第2話 悩む、一郎。
次の日、さくらは僕より先に家を出ていた。
仏壇に手を合わせながら昨夜の事を思い出した。さくらが十歳の時から僕に恋愛感情を抱いていたという話は本当なんだろうか。しかも僕と結婚したいだなんて――。
遺影の中の疑うような真由美の視線と目が合い、気まずい気持ちになる。
「僕はさくらをよこしまな目で見た事はないぞ。血がつながってなくてもさくらは僕の娘だ」
真由美がわかってるわよと、微笑んだ気がした。
真由美は三十五歳で亡くなった。膵臓癌だった。病気が見つかった時はもう手遅れで、余命半年だと言われた。
真由美は僕に対して申し訳ないとずっと言っていた。そして、さくらの事を最後まで心配していた。
僕は真由美と約束した。さくらが嫁に行くまで僕が彼女を守ると。
「真由美、昨日のさくらのあの言葉はやっぱり冗談だよな?」
僕の問いかけに真由美は静かに微笑むだけだった。
午前九時に海浜幕張駅を出て会社があるオフィスビルの方に歩くが、さくらの事が気になり反対口の方に引き返した。
さくらが勤めるホテルは二十階建てのシティホテルで、結婚式場としても有名な所だった。さくらは婚礼課に勤めている。大変な事も多いけど、とてもやりがいのある仕事だと言っていた。
ホテルの前で僕は立ち止まった。急にどんな顔をしてさくらに会えばいいのかわからなくなった。
正直な所、さくらに好きだと言われたのは嬉しい。さくらが小学生だったら、無邪気な気持ちとして受け取るだろう。だが、さくらはもう二十五才だ。小学生の子がお父さんと結婚したいと言うのとは意味が違ってくる。
ため息が出た。
もし昨夜の告白が冗談ではなかった場合、どうさくらと向き合えばいいのか。十才の頃から本当に僕の事を好きだったとしたら、想いは相当強いはずだ。
さくらの事はこの上なく可愛いし、愛しい存在だ。だけど、それは娘としての愛情で、恋愛感情とはかけ離れたものだ。血がつながってなくても、さくらを娘以上に見た事はない。結婚なんて論外だ。ハッキリとそう伝えるべきだと思うが、さくらを失いそうで怖かった。血のつながりがある親子だったらそんな事を心配しないのかもしれないが。
気にしてないつもりでいたが、さくらと血縁関係がない事で、親子関係に自信が持てない部分がある事に気づかされる。僕はさくらと親子でいられなくなる事を恐れていた。
結局、さくらには会えず、悶々としながら来た道を戻り、会社に向かった。
稲毛海岸に戻って来たのは、昼ぐらいだった。間抜けな話だが、今日が日曜日で会社が休みだった事に気づいたのは、会社の前まで行ってからだった。
真っ直ぐ帰る気にもなれず、昨夜さくらと来た海浜公園に寄った。ちょっとの寄り道のつもりだったが、半日浜辺のベンチに腰を下ろして海を眺めていた。
「夕焼け小焼け」のメロディが公園中に流れた。五時を過ぎたんだとハッとする。海は青と茜色のグラデーションがかかる空に包まれていた。
さくらと初めて会ったのはこの場所だった。
小学四年生のさくらは真由美の後ろに恥ずかしそうに隠れていた。おかっぱ頭がよく似合う可愛い子だった。
僕が腰を下ろしてさくらをじっと見ると、さくらは突然、浜辺を走り出した。そして波打ち際でしゃがみ込み、何かを探し始めた。
さくらの側に行くと、泥団子のような丸い物体を渡された。触ってみるとぶにょぶにょしてて気持ち悪かった。これ、何?って聞くと、三日前に埋めた腐ったみかんだとさくらは答えた。
目を見開くと、さくらはお腹を抱えて笑い出した。僕に腐ったみかんを掴ませて嬉しそうだった。
あっかんべーと逃げ出したさくらを日が暮れるまで追いかけ回した。
さくらとの生活は驚きの連続だった。生卵とゆで卵を入れ替えたり、僕の靴にコンニャクを入れたり、僕の鞄に玩具の蛇を仕込んだりと、さくらにされた悪戯は数知れない。
だから反撃した。さくらのランドセルにトカゲの玩具を入れたり、お弁当の玉子焼きをしょっぱいやつとすり替えたり、さくらのゲームのデータを消してやった。だが、それで大人しくなるさくらではなく、さくらは僕のパソコンのデータを消した。さくらにされて一番頭に来た事だったのに、今となっては笑える話だ。
僕も大人げなかったし、さくらも可愛げがなかった。
――私と結婚して
昨日の言葉が過る。
こんな時、実の父親だったら面と向かって言葉の意味を聞けるのかもしれない。
父親として自信がない事を改めて感じる。自信がないのはさくらを信じてないからなのか。そう思った時、さくらを信じてない事にハッとした。
血のつながりがなくても、一緒に過ごした年月が僕たちにはある。
さくらを信じよう。何があっても僕たちは親子だ。
真由美の死だって共に乗り越えたじゃないか。
よし、さくらに聞こう。
ベンチから立ち上がり家路を急いだ。
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