第2話 桜祭り~出会い~

 ここに来てどれくらい時間がたっただろう。時計を確認したら、一時間をとうにすぎていた。タクシーで車で来れるギリギリのところまで送ってもらったというのに、直人はそこからさほど遠くないところで立ち止まっていた。十分もあれば余裕で戻れる距離だ。

 そろそろ進むか。せっかく、東京から山口まで来たのに祭りを見ないのはないだろう。屋台が出ているのも、まだ先の方だ。その前に写真を撮っておこう。記念用と雑誌に載せる用に。

 カバンからカメラを取り出し、桜を何枚か撮ろうとしたとき背中に何かぶつかった。 

 ガシャン。ぶつかった衝撃でカメラを落としてしまった。直人はあまりの一瞬の出来事に呆然としてしまった。とりあえず、何がぶつかったのか確認しようと、後ろを振り向くと女の子が座り込んでいた。「いったーい」そう言いってお尻をさする女の子。ぶつかった勢いで倒れたため、お尻を強く打ったのだろう。すぐに「大丈夫ですか?」と声をかけ手を差し出した。

 パチン。女の子は直人が差し出した手をおもいっきり払いのけた。

「ちょっと、なんでこんなところで立ち止まってるのよ。危ないでしょ」

こっちを睨みつける女の子。周りの人間も何事かとこっちを見る。「何かあったのかな」「ちょっと、あれ大丈夫なの?」そんな声が聞こえてくる。それでも、関わりたくないからか見るだけでこっちに来ようともしない。

「ちょっと、何とか言ったらどうなのよ」

何も言わない直人に腹を立てる。

 女の子の勢いについ、「すみません」と謝り、続けて「大丈夫ですか。どこか怪我はありませんか」と。もう一度「本当にすみません」と謝罪した。さっきは、つい言っただけだったので、きちんと謝罪するべきだと思った。自分が他人の迷惑も考えず突っ立っていたのは事実だったので、女の子が怒るのは当然のことだと。

 しかし、直人が謝罪したのに対して女の子は許さなかった。ぶつかってきたのは自分の方なのに、まるで直人の方が一方的に悪いのだと自分に非は一つもないと、文句を言い続けた。絶対に謝罪の言葉を口にはしなかった。


 結構な時間が経ったが、女の子の怒りは治らなかった。周りの人達も「これ止めた方がいいんじゃ」「やばいよね」「誰か止めに入った方が…」と直人を心配そうに見ているが、誰一人動こうとはしなかった。直人もどうにかしようと思うが、どうしたらいいかわからない。いい案がが何も浮かばなかった。仕方ないので、女の子の気持ちが治るまで付き合うしかない。そう、腹を括った。

 そんな直人の気持ちに気づいたのか「ちょっと、さっきからなんなのその態度」と吐き捨てるように言う。

「だいたい、なんでこんなところに…」

女の子はまだ文句を言いそうな勢いだったが、ある女性が女の子の肩に手を置いた。

「ちょっと触んないで。誰か知らないけど関係ない人は引っ込んでてくれない」

手を振り払い、女性の方を見向きもせずに言う。そして、「自分では何にもできない馬鹿な大人」として直人を馬鹿にしてやろうと口を開こうとする前に女性が声を発した。

「藍。あんた、さっきから何様のつもりだい」

女性の声が響いた。

 女の子の名前は「アイ」と言うのか。名前を呼んだから二人は知り合いなのだろう。それにしても、知り合いという感じの雰囲気ではない。一体どういう関係か。女性は藍に対して好意的な態度でないことは確かだ。

 女性の声を聞いて藍は顔を真っ青にした。藍は後ろを向き女性の顔を見るとさらに顔色が悪くなった。

「お、お姉ちゃん。どうして、ここに」

藍の声が震えている。

 お姉ちゃん!?

