050
7月22日。休みに入った初日は日曜日。
さくらとの約束で俺は天神駅前にいた。
夏らしく暑いが気温は30度に届かない程度。
汗が出るほどではない。
でも今は涼しい朝方。
日中は30度を超えるので帽子は必須だ。
【おはようございます! お待たせしました】
小走りにこちらへ駆けてくるのはさくらだ。
お、つばのカーブした大きめの白い帽子だ。
女優帽って言うんだっけ。
【おはよう。まだ時間前だぞ】
【いえ、わたしがお誘いしましたから!】
少し息を切らした彼女はずっと走って来たのだろう。
それでもにこりとするその姿に目が釘付けになった。
胸元に白いふわふわリボンのついたブラウス。
上から日除けに金色のカーディガンを羽織っていた。
腰まである長い銀髪を黒い大きなリボンで縛っていた。
・・・家出したお嬢様?
最初に浮かんだ感想がそれだ。
ここまで本気の彼女のおでかけコーデを見たのが初めてだったから。
綺麗すぎる。思わず見惚れてしまう。
【武さん?】
こてんと首を傾げるさくら。
その仕草さえ映画のワンシーンを観ているようだった。
【あ、ああ、ごめん。思わず見惚れちゃったよ。素敵な格好だな】
【ふふ、ありがとうございます!】
俺は相変わらずの適当コーデ。
グレーのキャスケットに青白の縦縞シャツ、ブラックのジョガーパンツ。
中学時代にフェニックスでドール売りしていたものをそのまま買ったやつだ。
というか、私服をほとんど着ないから夏2着、冬2着しかねぇんだよ。
彼女とお出かけするときはいつもそうなんだけど、俺との格差を感じすぎる。
モブ感満載だから彼女を貶めてるようでちょっと罪悪感さえあるのだ。
【さ、行きましょう! こちらです!】
俺のそんなくだらない葛藤を知らぬまま、彼女は俺の手を引いて改札をくぐった。
屋根の下に入って肌を刺していた日差しから逃れる。
【おいおい、張り切ってんな。どこに行くんだ?】
【まだ内緒です!】
さくらはにこにことしたまま、嬉しそうに俺の手を引く。
すぐに電車が来て乗り込んだ。
爽やかな空調に滲んでいた汗が乾いていく。
【こっちは緑峰方面だよな。まさか中学へ行くのか】
【残念! 違います。もうすぐ着きますよ】
ずっとはぐらかされたまま。
でもさくらのテンションが高いままなのは珍しい。
もう到着してからのお楽しみにしておこう。
【あ、そうでした! お願いがあります】
【ん? なに?】
【SS協定で決めた事項は遵守しますので、わたしがやると決めたことに駄目と言わないでください】
【・・・まぁ。できることなら】
【はい、お願いしますね!】
いったい何をするのやら。
誘惑されるとかそういうのじゃなさそうだから、楽しめることは楽しめば良いか。
美人な彼女にずっとにこにこされていれば自然とこちらの気持ちも上向く。
何があるのかな、と楽しみにすることにして窓の外に見える東京湾へ視線を移した。
◇
【ここは・・・】
【はい! こちらです!】
【・・・まさかの、だよ】
到着した場所は緑峰駅と天神駅の中間地点、海浦駅。
そこは恐怖の想い出、ディスティニーランドだった。
先ほどの上向いた気持ちはジェットコースター並みに急降下だ。
【・・・やっぱり色々乗るんだよね?】
【もちろんです! それでは参りましょう!】
【あ、ちょ、ちょっと・・・!?】
繋いでいた手を離したと思ったらさくらは腕を組んできた。
テンプレながら彼女の胸に触れる柔らかい感触に少し慌ててしまい。
逆らう余裕もなくそのまま入場ゲートを通過していくのだった。
◇
そして予想通りに・・・
【ぎゃああああああぁぁぁぁぁぁぁ!!!】
【あはははははははははは!!】
心の底から後悔した。
もう二度と乗らないと誓ったはずなのに・・・。
どうして俺は乗ってるんだよ・・・今後、絶対に『できることなら』って言わねえ・・・。
【あはは、とても楽しいです! こんなに盛り上がるのですね!!】
さくらが腹の底から笑うと【あはは】なんだね。新発見。
ゲームじゃそんな
デロデロでベンチで横になる俺は、なぜか冷静にそんなことを考えていた。
思い浮かぶままに思考を流さないとリバースしそうで・・・。
【うっぷ・・・ごめんだけど・・・もっと休ませて・・・】
【はい、大丈夫ですよ。ペースは順調です】
【・・・ペース・・・?】
何の話・・・?
