060
見渡す限りの闇。
一滴の光も届かない。
深淵の闇とは、こういうものを言うのだろう。
だというのに、すぐ先の闇の中にいるジャンヌの姿が見える。
俺自身も、隣のリアム君も光があたっているときのように視認できる。
だがその原理を追求するほど余裕があるわけがない。
ジャンヌの姿をしたX。
ブレイブ・ハートに宿る精神。
そいつは俺に対して明確な殺意を向けていた。
ぞくりと背筋が冷える。
これまで訓練でジャンヌと対峙したことが何度かある。
けれども、本気の殺意を彼女から向けられたことはない。
あれは・・・ヤバい。
為す術もなく一撃で殺されてしまう。
俺は本能的にその殺意に怯えていた。
「あと少しなのに・・・ほんとうに・・・あたしの邪魔ばかりして」
ヤツはぶつぶつと呟く。
その悲しみと殺意に満ちた、歪んだヤツの表情。
ジャンヌはそんな表情はしない。
彼女の尊厳を穢しているようで見るに耐えない。
それだけで怒りが込み上げてくる。
「ジャンヌ?」
「リアム! あいつはジャンヌじゃない、ジャンヌに化けた何かだ!」
「・・・!?」
恐らく忘れさせられていたことを思い出したリアム君はたじろいでいる。
親しいジャンヌに敵意を向けられることに戸惑っているからだろう。
信じられない様子だ。
「・・・ひと思いに引導を渡したのよ? 抗えばそれだけ苦痛が伴うの」
「繰り返すと飽きるもんだ。終わりにさせてもらうぜ」
「楽しい夢を終わらせるなんて、残念な人」
やはり・・・融合までの時間を稼ぎ、身体を乗っ取って外へ出るつもりか!
そう確信したところで・・・。
「ねぇリアム、サディと一緒に居たいよね? あたしの方へおいで、また一緒に過ごせるよ」
さきほどまで浮かべていた表情は鳴りを潜め、慈愛に満ちた顔でリアム君を誘っている。
そんな誘いに乗るか、そう思っていたら。
なんとジャンヌだと思っていたその姿が、家着姿のサディへと変わっていく・・・!
燃えるような紅いウェーブの髪が栗毛色のストレートの髪になり。
身長も伸びて、もちろん顔つきも変わる。
でも
「目の前で変わるなんて見え透いたことを!」
「・・・」
「おい・・・? リアム?」
こんなあからさまな罠に乗るはずがねぇよ!
と思ったのだが。
隣りにいるリアム君の様子がおかしかった。
「・・・お姉ちゃん・・・」
彼がそいつに向けた顔は・・・破顔した思慕の表情だった。
姉のサディという、彼にとって最も大切なものは誰よりも優先される。
幼少期から彼という存在を慈しみ、包み込んできた人物だから。
いや・・・もしかしたらそれ以上に!
リアム君が一歩、サディに向かって足を進めた。
「おい、リアム!? お前、絶対にあれ、サディじゃねぇだろ!?」
「ううん。だって、お姉ちゃんだよ?」
どうしてそんな、俺がおかしいかのように言うんだよ!?
こんなん罠だってすぐわかんだろ!
「あっ・・・!?」
俺が戸惑った少しの隙に。
リアム君はそのままサディの傍まで歩いて行ってしまった。
しまった!? どうして引き止めなかったんだ!
「リアム、良い子ね。私と一緒にいましょう」
「うん」
優しく語りかけるサディに笑顔で応えるリアム君。
くそっ!? あんなに従順だなんて!
俺が武器を突きつけられてるってのに、どうして疑問も持たねぇんだよ!
「リアム! お前、怖いんだろ!? そっちに行ったらまた怖くなっちまうぞ!?」
「・・・武くん。お姉ちゃんといれば安心だよ」
「お前よ、夏休み中、俺と勉強すんじゃねぇのか? 俺と結弦と走ってる朝のマラソンはどうすんだ?」
「でも、お姉ちゃんに会えなくなっちゃう」
ぐ・・・!!
レゾナンスしたってのに、こんなにもサディへの想いは強いのか!
「ほら、ここはアリゾナじゃねぇだろ? こんなニセモノじゃなくてよ、一緒にアリゾナってホンモノに会おう」
「ここならお姉ちゃんに会えるよ?」
「そうよリアム、ずっと私と一緒よ」
「うん!」
俺の言葉など取るに足りぬというように、満面の笑みを浮かべて奴の甘言に応えるリアム君。
どうしちまったんだよ、明らかに正常な判断ができてねぇ。
それほどまでにサディへの信頼が強いってのか・・・!
