第3話 さくら寝込む

 海浜公園から徒歩二十分の住宅街に家はあった。真由美と一緒になった時に購入した中古の一戸建てで、築年数はさくらと同い年になる。  


 五時半丁度に家に着いた。玄関のたたきにさくらの黒いパンプスがあった。さくらがこの時間に帰っている事は珍しい。


「さくら、いるのか?」


 玄関正面の階段から二階のさくらに声をかけるが返事はなかった。

 音楽でも聴いてて聞こえないのか、聞こえないふりをしているのか。


 やれやれと思いながら、リビングの灯りを付けた時、ソファで横になるさくらの姿を見つけた。


「さくら?」

 

 ソファの近くまで行き、屈んでさくらを覗き込むと、ブランケットに包まったさくらが、真っ赤な顔をして苦しそうに寝ていた。

 体調が悪くて早めに帰って来たけど、家に着いた途端に力が抜けて自分の部屋まで行く体力がなくなったと、いつもより弱々しい声でさくらが説明した。

 

 おでこに手をあてると、高い体温が伝わってくる。熱を測ると三十九度もあった。


「病院に行くか?」


 苦しそうにさくらは首を振る。

 喉がかわいたと言うさくらに水分補給をさせてから部屋に連れて行った。

 ベッドに寝かせ、寒がっているさくらにたくさん布団をかけた。


「体調が悪いなら連絡くれれば良かったのに」


 ベッドの側に座りさくらを見た。目が合うと涙ぐんださくらが「もう一郎に会えないかと思った」と、か細い声で口にした。

 

 さくらの不安な気持ちが伝わり堪らなくなった。


「二度と会えないだなんて、大げさだな」


 さくらの不安を拭ってやりたくて、笑い飛ばすと、さくらが「だって」と、涙目でこっちを見上げる。

 その表情をさくらの子供の頃からよく見て来た。

 

 10歳のさくらも、25歳のさくらも愛しい。

 守ってやりたい。


「一郎くんは、ちゃんと、さくらちゃんの隣にいるよ」

 さくらの右頬に触れながら、小学生のさくらに言っていたように声をかけた。

 くしゃっと歪んださくらの目から大粒の涙が零れた。


「私、もう二十五だよ」  

 さくらが苦笑いを浮かべる。


「僕にとってさくらはさくらなんだよ」  


 さくらが意味がわからないと言うように眉を寄せる。

 そんなさくらの表情が可笑しくてクスクス笑った。そして今日、小学生の時のさくらにされた悪戯を思い出した事を話した。さくらは変な事思い出さないでよと、恥ずかしそうな顔をした。

 僕は調子に乗って腐ったみかんを掴まされた衝撃の出会いについても話した。病人をいじめないでよ。とさくらが布団で顔を隠した。


「じゃあ、ゆっくり休むんだよ」  


 部屋から出て行こうとすると、「一郎、そばにいて」という細いさくらの声がした。布団から顔を出して不安そうにこっちを見上げるさくらと視線が合う。


 どうしてさくらはこんなにも不安気な瞳を向けるのだろう。

 僕を父親以上に想っているからなのか?


「子どもに戻ったのか?」

「うん。一郎がいないとダメなの」


 素直に甘えるさくらが可愛い。

 元の場所に腰を下ろし、熱い手を握った。 


 さくらが安心するように弱々しく笑い、目を閉じた。

 さくらの寝顔を見ながら同じような事が真由美の葬儀の後にもあった事を思い出した。

 

 喪服を着たまま一晩中さくらと手をつないだ。十二才の小さなさくらの手を握りながら、血のつながりがなくても父親としてさくらを守って行こうと決めた。

 

 真由美の両親からは大反対されたが、さくらはかけがえのない僕の家族になっていた。離れて暮らす事は考えられなかった。

 寂しくて悲しい夜も、さくらがいてくれたから真由美の死を乗り越えられた。

 

 あの時の選択は間違ってなかった。さくらの側にいられて幸せだ。出来る事なら一生さくらの側にいたい。そんな事を言ったら、さくらに子離れが出来ないね、と呆れられるかもしれないが。


「出来るだけそばにいさせてくれよ」


 心の内側で口にし、願をかけるようにさくらの頭を撫で続けた。


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