第36話 歴史を急進させる猿芝居

 斎藤利三は、延暦寺の門前町、坂本寺に着いた。影武者の明智光秀も、腹心之臣の長友慎之介、小松善太郎の三つの生首を持って。


 坂本の詰所で首実検。役人の山岸吉政は、傷みが酷くて判別つかず、困ったものだと苦渋の表情を浮かべていた。


山岸「斎藤殿にお聞きしたい。何故、首が三つあり申すのか」

斎藤「主君は山崎の戦いで深傷を負い、自らの命を絶たれた。その際、主君の命によ

   り介錯をなされたのが長友殿と小松殿であられた。おふたりは忠義を貫き通さ

   れ、切腹なされた。哀れに思い、せめて主君と同じく葬ろうとこのように」

山岸「首級の傷みが激しく思われるが、如何に」

斎藤「一旦は土に埋め生死を隠蔽しようと思いましたが、主君が夢枕に現れ、こうお

   っしゃった。この首級を織田家に差し出すが良い。明智光秀は死んだ。願わく

   ば、明智に関わった者への穏便な配慮がなされるように、と。命乞いではあり

   ませぬ。光秀様は無益な殺生を嫌うお方で御座います。その意を汲み取り、恥

   を忍んでこの場に参った次第で御座います。とは言え、悩みは致しました。憔

   悴仕切っていた私どもは、不覚にも幾度となく、悪路に足を取られ、このよう

   な有様に…」

山岸「あい、相分かった。まぁ、よいは。光秀の首級があることには変わりない。山

   崎の戦で深傷を負われたとのこと。ならば、秀吉殿の手柄である。山岸殿、こ

   の旨、早馬にて秀吉殿に伝えられよ。今後の処置についてもな」


 山岸は半蔵の使者から半信半疑の内容の手紙を受け取っていた。そこには「まもなく光秀の首級が届く。善処されたし。このこと光秀を討たれた秀吉様の了解を得ている。ことを荒立てればそなた、そなたの主に災難の矢面に立つこと必定。良しなに」と記されていた。斎藤と山岸のやり取りは結論ありきの儀礼的なものだった。


 山岸は直様、秀吉のもとに使者を送り、事の真実と次第を解き、処置の支持を受けた。秀吉にすれば終わったこと。自分の手柄であればそれでいい。五月蝿き者が騒ぎ立てないように処理に抜け目のないように気を配ることだった。そうならぬようにと半蔵の提案を受け秀吉は、首実検を明智側の者にさせること。判明すれば持参した者に返し、葬らせること。明智の血を引く者は裁断定まるまで幽閉、その他の者は所払い程度でお咎めなしとすること。を伝えて幕引きに急いだ。使者からの知らせを受けやはり大勢に変わりなしかと半ばほっとしながら素早い行動に呆気に取られながら山岸は、真実よりも大義名分が成り立てば良いと思った。


山岸「やはり、そうでしたか」

斎藤「と、申されますと」

山岸「ほれ、秀吉殿の意志が記された使者が持参したこの手紙にもあるように致すと

   しますか。明智光秀の首級とされるものもここにある。その首級を明智側の者

   に確認させる。それで大義の面目は立ちましょう。秀吉殿の関心は、主君の仇

   を討った、その名誉だけが欲しい。それより他には関心はあるまい。関心どこ

   ろは、最早、信長様の意を引き継ぐ手立てでありましょう。それが秀吉と言う

   お人ですよ」


 首級の判別はつかず、結局、甲冑が決め手となった。

 斎藤蔵三は、光秀の首級を首塚として葬った。長友・小松の首級も傍に。


 一方、連れ拐われた光秀は、謎の男に真相を聞かされた後も、暗闇の部屋の中で悪夢でも見ているかのような刻を過ごしていた。刻を探る手立ては定期的に運ばれてくる食膳だけ。捕虜、罪人に与えられるものとは違い、日頃お目にかかれないような膳が毎回出されていた。その都度、一本の蝋燭と酒、肴も用意されていた。蝋燭の炎は揺らぐことなく、真上に立ち上がっていた。引き戸のある風取り窓も鍵も外にあった。食膳は九回を迎えていた。光秀は目を瞑ることなく、瞑想に耽る環境にいた。

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