それともあいつに何かされちまってんのか。
くそっ・・・ここまで来たってのに!
俺ひとりじゃ、ヤツへの勝ち筋も見えねぇ。
どうする、考えろ、俺!
だが奴はそんな俺に猶予など与えるつもりはない。
説得の言葉を探している俺に対して、ヤツは
サディの姿をしているのに、その振り筋はジャンヌのもの!?
「ぎゃぁ!? あっっぶねぇ!!」
「避けたら痛くなるわ」
「避けなくても痛ぇだろ!!」
くそっ! ジャンヌと同等の身体能力もあるってか!?
「あなたは私に勝てない。大人しく5回目のスタートへ戻りなさい」
「リアムを置いて戻れるわけねぇだろ! っく!?」
躊躇のないひと振りで軽く腕を斬られた。
血が垂れるが動きに影響はない。
俺はヤツからの距離を取った。
あの速さとリーチは危険すぎる。
「2度と邪魔したいと思わないよう、少しずつ嬲ってあげる」
「そりゃお優しいことで!」
それは好都合だ。
即死しないならやりようもある。
って、速ぇ!!
「そんなのんびりで避けられるかしら!」
「・・・! うっ! っつう!!」
びゅんびゅんと鋭い斬撃が飛ぶ。
素人の俺の動きでは躱しきれず、何回かそれをもらう。
右脚、脇腹、肩口。
徐々に傷が増えてくる。
こんなん、素手で避け切れねぇよ!
身体能力に差がありすぎる!
だが何とかしなければまた振り出しだ。
今度はジャンヌも敵になるかもしれん。
いや、そもそもこの世界が敵か。
「武くん・・・」
俺を心配そうに見ているリアム君。
頼む、目覚めてくれ!
「リアム! こんなんサディじゃねぇだろ!! 高天原へ戻ろう!」
「・・・でも・・・」
そう、リアム君は思い出したはずだ。
レゾナンスがそれを実証したじゃないか。
だけど彼がお姉さんに絆されていると俺にさえ銃口を向けてしまう。
どうする!?
リアム君ともういちどレゾナンスして正気を取り戻させるか!?
それともヤツをどうにか・・・できたら苦労しねぇ!
「ほらほらほら!!」
「っ! はっ! ぐぅ!?」
やはり考える暇もない。
3度避けたが躱しきれない。
くそっ、脚に喰らった!
左脚のふくらはぎを大きく斬られた。
ずくずくと血が溢れ出る。
力が入れられない。慌てて上着を脱いで止血した。
だが・・・これでもう後がない。
屈んだ姿勢のまま俺は動けなくなった。
「さぁ、この周回も終わりよ。何か言い残すことは?」
「・・・俺の大事な仲間を穢すなんて許せねぇ」
俺は奴を睨み返した。
身体がやられたって心は折れねぇぞ!
「何度だってやってやる! ジャンヌもリアムも散々に弄びやがって! お前の玩具でも道具でも、なんでもねえんだぞ!」
もはや抵抗もできなさそうな、言葉だけの俺に余裕なのだろう。
そいつはまた哀れみの表情を浮かべていた。
「仲間? あなたの妄想も大概ね」
「お前がどう思おうが関係ねぇ! 俺が仲間だと思ったら仲間だ!」
「
「・・・!?」
戯言を!
・・・いや。
こいつはリアム君やジャンヌの思考を読んでいるんだ。
もしかしたらそれが真実かもしれない。
ふと、思い至ってしまったその僅かな可能性は俺の心に暗い影を落とす。
ジャンヌにとって俺は何なんだ?
仲間でもないなら・・・仕方なく付き合っている知り合いか?
俺への扱いが酷いしな。
この世界に来て聞いた話なんて嘘かもしれん。
リアム君とはさっき通じ合いレゾナンスまでした。
だけどお姉さんとは比較対象にならない。
今だって俺よりお姉さんを優先したじゃないか。
・・・。
気を寄せられないほうが好都合と考えていたはずなのに。
こうして他人の言葉として投げかけられたものが、俺の心の何かを蝕む。
俺は・・・。
「悔しい? 所詮、あなたの気持ちなんてその程度なのよ。心の底から欲してるものがない!」
「・・・」
今度は蔑むような無表情になり。
そいつはふたたび
俺は心の奥底から頭をもたげた疑念に判断が鈍った。
「さようなら。また会いましょう」
心はどんどん暗く染まっていく。
胸がぎしぎしと締め付けられる。
その切先に絶望が見えた。
もう駄目か。
そう思い目を強く閉じた。
があん!