前に香にしてもらったように膝枕してもらう。
あの時と同じく役得感なんてまったくない。
早く立ち直ってくれ俺の三半規管・・・!
疑似化でスピードに慣れたと思っていたけれど、三半規管への攻撃には無意味だったよ。
そうして幾つか絶叫マシンを連れ回され、都度、ベンチで横になる。
さくらはとても楽しそうだ。
俺が絶叫するのを聞くのも、デロデロになった俺を介抱するのも。
彼女にとっては幸せ要素なのだろう。
こんな拷問、俺に幸せ要素なんて皆無だけどね!
香のときと同じだよ・・・と頭で反芻していたところで気付いた。
【う・・・さくら、もしかして】
【はい】
【香と同じやつに乗ってる・・・?】
【ふふ、気付いてしまいましたか】
さくらが可愛らしくテヘペロする。
悪戯が成功しましたって雰囲気だ。
【あのとき、わたしは後ろで隠れてばかりでしたから。ずっと武さんとご一緒したかったのです】
【・・・】
あのとき。3年前、香に引っ張り回されていたとき。
俺への想いから、さくらは後ろをつけてずっとひとりで様子を見ていた。
そうだよな、香とのやりとりをずっと見せびらかされていたわけだ。
嫉妬も羨望も鬱憤となって溜まってしまうというもの。
今になってその話が出てくるというのだから・・・相当に心へ刺さっていたのだろう。
・・・どうも俺は自分のことに追われすぎている。
こうして彼女やほかの皆のことを考えてやる余裕がない。
だからさくらが今の今までこの気持ちを溜め込んでいたことに気付かない。
仲良くなりすぎては駄目といっても限度がある。
それがさくらを蔑ろにしてよい理由になどならないのだから。
凛花先輩のように貰うだけ貰ってなかなか会えない状況になってしまう可能性だってある。
そんなの酷すぎる。俺の都合だけで拒絶し過ぎるのは良くない。
せめて今日くらい。
思い切って俺に我儘を言った彼女に付き合っても良いんじゃないだろうか。
【ぃよっと・・・ぐ、まだふらつく】
【あ、まだ横になっていて良いのですよ?】
俺は膝枕から身体を起こした。
俺の髪を撫でていたさくらが名残惜しそうに手を伸ばしていた。
【ん、もうお昼前だろ? もうちょっと休まねぇと食べられねぇからさ】
【え?】
記憶を頼りにさくらの手を引っ張る。
さくらは香と同じようにずっと俺を連れ回すつもりだったのだろう。
急に俺のほうから動き出したので呆気に取られていた。
【あ、あの!】
【俺ももうちょっと横になりたいから。あっちで頼むよ】
そう言って俺はさくらの手を引いて歩き出した。
屋内の休憩所を目指す。
確かこのあたり。あった、ここだ。
映画館のカップルシートのようなブース。
迷わずさくらと一緒に個室へ入った。
【ここは・・・】
【俺が食事前に休んだとこ。さくらは見えなかっただろ? ほら、ここに座って】
【はい】
さくらに座ってもらう。
俺も隣に座った。
【音だけ聞いてると色々と邪推しちまうしな】
あのとき、さくらが俺たちの声だけを聞いて何を想像したのか。
考えるほど居た堪れない気持ちになってしまう。
だから何があったのかを教えようと思ったのだ。
【あんときはさ、ここでベンチと同じように膝枕で寝てたんだよ】
【・・・】
【30分くらい休ませてもらったかな。今みたいにきつかったから】
実際・・・まだ目眩がひどい。
身体が斜めになり自然とさくらにもたれる格好になってしまった。
彼女の肩に頭を乗せる。
負担をかけまいと姿勢を保つ彼女の頬は少し赤くなっていた。
【あ、あの・・・】
【ちょっと休ませてくれよ。まだきついんだ】
俺は目を閉じて身体の力を抜く。
緊張が解けて少し楽になる。まだ三半規管がおかしい。
ああ・・・ちょっと寝ないと駄目だなこれ。
ふっと屋外にいるときの警戒感を解くと・・・。
隣のブースでばたん、がこんと音がした。
【ん、誰か入って来たな。あんときさくらが入って来た音もこうやってよく聞こえたんだよ】
【そうなのですね】
さくらはちょっと気のない返事。
心ここにあらず、という雰囲気だ。
目を閉じたままなので彼女の表情は伺い知れない。
まぁいいや、ウトウトしてきたし。
このまま少し休ませてもらおう。
【じゃ、ごめん。ちょっとだけ寝させてくれ】
【はい、おやすみなさい】
小さく囁くような、優しいさくらの声。
邪推の中身を知れて少しは納得できたかな。
ともかく寝よう。
このままじゃお昼食べられねぇからな・・・。
・・・・・・
・・・
◇
・・・
・・・・・・
ふわり。
ん・・・。
何か唇に触れた・・・?
