予想外の事もありましたが、まぁ、結果、落ち着く処に落ち着

    いたってことでしゃろ」


 光秀は「はぁ」と溜息をついてみせた。信長による家臣の斎藤利三を通して強い関係を持っていた土佐の長宗我部元親への討伐が間近に迫り追い込まれていたとは言え、忠兵衛らの動きを体感し、根回しの脆弱さと見通しの甘さ、希望的観測に重きを置いた自らが起こした戦の愚かさを思い知らされたからだった。光秀は、一気に白髪になる程の落胆に押しつぶされていた。

 忠兵衛はそんな光秀を見て「勘弁したな」と確信を得て抑え込みに掛かった。


 忠兵衛「流石、光秀はんですな、飲み込みが早い。この度は、細川家、上杉家に根

     回しするのに仲介者へ大枚を使い、出費が嵩みましたわ」


  忠兵衛は、急に強い口調で見下して言い放った。思考停止を好機に優位に立つ行動を取った。


 忠兵衛「あんさんが、無謀な戦いに細川家を巻き込めば、どうなっていたことか。

     細川家は断絶。可愛い娘、珠さんも死罪になっていたかも知れませんぞ」

 光秀 「…」


  光秀は、忠兵衛に諭されたように事の重大さを改めて噛み締めていた。


忠兵衛「失礼を承知で言わして貰いますけど、執着心の足りないあんさんには天下人

    は無理でっせ。ご自分でも信長を討った後、百日足らずで近国を安定させ、

    引退とか、お書きになったはりましたな」

光秀 「そんなことまで、知っておるのか」

忠兵衛「ものを言うのは、武力もさながら、情報でっせ」

光秀 「傷口に塩を塗るか。で、私をどうするつもりだ、秀吉に引渡し、恩でも売る

    か」

忠兵衛「それも、宜しおますなぁ。でも、残念ながら光秀の首ならもう織田軍勢の元

    を通り葬られる手はずになっておりますさかい、売れまへんなぁ」

光秀 「何と。私はここにおるではないか」

忠兵衛「だから、あんさんには天下取りなど出けへんのですよ。なぜ、斎藤利三はん

    がここにおられたのかお分かりにならないようでは」

秀吉 「うぐっ。しからば、どうする」


 光秀は、自分の為体を膝を強く握り締め実感していた。


忠兵衛「はっきり言わして貰いまっさ。秀吉はんには黒田官兵衛はんがいるように、

    あんさんには、家康はんの影の参謀となってもらいます」

光秀 「家康の影の参謀…とな」

忠兵衛「そこはほれ、この度のことをどう見るかですがな。現に、光秀はんも変わっ

    てきてはるはずでっせ。怒りは周りを見えなくする。それが静まると今とい

    うものが見えてくる。落ち着けば、ほかのことも考える余裕が出てきてい

    る、そうでしゃろ」


 光秀は、忠兵衛とのやり取りの中で、不思議な安堵感を覚え始めていた。


忠兵衛「そらぁ、家康はんはあんさんのことを恨んでおましゃろな。主君を討たれ、

    自分の命も危険に晒されたんですから、まっとうに行ったら、怒りを買っ

    て、はい、終わりでしょうな」

光秀 「何か策があるという口ぶりだな、もったいぶらずに言え」

忠兵衛「もう、手は打ってあります。でも、仕上げがまだでしてな」

光秀 「何を言っておる、分かるように話せ」

忠兵衛「そうしたいのは山々ですが暫し、お待ちくだされ。では、こちらへどうぞ」


 そう言われて連れて行かれたのは、闇しかなかった部屋から明かり溢れる異人の館のような白を基調にした一室だった。窓の外は見たことのない花が印象的な鮮やかな庭が光秀の心を解き放とうとしていた。

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