俺のすぐ横に
「お姉ちゃん、駄目!」
「!?」
「ちっ!」
はっとして目を開ける。
ずっとサディに従順だったリアム君が咄嗟に彼女の手にしがみついていた。
「お姉ちゃん、武くんは駄目!」
「・・・リアム、ごめんね。ちょっと待っててね」
「・・・う、うん・・・」
あくまでも優しく、ヤツはリアム君を押し留める。
サディの優しい言葉にリアム君は後ろへ下がった。
俺のほうを心配そうにちらちらと見ながら。
俺は・・・!
リアム君に忘れられてなどいない!
彼は今、自身の葛藤と戦っているんだ!
ヤツに見せられている幻影と!!
気力を取り戻した俺は数少ない勝機を探るため、刃の切先を見て次の動きに注意を払う。
そして・・・屈んだ姿勢からヤツの
この精神空間で、ジャンヌは武器を「想像しても出てこない」と言った。
だがヤツは出せている。
シミュレーターでは出せていたんだ。
俺は出せないと思い込まされていたんじゃないのか?
そもそも試してもいないじゃないか。
「リアム、すぐ終わるからね!」
優しい口調とは裏腹に、また憐憫の顔つきでヤツは俺に向かって槍を突く。
その刃の向かう先は俺の右脚!
完全に動けなくするため!
この瞬間に俺は賭けに出た。
俺が素早く、強くなれる唯一の方法。
それは・・・疑似化だ!
「凛花先輩!!」
俺は想像した。
ボーイッシュな黒髪の先輩が俺に何度もしてくれた疑似化。
俺に施してくれた、あの訓練のワンシーンを。
身体全体に潤滑油を垂らしたように魔力の流れが良くなる
全身に疑似化がかかったと
そうして次の瞬間。
ごう、と風を切る耳鳴りがしたかと思うと、俺の身体は宙を舞っていた。
「なに!?」
ヤツの驚きの言葉が俺に希望をもたらした。
よっっし! 疑似化成功だ!
ありがとう凛花先輩!!
俺は爆発したかのような腕の力だけで宙返りをしながら、無事な右脚ですたっと着地する。
これで奴との距離も稼いだ。
トントンと飛び跳ねて軽く身体を揺する。
うん、この感覚。久しぶり。
軽くなった身体は全身に疑似化が施されていた。
戦う気力が俺に戻って来る。
「へぇ、
「これが使えんなら負けねぇぞ」
「そうかしら」
ヤツはふたたび、躊躇なく
左脚が使えないとしても、俺の身体は十分に反応してくれた。
その切っ先を躱し、1歩、深く踏み込む。
そうしてヤツの腹にエルボーをお見舞いした。
「!? かはっ・・・!」
油断していたのだろう、簡単にヤツは吹き飛んでいった。
丹撃の威力はさすがだ。
ジャンヌの身体能力を過信していたのかもしれない。
「お、お姉ちゃん・・・!?」
吹き飛んだサディに駆け寄るリアム君。
・・・迷っていても彼はサディ側。
もう彼の目を覚ますにはヤツをどうにかするしかない!
俺はヤツに近付いた。
膝をついていたヤツは顔を上げて俺を見た。
そうしてぎっと眉根を寄せて負けん気の入った顔をする。
俺に見せつけるように・・・リアム君の喉元に
「うぇ・・・お姉ちゃん?」
「リアム!?」
「残念。あなたはリアムを助ける必要がある。でも私は繰り返せば良いだけ」
「・・・!」
ここで卑怯な、なんてベタなセリフは言ってやらん!!
くそっ・・・これじゃ手が出せねぇ。
「何ならこのまま1か月くらい待っても良いのよ?」
「おいリアム! そっから逃げろ!」
「武くん・・・でもお姉ちゃんが・・・」
リアム君に声をかけるも、彼はまた姉への想いを断ち切れない。
状況を理解できないのか!?