・・・そうか。寝てたんだ。
感じる彼女の体温が一緒にいることを教えてくれていた。
【んん! ごめん、ぐっすり寝ちゃったよ】
【ふふ、良いのです。役得の意味がわかりました】
【んえ?】
間抜けな声をあげてしまった俺は状況を改めて把握していく。
目を開けると、目の前に麗しく端正なさくらの顔。
彼女の銀色の瞳が優しく俺を映してた。
あれ? なんか膝枕になってる。
姿勢が崩れたのを調整してくれたのか。
【っと。うん、調子も戻った。よし、お昼に行こう】
【はい♪ 行きましょう!】
俺は立ち上がる。
待たせたというのに上機嫌なさくらの返事。
彼女にとって良い時間だったのなら良かった。
俺は身体を起こしてさくらの手を引く。
さくらは大人しく俺にエスコートさせてくれた。
◇
お昼はフードコートでボロネーゼ。
ふたりお揃いで同じものを注文するのは初めてだ。
さくらに選んでもらって俺も同じものを注文した。
中学でやっていたパスタの会はそれぞれ別のものを頼んでシェアしていた。
俺の天邪鬼な性格が手伝って被らないようにしていたのもある。
だから今日、こうして同じものを注文していることが特別に思えてしまう。
【おそろい、初めてですね♪】
彼女もそれに気付いたのか、嬉しそうに顔を綻ばせる。
その顔を見て、どくんと鼓動が強くなるのを感じた。
また顔が赤くなっている自覚がある。
でもそれでいい、俺はそう感じているのだから。
・・・そして自分の気持を肯定してやって思い至った。
やはり俺はさくらも好きなのだ。
香を1番に選んだのは確かに俺の意思。
でも同じくらいさくらが好きだ。
雪子や香が好きであっても、だ。
【美味しいな】
【はい! とても美味しいです!】
美味しいからなのか、俺と一緒だからなのか。
その弾んだ声や表情が俺に彼女の素直な気持ちを手渡してくる。
受け取った温かい何かが俺の心の奥底にじんわりと広がっていく。
腰まで伸びる銀髪が風に揺れる様も。
銀色の睫毛の下から覗く
驚いたときに手を口に添える癖も。
怒ったときの眉根に皺を寄せて口をへの字に曲げるのも。
嬉しいときの鈴を転がしたような声も。
哀しいときに流す真珠のような涙でさえも。
俺の記憶の中に強く焼き付いた、麗しいさくらの姿だ。
それは
俺と一緒に過ごしてきた、この世界で見たさくらの姿だ。
俺がこの世界で過ごした証であり彼女との絆でもある。
俺は攻略のためにこういった気持ちをずっと封印してきた。
それが溢れ出してきた今、この気持を抑えられるのか。
自分で自分がどうすればよいのかわからなくなってしまった。
【――で、お化け屋敷にも・・・武さん?】
【ん? あ、ああ、ごめんごめん】
食べながら思考を飛ばしてしまっていた。
熱心にこの後のことを話す彼女の話を聞き流していた。
どうしたのでしょうか、という彼女の仕草に愛想笑いで誤魔化す。
まずいなぁ・・・俺はどうすれば良いんだ。
このまま流されちゃまずいことだけはわかるのに。
流されてもいい、流されるべきだと俺の心が訴えている。
【ごちそうさま】
【はい、ごちそうさまです。ちょっとお休みしたら行きましょう】
【うん。・・・ごめん、ちょっとお手洗いに失礼】
とにかく思考を整理したかった。
いつも目標に突っ走ってきたけれど、こんなに迷ったのは久しぶりだ。
気を落ち着けないと危ない。
一旦時間を置くために、俺はインターバルを設けることにした。
個室に入り腰掛けてひといき。
時間の経過だけでぐつぐつと煮えたぎった感情を冷ます。
ああもう、俺はどうすりゃ良いんだ。
誰か助けてくれよ・・・。
俺はひとり、そうぼやいた。
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