第08話 上に立つ者

 家康を堺遊覧として信長の手から逃がした服部半蔵は、気が気でなかった。そこへ京都の豪商である茶屋四郎次郎が駆け込んでき、「天正10(1582)年6月2日早朝に織田信長が本能寺で討たれた」と知らされた。この時、家康に同行していたのは、徳川四天王と呼ばれる酒井忠次、榊原康政、本多忠勝、井伊直政を筆頭に、のちに秀吉方に出奔する石川数正、伊賀出身の服部半蔵など、総勢34名。足軽はいなかった。

 一報を聞いた家康は、信長を討った明智光秀の軍が1万3000と知ると次に狙われるのは信長と親交のあった自分だと思い込んだ。東国へ通ずる主要な道を明智軍に押さえられれば万事休す。仮に明智軍を撒けたとしても、山中などを通って三河まで帰る場合、一揆勢との遭遇や落ち武者狩りなどの危険が伴う。家康からすれば、襲われる相手は異なるが、結果的に無様な死に際を晒すのは同じ。そんな最期を迎えるくらいなら、京都まで上って、浄土宗総本山の知恩院へ駈け込んで自刃をしようと考えた。

 狼狽える家康に対し本多忠勝は「なんとか生き延びて畿内を脱出し、光秀を討つことこそ最大の供養」と説得し、自刃を断念させる。


茶屋「半蔵はん、忠兵衛はんの言う通りになりましたな」

半蔵「四郎次郎殿、殿を伊賀越えか甲賀越えで岡崎城までお届け

   せねば」

茶屋「それなら伊賀越えで。落ち武者狩りの者に銀子を渡し、話

   がついております」

半蔵「忠兵衛殿も同じ考え。要所に忍びの者を配備していると」

茶屋「半蔵殿、落ち着きなされ。それなら甲賀越えはありまへん

   わ」

半蔵「そうだったな、私としたことが」

茶屋「何事も経験ですわ。それより急ぎましょう」


 半蔵は、家康に意見した本多忠勝を信じ、神君伊賀越えの詳細を打ち明けた。

 人は、自分が一番厳しい状況に立たされた際に、その本性が出る。本能寺の変で自らも命を狙われ、危険な道中を進んでいる最中、家康は日野城(滋賀県)へと使いを出した。書状の日付は6月4日。日野城では信長の娘婿である蒲生氏郷が、信長の一族を安土城から移して明智光秀に備えていた。家康は、信長の家臣である蒲生賢秀・氏郷父子に対してその労をねぎらい、明智光秀を成敗することを表明した。

 危機の最中であっても周りを見渡すことのできる器量は、天下人となる器であると後に聞いた忠兵衛は、家康天下人の確信を得ていた。

 家康は岡崎城に辿り着いた後、軍備を整えて14日に出陣。畿内に向かう道中、秀吉の使者から光秀の死を伝えられ、引き返した。その後の服部半蔵と茶屋四郎次郎に家康は恩を返す。伊賀者を重用するとともに、茶屋四郎次郎に対しては、幕府御用達の呉服師に取り立てた。闇の功労者である忠兵衛の名も存在もこの時点では、家康の知る範疇になかった。


 本能寺の変に於いて、信長は死に、秀吉は中国大返しし光秀を討ち、家康は人脈を得て故郷へと難を逃れた。歴史を揺るがす三者三様の幕が切って落とされた。





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