いくら大好きでも刃を突きつけられてるんだぞ!?
どうしてそこまで理性が戻ってこない!?
・・・。
・・・。
しばらく、沈黙が支配する中での睨み合いが続いた。
手を出せないままじりじりと時間だけが過ぎる。
ヤツは無表情で俺の動きを見守る。
想像すれば何かができることはわかった。
だけどそれを見られた瞬間に、あの呆けたリアム君に手を出されて終わりだ。
そうしたらリアム君がいなくなっちまう。
またスタートに戻るしかねぇ。
・・・。
くそ、考えろ。
何をどうすりゃいいんだ。
・・・。
・・・。
「諦めたくなったらこちらに来なさい。今度こそひと思いに引導を渡してあげる」
「生憎、俺は諦めが悪いんでね」
「その強気、いつまで持つのかしら」
哀れみながらも笑みを含んだ表情。
俺で遊んでやがる!
ここまで辿り着いたんだ、リスタートが正しいとはとても思えん。
次はここに来るまでにもっと障壁があるに決まっている。
・・・。
惑わされるな、ヤツの言葉は裏腹だ。
不利だからこそ俺に言葉を浴びせているんだ。
もっと考えろ、今の状況を。
そもそも、どうしてこの暗闇の空間になった?
ヤツがアリゾナを維持できなかったからだ。
どうして維持ができなくなった?
俺とリアム君がレゾナンスしたからだ。
どうしてレゾナンスしたら維持ができなくなった?
・・・俺との共鳴でリアム君の融合状態が後退したからだ!
つまり・・・今のヤツはリアム君と深い融合状態じゃない。
だから仮想世界を維持できていない。
それだけ弱っているからこんな茶番みたいなことをしている。
想像で何でもできるのなら俺を迷わすなり閉じ込めるなりできるだろう。
「ほら、そのままだとリアムが危ないわよ」
ぐっと、刃先がリアム君の首筋に食い込む。
無抵抗なリアム君は顔を歪めるだけ。
今にも切れそうだ。
くそっ! やめろ!
・・・そもそもヤツはどうやってリアム君の精神に入り込んだ?
ブレイブ・ハート。
装備している者の魔力が尽きたら、中にある精神が身体を乗っ取りに来る。
つまり魔力のような存在の何かが閉じ込められていて。
装備してる人の魔力が尽きて空になったところへ、補充される魔力の代わりに入り込む。
そうすればそいつの身体と・・・精神と融合できる。
そうか!
魔力が空だからヤツが入り込むんだ!
だったら・・・本来の魔力を入れてやれば良い!
魔力を流し込むんだ!
ヤツは今、リアム君へ深く入り込んでいない。
この暗闇がその証拠だ。
ならば誰に化けている?
目の前にいるのはジャンヌの姿から変身したサディだ。
身体能力からも、今、ヤツはジャンヌの中にいると考えたほうがいい。
それならジャンヌの精神はどこへ行った?
本物はどこかに閉じ込められているか、気を失っているか。
周回するうちに魔力が切れて乗っ取られたんだろう。
そんで利用されてるからヤツはジャンヌの力を使えている。
「・・・はぁ、このまま待っても時間の無駄だわ。終わりにしましょ」
気分で変えんなと突っ込みたかったが。
そいつはリアム君の首筋に、さらに
つう、と彼の白い首から赤い筋が流れ出る。
「ううっ・・・! お姉ちゃん・・・」
リアム君は苦痛に声をあげ顔をしかめるが逃げようとはしない。
それほどまでにお姉さんに心酔してんのかよ。
為すがままになっている。
「! やめろ!!」
「そのまま、何もしないでこっちに歩いて来なさい」
「・・・」
冷徹な声色だった。
逆らう選択肢はない。
ヤツはリアム君を斬ってやり直せば良いのだから。
言われるがまま、俺は足を進める。
ヤツの
・・・。
・・・。
一步、一步。
あと数歩。
ヤツはまた悲しむような表情を浮かべていた。
この空間なら何でも思いどおりにいくのに。
何がそんなに悲しいのか。
それでも俺たちを弄んでいるのは腹立たしい。
・・・。
この先は引き返せない終焉。
俺はぴたりと足を止めた。
「・・・なに? リアムが死ぬわよ?」
怪訝な表情を浮かべたヤツに。
俺は逆に、にやりと不敵な笑みを浮かべ返してやったのだった。
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