今、藍は確かにそう言った。どうみたって姉妹の雰囲気には見えない。顔をよく見たら目元は似ていた。二人の周りだけ異様な空気になっている。さっきまでこちらを気にして足を止めていた人達も、巻き込まれるのは嫌だと思ったのか、はやくここから離れようと止めていた足を動かしはじめた。

「私がここにいたら何か問題でもあるの?藍」

優しい口調だが目は一切笑ってなく、冷ややかな目で藍を見る女性。

「いえ、ありません」

さっきまでの威勢はどこにいったのかってくらい怯えている。

「そう、ならよかった」

淡々と答える女性。声を荒げるわけでも、罵声を浴びせられるてるわけでもないのに、女性の言葉には妙な威圧を感じた。

「それで、あんたはここで何をしてたの?」「いえ…あの、それは…」

正直に言ったらどうなるかわかっているため、何とか誤魔化そうとするが姉がどこから聞いていたのかわからないので言葉を濁すことしかできない藍。

「言えないことでもしてたの」

自分に不利な状況だからか、だんまりを決め込み口を開こうとしない藍。その態度に、女性の顔から表情が一瞬消えた。

フー、と深く息を吐く女性。

「あの時から何も反省してないのね、あんたは」

吐き捨てるように言う女性。

「あの時から」とは一体どういう意味なのか。もしかして前にも同じようなことがあったのか。そう思ったが、その件は自分とは無関係なので、部外者が立ち入った話を聞くべきではないなと。

 姉の言葉にむかついた藍が「だいたいお姉ちゃんには関係ないでしょ。いちいち、首を突っ込んでこないでよ。そっちこそ、さっきから何様のつもりなのよ」

興奮しているのか顔から湯気が出てきそうなくらい真っ赤にそまっており、鼻息も荒く「フーフーフー」と直人のところまで聞こえるくらい大きい。さっきまでの様子とは打って変わった。怯えていたのが嘘に見えるくらいには。

「言いたいことはそれだけ」

あまりにも淡々と言い放つ姿に、藍の戦意を粉々に砕いた。勢いにまかせたらなんとかなるだろうと思っていた藍。まさかの反応だった。これには、直人でさえ驚いた。大人でも興奮した相手に対して、ここまで冷静に返せる人は稀だ。

「そもそも、あんたが常識のある人間だったら何も言わないから。自分の行動で人に迷惑をかけようが、自分のせいで人を傷つけようが、自分の言葉で人の心を踏みつけようが、お構いなし。反省も謝罪もない。その行為をやめようとしないあんたから、守るためにやってるの。別にあんたの為にしてるわけじゃないから」

女性の言動に疑問を感じていた直人はようやくその正体に気づいた。今言った言葉通り、女性は藍のことを一度も心配していなかった。普通、妹が知らない男とぶつかったなら、姉が感じる感情は二つに一つだ。一つ目は、相手に対しての怒り。身内に怪我をさした相手に対して、普通に怒りを覚える。二つ目は、怪我の心配。男とぶつかったらどこか怪我はしてないか、足は捻ってないかなど心配してなんともないか確認するはず。だけど、この女性には二つとも当てはまらない。

 何故か?

 理由は簡単。至ってシンプルだ。それは、藍のことを信じてないからだ。

「はぁ?何やそれ。私が悪いっていうの!悪いのはこいつの方でしょ!そもそも、こいつがこんなところで突っ立っていなければこんななことにはなってなかったんだから」

藍の言葉に心の中で、「確かに、その通り」だと、共感する直人。しかし、女性はすぐに否定をした。

「それは、違う。この男性は人の迷惑にならないところで立ち止まり、桜の写真を撮ろうとしていたのよ。現に今私達の周りに人はいないし、通行人の邪魔になっていない」

ほら、周りを見なさいと。

 女性の言う通り通行人の邪魔にはなっていなかったが、彼らが自分達の周りによってこないのは厄介ごとに関わりたくないという理由もあったからだ。

「さっきからあんたは自分に非はないみたいに言ってるけど、本当に自分は悪くないたら思ってるの」

「当たり前でしょ。私は悪くないわ。どう考えても悪いのはその男よ」

藍の言葉に頭が痛くなる。これが血の繋がった実の妹とは。どうしたらこんな考えになるのかわからなかった。

「もういい。今のあんたには何を言っても無駄ね。自分が人混みの中走りまわり、人にぶつかったのに謝罪もせずに文句を言い続けるなんて、恥をしりなさい。反省するまで帰ってこなくていい。謝罪する気になったら連絡しなさい」

彼女の言葉に藍は顔を真っ赤にして激怒する。「ふざけんな。お前に決める権利なんてねぇだろう」そう叫ぶ藍を無視して直人に近づいてくる。

「この度は、妹がご迷惑をおかけして申し訳ありません」

頭を深く下げて謝罪する女性。

「頭をあげてください。私もここで立ち止まっていました。彼女の言う通り、私にも非はあります」

どうか頭をあげてくださいと、もう一度言った。直人の言葉でようやく頭をあげた女性。

「いえ、それは違います」

直人の言葉に対してはっきりと違うと言う。違うと否定された直人は困惑したが、女性には直人に非がないことがわかっていた。

 それはなぜか。その答えも簡単だ。女性は二人がぶつかった瞬間を見ていたからだ。正確に言えば、ぶつかる少し前から見ていたからだ。

 そのことを、直人も藍も知らない。

 だから、藍は姉が現れても自分は悪くないという態度を貫いたし、直人が立ち止まっていたせいで自分は怪我をしたと。仮に誰かに見られていても、これだけの人の数では何があったのかを全て把握できないと藍はわかっていた。だから全てを直人のせいにしようとしていたが、それは姉のせいで叶わなかった。

 女性はどうやって二人の出来事を全て把握できたのか。人混みの中特定の人物をずっと見つめることは難しい。まして、近くからではなく遠くにいたらなおのこと。

 では、女性はどこから見ていたのか。この答えも簡単。上から見ていた。それだけだ。そのため、直人に非がないことも藍の行動が他の人にも迷惑をかけていたことを知っていた。

 それもそのはず。この人混みで走り回れば、直人以外にもぶつかる。

「あなたは悪くありません。あなたは人の迷惑にならない場所で写真を撮ろうとしていました。周りに気遣いをきちんとしていた。そんな人に何が悪いと言えますか」

女性が言った通り直人は周りの人の迷惑にならないように行動していた。そもそも、直人が立ち止まっていたところは人混みから少し外れている場所だった。少しスペースがあるところで、桜をゆっくりみれるように木の長椅子を一つ置いている休憩場所の一つのところにいた。

 だから、女性は妹の藍が理不尽に直人に文句を言ったことを許せなかった。

 女性が藍に対して怒っている理由はもう一つあった。それは、祭りの期間に問題を起こしたことだ。この祭りは女性にとっては、ただの祭りではないのだ。だからこそ、藍の行動と態度に腹を立てていた。

「そう言ってもらえてありがたいですが、やはり私にも非はあったと思います。こちらこそ、妹さんに怪我をさせてしまいすみませんでした」

頭を下げて謝る直人に、今度は女性の方が困惑した。

 確かに直人は女性が言ったように、周りの人の迷惑にならないように確認してから、写真を撮ろうとした。それでも、直人は藍とぶつかってしまった。直人には怪我はなかったが大事にしていたカメラは壊れた。藍は衝撃で尻もちをつきお尻を痛めた。そして、左の手のひらからは少し血が出ていた。

 女の子に怪我をさせてしまった後悔から、直人は自分にも非はあると考えていた。

 女性には直人の考えが理解できなかった。藍が怪我をしたのは自業自得だと考えていたし、カメラを壊されたのに怒りもしない、ましてや自分にも非はあると言う直人を少し怖いと思った。それが、上辺だけの言葉ではなく本心から言っている言葉だとわかったからだ。「なぜ、あなたはそんなに優しいのか」「なぜ、そこまで自分を悪く言うのか」そう訊こうとしてやめた。訊いたところで直人の答えがわかるからだ。

「そう言ってもらえて、こちらこそありがたいです。本当にありがとうございます」

さっきよりも深く頭を下げてお礼を言う。

「頭をあげてください。私は本当に大丈夫ですので」

直人の言葉の意味を一瞬で理解した女性は少し涙が出てきそうになった。たった一言に物凄い優しさと温かさを感じた。この人は本当に優しすぎる。

 女性が言葉に詰まっていると「それでは、私はそろそろ」と言って何処かに行こうとしていたのを慌てて止めた。

「待ってください」

せめてお詫びをさせてほしい。そう思い、直人を呼び止めた。

「えっと…、何か」

「お詫びをさせてください。このままでは、私の気持ちが収まりませんので」

「いえ、そんなお詫びだなんて。本当に気にしないでください」

やんわりと断ろうとしたが「どうか、お願いします」と、強く言う彼女に驚いてしまい、つい「はい」と言ってしまった。

「ありがとうございます。ではいきましょう」

そう言って、落ちていたカメラを拾い歩き出す女性。これは、やっぱり無しと言っても遅いだろうな。この後の約束まで時間があるからそれまではと、腹を括った直人。それに、取材に来たのでいろんな人の話しを訊いてみたいと思っていたので、女性は桜花祭りのことをどう思うのか色々質問してみようと。若い子に声をかけるのは未だに緊張するし。これも、何かの縁だし。

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桜花舞姫 知恵舞桜 @laice

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